思い出旅・2012年 スイス (5)フランス・シャモニィー

そうだ、スイスへ行こうか! 続編

 

7月13日 スイスの旅も、フランス・シャモニーにて

3日目の朝を迎えました。
 モーニングコール 6:20
 トランク出し   8:00
 朝食       6:30~
 集合       8:20
朝食のレストランの営業は早いですが、混雑するとの話が事前にあったのと、

トランク出しが8:00なので、朝食は後でと朝のコーヒータイムをして

いつもの様に朝の散歩へ。

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おっ、エッスカルゴ??さすが芸術的、 フランスだね~・・関係ないか。

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凄い所にロープウェイの中継地が!

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モンブラン方面には厚く雲が掛り、比較的暖かい朝でしたが風は強め。
雲の流れが昨日より早いのは、気がかりですが・・・

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川沿いにリンゴが・・ちょっと酸っぱそうだね。

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朝食を終え、スーツケースをバスに委託し、展望台へのロープウェイ乗り場へ。
さあ、待望のスイス旅初めての(ここはフランスですが)山岳アルプス展望です。

「ロープウェイを乗り継ぎ、エギーユ・デュ・ミディ展望台大パノラマ観賞」!

のキャチフレーズ、期待が膨らみます。

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ロープウェイ乗り場へ着きました。いよいよです。

 

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1030m→3842mへ、2310mを一気に富士山より高い所へ、

昇って行くんですね。

 

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モンブラン山頂方向は低く雲に包まれ、雲の動きが激しい・・・

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うん??、切符売場へ向かった添乗員さんがなかなか戻ってきません。
窓口で集まった他のツアーの添乗員さんたちと、なにやら話し込んでます。

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なんと、なんと!強風のためロープウェイが 緊急営業停止!。
11時までは動かさない。それ以降は、その時の山頂の状況によってだそうです。
ひゃ~・・がっくり!!

うらめしく見上げても、モンブランは厚い雲の中でした。
残念ながら様子を見るしか有りませんね。

 

こんなときに向かう展望台があるそうです。

さっき切符売り場で情報交換していたんですね。

シャモニー谷を挟んで向かい合う「ブレバン展望台2525m」は運行している

とゆうことで、歩いて向かうことに。

他のツアーや外国の観光客たちも一斉に行動開始です。

朝の散歩のときに見上げた展望台でした。

写真、真ん中の岩山へ、

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ブレバン、ゴンドラ乗り場。

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ゴンドラそして、ロープウェイへ乗り継ぎブレバン展望台2525m登りました。

写真はゴンドラ乗り場から振り返り「モンブラン」を見上げて。

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写真下部、青い円がブラバン

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途中でロープウェイへ乗り継ぎです。

中間に鉄塔がなく、一気に高度を上げてゆきます。

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やはりかなりの強風が有り、谷を挟んで対するモンブラン方向は厚い雲の中でした。
しかし流れ落ちる二つの大氷河はど迫力。もうすぐ街へ届いてしまいそう。

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ブレバン展望台、2525m。

すごい角度です。真下に中間乗り場が見えてます。

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青空はありませんが、素晴らしい山岳展望です。

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モンブラン下の大氷河

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山頂は高山植物で溢れかえっています。

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スイスへきて初めてのアルプス展望です。

時間の許すがぎり、あちこち歩き回って、いや~感動しましたね・・・

ここから幾つかのトレッキングコースもあるんだとか、

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ブレバンの岩峰はロッククライミングのメッカだそうで、たくさんのクライマーが

挑戦中です。

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AM10:30下山。

家の庭に植えてるのと同じ、梅花ウツギがまだ咲いていた。

気温差が分かりますね。

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添乗員さんがロープウェイ駅へ連絡してみると、モンブラン山中で強風の上

雪崩が発生、数人の遭難者が出たとこと。

残念ながら、エギーユ・デュ・ミディ展望台へは終日運転中止決定。

まあ、昨日の内に、モンブランや展望台、氷河を街から見られたし、

ブレバン展望台も素晴らしかった!

それで良し!として・・(でも登りたかったな~・・未練!)

