写真保存を兼ねたブログ 山野草展は楽し、神代植物公園 (1)

やっと晴天になったGW後半、5月3日に都の神代植物公園で開催されている

「春の山野草展」へ行った。

さすがにGW。駐車スペース確保にウロチョロしたが何とか駐車場確保。

園内の植物会館展示場とその前の野外でで開催されてた「春の山野草展示会」へ。

何回かに分けて、山野草展を綴ってゆきます。

右、ハンカチの木、

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山野草展展示品 

庭で咲いた、おなじみの 雪餅草 サトイモ

こうして山野草として手入れ栽培された雪餅草は、色合いが優しく

ちょっと風情がありますね。f:id:hansui:20190504164324j:plain今年は終わりましたが、庭の雪餅草は親子です。f:id:hansui:20190504201542j:plain

ムサシアブミ・黒軸 サトイモ

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ウラシマソウ(浦島草) サトイモ

県によって絶滅危惧種っや準絶滅危惧種に指定されていますが、

今はたくさんの園芸品種も多く、愛好家も多いそうですね。

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ウラシマソウ(浦島草) 素心花 サトイモ

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ウラシマソウ・素心花の色合いは、つい最近どこかで見たな?と調べると

良く行くお寺、多門院の庭で咲いてましたね。

多門院庭のウラシマソウ・素心花

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ヒメウラシマソウ サトイモ

本州南部と九州地方に自生、ウラシマソウより寿命が長いといわれます。

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オオハンゲ サトイモ科ハンゲ属

日本固有種だそうです。

ハンゲショウというのも良く見ますが、ハンゲショウ

ドクダミハンゲショウ属の多年草です。

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こちらもオオハンゲと札がありました。

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ホウチャクソウ(肩紅花) ユリ科チゴユリ

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うっすら赤味がありますね。

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ホウチャクソウ(カコガタ) ユリ科

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ホウチャクソウ(黄花ホウチャクソウユリ科

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チゴユリ

斑入りチゴユリでしょうか?

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ナルコユリ(斑入り)ユリ科

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ナルコユリ(からす葉)ユリ科

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オオアマナ(ベツレヘムの星) ユリ科

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クルマバツクバネソウ ユリ科

低地~亜高山帯の林内に生え、茎の高さは20~40センチ。

茎頂に、黄緑色の花を1個上向きにつける。

初めて見たかな?

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白糸草 シュロソウ科 (旧ユリ科だった)

一部地域では準絶滅危惧種に指定されてるようです。

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ユキザサ(斑入り) ユリ科

小さな花が雪の結晶のようなことから、ユキザサと呼ばれるようです。

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そして、エゾスカシユリ蝦夷透百合) ユリ科

北海道では普通にみられるユリ。

江戸時代初期から、エゾスカシユリなどの交配によって、日本独特の

園芸スカシユリが作られてきたそうです。

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 続きます・・

クレマチス・ダッチィス オブ エジンバラ

2019年5月1日、

平成の幕が引かれ新たな令和の幕開けは、雨も上がり青空も広がりだした

清々しい夜明けで始まりました。

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ハナミズキ

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鈴懸けの木’(ライラック

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ヒメヒオウギ白花

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もうすぐ咲きだす黄バラ(品種不明)

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昨年はすでに数厘は咲いていた、クレマチス・ダッチィス オブ エジンバラ

花は咲き始めはやや緑色がかり、徐々に白色に近づく。
開花が進行するにつれて、色彩の変化が楽しめるクレマチスです。

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ただ今年は3、4月の異常な高、低温の繰り返しや曇り空のためか、

なかなか花開きませんでした。

咲き初めや日照不足により、花弁が時々緑色になることもあるようです。

 

キンポウゲ科 耐寒性低木(つる性) 落葉樹
■ 学 名 : Clematis ‘Duchess of Edinburgh'
■ 系 統 : 早咲き白大輪系(パテンス系)(旧枝咲き・弱剪定タイプ)
■ 作 出 : George Jackman&Son(イギリス)1874年
■ 四季咲き

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 花弁の枚数が多いため、一重花よりも花持ちがよく、観賞期間が長いですね。