昼食のレストラン予約時間までの余裕ができたので、市内を自由散策へ。

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バカンスが始まってるので、多くのレジャー客で大賑わい。

以外に日本人が少なかったのは、モンブラン悪天候で予定を変更、

次へと向かったのかな。

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さすがヨーロッパ・アルプスの街

ボルダリングに子供も果敢に挑戦中

結構人気なようで、次々と挑戦者がいて、早いと歓声や拍手起きてます。

しばし足を止めて声援を送り楽しみました。

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1時近く、昼食のレストラン。

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少し遅めの昼食をとり、フランス・シャモニーを後にし、

次の目的地のスイス・マッターホルンの街、ツェルマットへ向かいます。

再び有料道路の料金所みたいな峠の国境検問所を、ちょっと止まっただけで

あっけなく通過。

国境を越えて再びスイスへ入りました。

(紫線)

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点在する小さな集落にも必ず、教会の大きな建物が有り、絵葉書の風景が連続します。

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ただまったくと言っていいくらい、畑は見られません。
緑の平地はすべて牧草地のようでした。

f:id:hansui:20170129100545j:plain車窓に移り行く、素晴らしい山岳風景を眺めてると、時間の立つのも忘れて

しまします。

緑に広がる草原のようですが、ブドウ畑です。

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シオンお呼ばれる地域に差し掛かりました。

左・12〜13世紀に建設された、城塞のような教会、ヴァレール教会、

右・1788年の火災で廃墟の城壁が残った、トゥールビヨンの城。

丘の下のシオンの街も、旧市街の残る素敵な街だそうです。

(添乗員さん解説)

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山のはるか高所の岩盤台地にも家が建ってます。

道は有るのでしょうか??

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道は再び上り道となり、荒々しい山の連なりが迫ってきます。

ツェルマットへの道に入ったようです。山間を縫ってバスは急こう配を登ります。

今度は渓流沿いを急激に登り始めます。並行して氷河特急の走る鉄道の線路も

登ってゆきます。

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山間が狭くなりバスからは岩の壁しか見えません。

もう周辺はかなりの高さの山々に囲まれているようです。

岩壁を縫って無数の滝が流れ落ちる様は、絶景としか言いようが有りません。

あまりにも普通の風景なので、多すぎて名前なんかつけてられ無い!

日本なら即、観爆展望台なんか出来てしまうでしょうね。

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数年前のスイス大豪雨での災害、何箇所か山崩れ(崖崩れ)の爪痕が見られ、線路や道路は大きく迂回してつけなおされてるようでした。復旧に数カ月かかったといわれてます

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 PM4:00頃、バスはテーシュへ着きました。
ツエルマットは環境保全のため、ガソリン車の乗り入れができません。
空港からお世話になったバスとはここでお別れです。

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駅には広大な駐車場も設置されてました。

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電車に乗り換え一駅。

いよいよ待ちに待った、マッターホルンの街、ツェルマットへ向かいます。

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続きます。

 

 

思い出旅・2012年 スイス (4)ベルンからシャモニィーへ

そうだ、スイスへ行こうか!  続編

 

ベルンを後に、バスはフランス・シャモニィーへ。

(地図、左紫線)

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40分ほど走ると小高い丘に、小さな城塞のような村が見えてきます。

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グリュイエールチーズで知られたグリュイエール村。

丘はグリュイエール城塞でした。

丘の麓にバスを停めて坂道を上って村へ入ります。

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小高い丘全体が城域内で、正面の教会の後ろがお城でした。

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この村で「スイス名物?クラレット」の昼食です。

この料理は、石盤(のような物)を熱してチーズの切り口を温め、皮が香ばしく

中がトロリとなったところを削いで、それを茹でたじゃがいもやパンに

つけて食べるというシンプルな料理です。
以外にあさりとしていて塩加減も良く、美味しかったですね。

もちろん、ワインも頂きました。

写真を写してないので、拝借にて。

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昼食後村を少し散策。

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なぜかロバを連れた子供たちの一団が村に入ってきました。

スイスも今は夏休み中だそうです。

 

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下の駐車場から続々と観光客が上がってきます。

緑の丘の斜面は日本ならゴルフ場か・・ではありません、牧草地でしょね。

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グリュイエールを後に、山を下ると東西にバナナ型の大きなレマン湖の東畔、

モントルー地方です。

レマン湖は中央にフランスとの国境線が東西走ってます。

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湖畔のモントレー周辺はスイスでも有数のブドウ産地だそうです。

日本とは仕立てが違うブドウ畑。枝を這わせていません。

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湖畔道を少し進むと、湖畔の岩盤の上に立つ古城、

モントルーの湖水城・シオン城。

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城内ガイドさん(日本人女性)の案内で内部見学。

イギリスの詩人、ジョージ・ゴードン・バイロン収監されていた城として知られてるそうです。

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バイロンが刻んだ文字

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お隣の国の方が記念写真を写してました。

結婚記念かな??

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なんと、見学を終えて外で同行の奥さんがスリの被害に!
トイレ内で手洗いに向かったとき、2・3人の人に行くてを邪魔されたように

なったそうです。
脇に持っていたバックを丁度開けていたそうですから、きっと狙われたんですね。
治安がよいと言われたスイスも近年は、周辺諸国から物騒な連中は入り込んでいる由。
幸いパスポートなどは入ってなかったのが不幸中の幸いでした。

バスはレマン湖からぐんぐん高度を上げてゆきます。

少しだけ畑がありますが、あとはすべてブドウ畑です。

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ほ!富士山・・

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やや!穂高

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国境検問所もノンストップで通過、あっけなくフランス入り。

あれは、氷河では!!

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まだまだ山へと上って行きます。

雲がさ~と流れ、おっ、槍ヶ岳!!

そんなわけない・・

もしかして、シャモニー針峰群か!

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PM 5:00 標高1035mの山岳街、フランス・シャモニー着。

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夕食は PM7:00なのでさっそく市内散策へ。
ホテルをでてすぐの橋の上から見上げると、雲の流れが速く気流が乱れてる。

フランスとイタリアの国境にそびえる
ヨーロッパ最高峰「モンブラン4810m」は雲の中にも姿を見せてくれてます。 

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真ん中右、お椀を伏せた型、モンブランf:id:hansui:20170212125957j:plain

少し離れた峰の突端には、富士山より高い所にあり、

1955年から運行されたロープウェイで一気に昇る、

エギーユ・デュ・ミディ展望台(3842m)の塔までが見られました。

(向う側は、イタリヤから上がる3連重ゴンドラが運行している)

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シャモニーは標高1036m。正式名称はシャモニ・モンブラン

1924年に開催された、第1回冬季オリンピック大会の開催地。

 観光パンフによく記載されてる、モンブラン初登頂にまつわる銅像

「あれがモンブラン頂上です!」

登頂成功者に賞金を約束した地質学者、ソシュール

モンブランを指さす水晶採掘人(初登頂案内人)であった、ジャック・バルマ像。

 

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ジャック・バルマと初登頂をなしとげたパカールが、

じーっと見つめる先には・・・

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ボソン氷河の先端が街のすぐそばまで流れ落ちてます。

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夕食はホテルのレストランにて。
子牛肉の煮込み(シチューのようなもの)をご飯にかけながら頂きますした。
話題も弾み、なかでもスリ被害の奥さんを旦那が冷やかし、
皆が奥さんの味方でブーイング、大笑い。
ビールやワインも大変美味しく頂き、時間のたつのも忘れる楽しいひと時でした。

 

続く

思い出旅・2012年 スイス (3)首都ベルンの2

そうだ、スイスへ行こうか! 続編

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7月12日

いよいよスイス国内の旅が始まります。

ホテルロビー、AM8:30集合です。

支度をして早めに部屋を後にし、ホテルの前庭や付近を散策。

 

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ホテルは高台に建ってるので、旧市街の街並み方向が見下ろせます。

街並の奥に白い山々・・

遠景の青空にふわりと浮かぶ白い嶺、

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ベルナーオーバーランドでは!!?

ベルナーオーバーラント地方とは、アイガー、メンヒ、ユングフラウの3山に

代表されるアルプスの名峰が連なるベルン州の南部の高地帯で,

旅の後半に行く予定です。

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うん、方向的に間違いないようです。

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ロビーに戻ると、ベルン案内の日本人女性ガイドさんが待っていました。

今日はこれからベルン市内の観光へ。

ベルン旧市街はュネスコ世界遺産です。

まずは、旧市街を望む人気スポット、丘のバラ公園へは近いので徒歩で向かいます。

公園にて左、ガイドさん。右、添乗員さん。

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バラ公園からは世界遺産、旧市街が一望です。

エメラルドグリーンのアーレ川にU字型の囲まれ

淡い灰緑色の砂岩の壁・赤い屋根瓦の家々がびっしりと並び建ち、

中央に目の前に広がる古都ベルン・中世の風情たっぷりの街並み。

はひときわ高い大聖堂の塔。

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 東西に細長いベルン旧市街。

北・東・南の3方をアーレ川に ぐるりと囲まれ、西の端は朝の散歩で歩いた

方向にあるベルン駅に当たるようです。

街の大きさはせいぜい1000m×500m程度とか。

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スイスで一番高い尖塔を持つ大聖堂、尖塔は補修工事中。

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左、グリーンのドーム屋根はスイス連邦議事堂。

右隣の尖塔は旧市街地の時計塔

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移動しながら街並みをゆっくり眺めます。

その昔は木造建築だったそうですが、1400年代の大火から、

この石造り街並みとなったそうです。

ゆっくり滞在して、街の隅々まで散策したくなりますね。

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 左手石橋の左川辺に後で訪れる「熊公園」が有る。

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バラ園を少し散策し旧市街地へはバスで移動します。

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今日から明後日までは、この大型バスが私達7人だけの貸し切りバス。

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ぐるりと回り込んで丘を下り、ベルンの市名にちなんだ熊牧場へ立ち寄り。

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1191年にこの街を つくったツェーリンゲン家のベルヒトルト5世が狩で最初に

しとめた 動物が熊だったため、そのまま熊が市のシンボルと なっています。

ベルンの名前の由来はドイツ語の熊という意味だそうです。

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パンフでよく紹介されてる、「熊の綱渡り」

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この辺はトラムではなくトロリーバスが走ってるようです。

バラ公園から見えた橋と教会ですね。

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再びバスで移動、市街地へ入り市内散策です。

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連邦議会議事堂

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スイス国立銀行」。スイスフランの発行管理を行っています。
地下には膨大な金塊が眠っているとか・・・・。

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街路は、ほぼ碁盤目になっていて、初めて歩きでも道迷は全く心配ない。

せいぜい牢獄塔 と時計塔を間違えないように。

(ガイドさん)

牢獄塔

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時計塔

 1218年から時を刻んでいる「時計塔」。

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カラクリ時計

毎時ごとに仕掛け時計は動くということで、5分ほど待って

10時のカラクリを楽しみました。

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人形がそれぞれ変化してるのわかるかな?(クリックしてください)

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時計塔前の噴水塔

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アインシュタインが住んでたアパート

行列の観光客で入館はパス。

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まさに中世古都の街並み、何とも言えない雰囲気ですね。

 

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旧市街に点在する「噴水」は、様々な彫刻と意匠が施されています。

16世紀に作られ、その数は100基に及ぶそうです。

道路の真ん中に建てられたものが多く、交通機関に影響するものもあり

「世界で最も魅力的な交通障害物」と呼ばれてるんだそうです

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石畳の街並み。

両側とも15~16世紀に建てられた石造りの建物の道路面は、

「ラウベン」と呼ぶ、歩道が建物の一部に組み込まれたアーケード状の構造に

なっていて、有名ブランドから、有名無名の工房ショップ、ちょっと変わった雑貨屋まで、あれこれの新旧のお店や工房が連なっています。

街全体がユネスコ世界遺産になってしまうくらいの、古き都・ベルン。

時計修理屋さんかな?

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1421年から の歴史は古い大聖堂が見えてきました。

スイスで一番高い尖塔で、約100mあるんだそうです。

尖塔修復工事中で残念ながら登りませんでした。

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大聖堂内を拝観

礼拝堂。

5,040本のパイプを持つ巨大なパイプオルガン。

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そしてステンドグラス。

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正面入口の上にある"最後の審判"の レリーフ

天国と地獄の様子が描かれていています。

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剣を振り上げている、大天使の聖ミカエル。

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最後に市役所前へ出て、AM11:00 名残惜しいけどベルン観光は終わりです、

ガイドさんの見送りを受け、待機していてくれたバスにて次の地へ向かいます。

バスの運転手さんはドイツの方でした。

(市役所前噴水塔はモーゼでした)

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7人を乗せてバスは一路フランス、モンブランの里シャモニィーへ。

農作物畑はほとんど見かけないと言われ、旅中車窓から見えるのは、

ほとんど牧草地(アルプ)でしたが、ここは麦畑?。

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続きます

思い出旅・2012年 スイス (2)首都ベルンの1

そうだ、スイスへ行こうか! 続編

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7月12日、首都ベルン

バタン、きゅーで寝入ってしまったようですが、目覚めると

しばらくは、あれ?どこにいるんだ・・・・時差ぼけ?

そうだった、スイスへ来てたんだ。

時計を見るといつもの起床時間、AM5:00でした。

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思っていたよりも普通に目覚め、疲れた感じはなかった。

スイスへ来てるんだ!と気が高ぶっていたからかな。

カミさんも起きだしてきて、いつものように

モーニングコーヒー

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トランク出しがAM7:00なので、朝食はそのあとにして

散歩がてら薄明りの街歩きへ。

ホテルを出ると右手坂道下に橋があり、その先に尖塔などが見えるので、

街の中心街の様でした。

ホテル

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川はアーレ川のようです。

高い鉄橋を渡る列車。 f:id:hansui:20170123172140j:plain

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散歩と言っても全く土地勘のなしの、しかも外国の街。

迷子にならないようにと道をまっすぐに行って、ある程度進んだらそのまま戻る

ことにして橋を渡ります。

眼に映る街並みは異国情緒満点、まさに外国だな!!

いまここにいることが不思議な気持ちですね~

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まだ朝の6時を過ぎたばかり、通勤時間にも早いので人はほとんど歩いてません。

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 街角ではバキュームかな、清掃をしてる様子。

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正面を電車が横切って行く。

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左右に続く石畳の街並みはは旧市街になるのかな。

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う~ん、なんとも恐ろしい噴水塔(給水塔)の像。

「子喰い鬼の噴水」だそうです。

付近にあった危険な井戸に、子供たちが近づかないようにするため設置されたということですが、恐ろしい像を作ったもんですね。 

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20分ほど歩いて来たので。来た道をそのまま戻ろうとしたとき、

あっ、歩いてるぞ、あった!

パンフで見た歩く足。

どこにあるのか後でガイドさんい聞いてみようと思ってましたが、

なんと朝の散歩で見つけちゃいました。

正面の建物はCASINO、・・カジノなんだ。

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右手にトラムやトローリーバスが走っている、中世の街並みのような通りもあります。

架線が蜘蛛の巣のように四方へ張り巡らされてる。

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帰り道、橋のたもとの小さな公園に、ベルンの創設者、公爵ベルトルト5世の像が

市名の由来ともなった熊(ベア)に囲まれてひっそりとありました。

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 ホテルへ戻り、部屋前にトランク出しをしてレストランで朝食。

パンは確かに美味しいですね。

いろいろなチーズやハム、ソーセージ。

サラダもドレッシングが数種あって、美味しかった。

納豆が無いのが・・・・当たり前です。

ツアー同行の方々は済ませたのかゆっくりしてるのか、お会いしませでした。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

思い出旅・2012年 スイス (1)旅立ち

そうだ、スイスへ行こうか! 2012年

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2012年7月11日、AM9:45

飛行機は成田空港を飛び立ち、初めての、そして最後?(たぶん)の夫婦海外への

「スイス・アルプス膝栗毛」旅が始まった。(地図の青と赤線)

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振り返ってまずは、何と言っても素晴らしい添乗員さん(女性)だったことです。

よく旅の良し悪しは「添乗員」次第、と言われますが、まったくその通り。

差し出がましくなく、さりげなくしっかりとサポートしてくれる。

緊急対応の仕方も素晴らしく、海外初旅でも全く安心して旅が楽しめました。

あれから早5年、それでも昨日のことのように、懐かしく思い出してます。

 

「思い出旅・2012年 スイス」 旅ブログをはじめます。

 

2012年7月10日

二人ともパート仕事を終えて、いったん家に帰り

夜の地元発最終リムジンバスで成田へ向かい前泊。

よく11日、成田に集合したのは、私達を含め3夫婦でした。

そして添乗員さんとの7名での旅が始まりました。

 

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ルフトハンザ航空にて2回の機内食、永い永いフライト。

席はトイレに近い席と頼んであったので、後方の気兼ね不要二人席。

ドイツ・フランクフルト乗り継ぎ便にて、ついにスイス・チューリッヒ空港着。

 時差修正、11日 PM5:30

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緊張した入国手続きも、「こんにちは」の挨拶で済み、ビル出口前には

50人乗りの大型バスが待ってました。

なんとそれに乗るのは、3夫婦と添乗員さんの7人!!

帰宅ラッシュのチューリッヒから高速道入り。

車窓に流れる風景は、異国情緒たっぷり(ははは・・当たり前だ)。

村や町に教会の尖塔、石造りやログハウス風の家々。

じわ~と、外国へきてるんだな~・・・、と実感は深まってきます。

 

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PM8:30、スイスの首都ベルン着。

添乗員さんが用意していた、ホテル内での案内や部屋やエレベーターの使い方や

明日のスケジュール表。

ホテル内は部屋やエレベーター利用は、カード形式になってました。

(ホテルの窓から)

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 広いバスタブゆっくりと湯につかり、長いフライトの疲れをとりました。
今晩は夕食が有りません。
私たちのドライブ旅などで使うことが多い、カップ天麩羅蕎麦で遅めの夕食。

晩酌イッパイは、これも持参の紙パック麦焼酎のお湯割り。

無事到着、乾杯!!
PM11:00頃、さすがバタン・キューで爆睡。

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 続きます

思い出旅・2012年 そうだ、スイスへ行こうか

第二の人生に入って、17年。

後期高齢者の仲間入すら、はや2年。

先日、ある旅のメモを確認したくって、詰め込んでた箱を開けてみた。

2年前の癌発症時、少しは整理したつもりの旅のメモや写真が、

まだいっぱい入っていた。

その中に何種類かのスイス旅行の資料などが残されていた。

外付けドライブに保存してる写真を開き、懐かしきスイス旅の世界に没中。

結婚して40周年に当たる2011年新春のある日、TVで放映されたスイス旅。

カミさんの「いいわね~」の呟きで、そうだ「スイス」に行こう!。

あれこれ急ぎ調べて、ツアー申込直前に、あの大震災と原発事故が発生。

親友の被災などもあて、なんとも気持ちが落ち着かず一旦中止。

そして1年の歳月が流れ、2012年春に再び旅への仕切り直し。

あらためていろいろ調べ始めの、旅立ちへの準備。

二人で初めての海外旅行はスイス。

そして

1、観光だけでなく、二人だけで山岳高原のハイキングをしたい。

2、山岳での夜明け日の出を迎えたい。

3、中世風情の都市観光もしたい。

4、可能な限り少人数でも催行する

5、外国語は全く苦手な夫婦でも「なんとかな~るだろ~お~」の国

そして少しは山歩きをしていた夫婦が選んだのが、

2名以上催行の「スイス9日間旅ツアー」でした。

はてなブログに、中山道街道旅を記録してきましたが、

残っていたメモや資料、アルバムなどで、いまでも昨日のことのように思い出す

ことが有る、スイス旅振り返りブログを記してゆことに。

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本文へ・・

 

歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅 (第13回) 松井田宿へから坂本宿 後編

12月17日、旧中仙道歩き旅、第13回 

>街道の面影を残す緩く蛇行する道は、横川集落へと続いてゆき、丸太道標には
、⇒坂本宿2.5km。<

後編。

 

丸太道標、⇒坂本宿2km。

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北側を山、南側を碓氷川が流れる谷あいの横川も空き地が目立ち、ほとんど車も

通らず、静まり返った集落を進みます。

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前方に「峠の釜飯」の看板が見えてきました。

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街道角に釜飯のおぎのや、坂下南側突き当りが信越線終着駅、横川駅、

駅には先ほど出会った蒸気機関車D51に引かれた列車が停車中。

ホームは家族連れや撮り鉄さんで大にぎわい。トロッコ機関車も動いてた。

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ちょうどお昼なので、駅前のおぎのや食堂で釜飯とお蕎麦を半分ずつ食べて昼食。

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街道に復帰、右手石垣上に御嶽山碑、矢の沢川沿いに庚申塔や二十三夜塔。

謎の癒しどころ?

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先に大名が関所通過のために、身支度を整えたといわれている武井茶屋本陣跡、

隣が横川の鎮守・諏訪神社(庶民は神社で??)

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持参街道案内には左手に、雁金屋茶屋本陣跡と記されてるが、確認できなかった。

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中仙道に二か所置かれた関所の一つ、碓氷関所の東門跡。

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右手石垣上に昭和35年、碓氷関所跡として復元され、当時の東門が建ってます。

慶長19年(1914年)仮番所が置かれ、元和8年(1622年)番所となり、

翌年家光上洛に際し関所となった。

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尚、関所跡には資料館もあったが、今は通年開館はしていない。

見学の場合は事前に管理者に電話連絡が必要で、番号が記載されています。

 

無事関所の詮議も終わり坂道を下ると、碓氷川に架かる川久保橋。

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橋を渡った先は横川地域から「旧原村地域(現松井田・原、)。

右手に国道を離れ旧中仙道は「薬師坂」の石碑が建つ急坂へと進みます。

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道路整備で居場所が狭くなったのか、碓氷峠越えの無事を願って祀られた、

川久保薬師堂と湧水。

この湧水を使った心太(ところてん)を食べさせる茶店があり、心太坂とも

呼ばれたそうな。

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200mほどの急坂道を上り切ると、まだコンクリも新しそうな、

整備された旧国道18号(旧中山道)へ飛び出します。

丸太道標には、⇒坂本宿0.9km。

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風も収まりだいぶ暖かくなてきた、坂とも感じないほどの上り道を進みます。

左手に白髭神社への案内板が立ち、導かれてはいると大きな庚申塔、二十三夜塔

なとが置かれた白髭神社が祀られてます。

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持参街道案内によれば、白鬚神社の御祭神は猿田彦で、総本社と言われるのは、

滋賀県の琵琶湖西岸に鎮座してる。

「そういえば、隣の市にもあるね」てカミさんが思い出してました。

*「由緒書に、麻苧の滝(あさおのたき)のことが書いてある。

確か寄ったことがあった」

と帰宅後確認してみると、13年前に長野の帰りに、滝に寄っていた。

CDに保存してあった滝のフォット*

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しばらく進むと上信越高速道高架下に、村内を流れる用水路の起点に祀られた

旧原村の「水神宮」

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高架下右手石垣上に公衆トイレが整備されていて路肩に駐車スペースも

とってありました。

 高架下を過ぎると、大きな木柱に名を記した「原警察官駐在所」

なぜ木柱が建ってるのかな?

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正面に、で~んとそびえるのは刎石山(はねいしやま)。

中山道はあの山を越えて碓氷峠へと登って行くんです。

ほぼまっすぐ続く坂本の道。13年くらい前、2度ほど車で通ったことがあった。

記憶では歩道幅のない二車線道だったが、いまは平成20年から始まった

歩道など拡張整備にて、広々とした明るい道に様変わり。

道の真ん中を流れていた記憶の用水が、向かって左側に寄っている。

つれて、新しい感じの家屋も多いような。

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右手に文化9年(1812年)立てたと言われる、巡礼供養塔があり、

すぐ先は坂本宿・東の木戸口跡。f:id:hansui:20161220121918j:plain

薬師坂を上ってから30分ほど、木戸を模した柵、坂本宿・東の木戸口跡。

 

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坂本宿

江戸から17番目、34里14町47間(約136km)

中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数162軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠40軒、人口732人、町並6町19間

往還の南側に79軒、北側に82軒が軒を連ねていた。

参勤交代の実施に伴い、碓氷峠の登り口に宿場が必要となったことから、

寛永2年(1625年)3代将軍家光の時代に、安中・高崎藩の領民を移住させ

集落のない地域に計画的に作られた宿場であった。

幅12.5mの道路が一直線に続き、道の中央に幅1.2mの水路があり、

水路には17箇所に石橋がかかり、整然とした街並みが整備されていた。

江戸期には31もの大名が参勤交代の為に坂本宿を往来していた。

上州路最後の坂本宿は、東に碓氷の関所、西に難所の碓氷峠を控え大いに賑わたと言われます。

(栄泉画・坂本宿)

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車道と歩道の間を用水が流れる、新たに拡張された中山道を進みます。

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江戸時代より道路は拡張されてると思いますが、両側の主な家々には、当時の

屋号などの木札が架けられている。

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木戸から少しすすんだ左手、奥まった民家の前に下の本陣と呼ばれた「金井本陣跡」

と持参街道案内には記されていたが、見逃したかわかりませんでした。

当時は屋敷360坪(約1,200m2)、建坪180坪(約594m2)、

玄関、門構え付きの建物で、皇女和宮も宿泊したと説明板に記されてると

ありましたが。

街道筋に、間口が狭く、かなり奥行きのある空き地が、何か所か見られます。

租税対策とよく言われる、街道沿いに立つ家々の独特のスタイルで、間口を狭く、

奥行きの深い家屋があったのでしょう。

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右手に郷土の文化人、俳人の生誕の家があり、

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左手に金井本陣と共に問屋を兼ね、上の本陣と称された「佐藤本陣跡」

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尚、本陣は明治になって坂本小学校が開校された跡でもあり、その後佐藤家は

他所移転され、現存の家屋はそのあと明治3年に建てられた建物です。

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つづいて門が残っている、脇本陣「みようがや」跡。

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斜め向かいに、こちらも当時の門を残している、脇本陣永井家。(現在もお住い)

3年ほど前に修復工事をされたとか。維持するのもご苦労があるでしょうね。

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北側奥にある坂本小学校への道を隔てて、隣は現坂本公民館となって居る

酒屋脇本陣跡。

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2軒おいて、先祖が高崎藩納戸役鍵番だった、元旅籠「かぎや」

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 小林一茶にの定宿「たかさごや」

この時代、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛で、ひとたび一茶が草履を脱ぐと近郷近在の同好者が集まって大変賑わったのだとか。

若山牧水が泊まった「つたや」

牧水がふと耳にした糸繰り唄に、思わず
 *秋風や 碓氷のふもと 荒れ寂し 坂本の宿の 糸繰りの唄*

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牧水の詩は時代が進み鉄道が敷かれ、さびれてしまった宿場町にいだいた気持ちでしょうね。

江戸へ三十四里、京へ百二里、

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ここも空き地になっている。だま表札が残されていた。

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刎石山(はねいしやま)がぐ~んと大きくなって、坂本宿もそろそろ終わりです。

港屋跡を過ぎ、

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「いげたや」跡で坂本宿街が終わりました。

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少し先に木戸があり、二つの石碑があります。

手前のは常夜燈道標の胴部分で、灯すところは上部分は失われてます。

碓氷峠からも灯りが見えたそうです。

後ろのが用水に架かっていた橋の「橋供養」の石碑

 

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坂本宿、上の木戸跡(京口)、12月17日(土)PM1:47

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  旧中山道69次、武蔵、上野国、17宿を通り抜け、次回は最大の難所と言われる

碓氷峠を越えて、軽井沢宿・信濃の国へ入ります。

今回訪れた五科茶屋本陣の管理されてる方から、「5月の第2日曜に行われる

安中遠足(侍マラソン)時に、山道整備をするので、歩きやすくお薦めです」

とアドバイスをいただきました。

それまで、冬眠していられるかな??

 

まだ少し時間が早いので、国18号旧道から峠道への分岐まで見分に足を延ばしました。

碓氷峠山中の、四軒茶屋手前にあったのを、上の木戸前の用水路脇に移設した

芭蕉の句碑。

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寺院建物がありませんが、時代を感じる墓石の並ぶ阿弥陀堂・清松寺。

本陣を勤めた金井家などのお墓があるようです。

おや、墓石に刻まれた「天と地」、永井家とあるが脇本陣の家かな?

馬頭観音や、俳句碑などが建ってます。

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創建は景行天皇40年(110年)に、日本武尊の分霊を勧請したのが始まり

と伝えられ、碓氷郷の産土神として信仰されてきた、坂本八幡宮。

赤い鳥居に本殿もちょとモダンアートの彩色。

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 鳥居前で休まれていた方は、軽井沢宿から碓氷峠を下って来た旅人ご夫婦でした。

少し先に「安中遠足峠コース」の標識が立っている。

ガードレールの切れ目から左手に延びるのが、碓氷峠への山道の始まりでした。

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いつの日かこの道を先へ進めることを願って、戻ります。

JR信越線横川駅へは、先日歩いた廃線鉄道路線に作られたアプト道を利用しよう

と向かうと、横川と峠の湯間を走るトロッコ列車が運行されてました。

蒸気機関車運行に合わせたイベント運行だそうです。

さっそく乗車してJR横川駅へ。

まだSL運行で賑う横川駅を後に、信越線に乗り換えて一駅、西松井田駅へ。

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午後6時、帰宅。

13回目の中山道の旅を〆ました。

上野国 終。