気候が安定してくれば、本来のホワイトグリーンのグラデーション花に

なってゆくでしょう。f:id:hansui:20190501172211j:plain

1月に色合いがいい、と鉢植え買ったベコニア。

株根が弱って、1月末に切り花で水差3瓶に挿していたものです。

なんとまる四か月、次々と咲き続きました。

さすがに、最後の蕾が咲いた、の感じでそろそろ幕引きですね。

根毛が出てきてるので、再び鉢植えにしようと思ってます。

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夕刻から再び雨降りに。

不安定だった天気も明日からは徐々に回復、初夏の陽気になるようです。

一気にバラの季節のなってくるかな。

 

 

想い出旅 高野山へ(6) 帰り道の寄り道は 花の伊吹山

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

奈良県を後に、大阪、京都を 西名阪道など高速道を走り継ぎ、
夕7時滋賀県彦根のホテル着。
このホテルにしたのは明日の寄り道の為でした。

 

8月2日(火)
早めに朝食を済ませホテルをAM7:40発。

今日の寄り道は久しぶりに山、夏の季節は花の山で
知られた「伊吹山」です。
伊吹山滋賀県の最高峰、1377mで日本百名山です。
山頂のお花畑は、国の天然記念物に指定されています。

東海道歩きを終えたら、登山として登ってみたいと願ってましたが・・・・

ざんねんながらになっていました。

でも伊吹山ドライブウェイを走り、九合目まで車で
登る事ができ、車を置いて軽ハイキングで山頂を目指せます。
さあ、チョッピリ登山気分で・・

この山もご多分にもれず、鹿の食害がひどくなってるようで、山頂周りは大きく柵で囲われてます。

今の時期、花の主役はシモツケソウですね。
丁度見ごろで、群生地は今再生育成中。柵で保護されてます。
ピンクの草原、その中に黄色いのっぽの花は
メタカラコウ。
コオニユリが咲、カワラナデシコ、ルリトラノオクガイソウ、グンナイフウロウもほんの少しだけど咲いてます。
そしてミヤマコアザミの群生。
下り専用の東コース道には伊吹トリカブトの群生が見られましたね。
山裾から雲がつぎつぎと立ち上り、ときおり周りを隠してしまいますが、頭上には青空も広り、風も涼しく別天地です。

山はいいな〜・・・です。

 

 

 

伊吹山の様子はデジブックアルバムにて。

花の名などは省略します。

 

 

t2時間半程の山歩き気分を味わって、
高速道を順調に走り抜け、夕7時、4日間の良い旅を終えました。
車の走行距離は1300kmを越えてました。
・・8月23日には1年精密検査がまってます。

 

思い出旅 高野山へ 完

思い出旅 高野山へ( 5) 

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

高野山を下り、くる時にも寄った道に駅にてざるそばで遅めの昼食をとって、

寄り道ナビの設定は奈良の法隆寺です。

ナビの案内が何故か高速道を選んだため、大回りしたようですが、

PM3:00、法隆寺駐車場へ到着。
法隆寺はもう60年前の高校の修学旅行で訪れて以来。

もうすっかり記憶は薄れてしまい、初めての訪問と同じですね。

法隆寺の総門、南大門で記念撮影をして境内へ入ります。

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西院伽藍の本来の入口となる中門は修復工事中でした。

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法隆寺飛鳥時代の姿を現在に伝える世界最古の木造建築、

そして聖徳太子所縁の寺としてよく知られるところです。

1993年に日本で最初に世界文化遺産に登録されてます。

ここを寄り道にしたのは、今回の旅を調べてるうちに目に留まったのが、
平成10年秋に観音堂が作られ安置された百済観音様でした。


法隆寺は塔・金堂を中心とする西院伽藍と、夢殿を中心とした東院伽藍に

分けられています。

飛鳥時代をはじめとする各時代の粋を集めた建築物が軒をつらね、

国宝・重要文化財に指定されたものだけでも約190件、点数にして2300余点と

言われます。

拝観案内に沿って、金堂、五重塔、大講堂、聖霊院と回り、

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「柿食えば・・」の石碑を見て回ると、食堂などの奥に新しい伽藍が見えてきます。
平成10年に完成した百済観音堂を中心とした、大宝蔵院です。西と東に2つの宝蔵。
伽藍というよりは博物館。東西の宝蔵では国宝観音菩薩立像(九面観音)や国宝観音菩薩立像(夢違観音)などの仏像をはじめ、厨子舞楽面などの工芸品を含む寺宝が多数展示されています。

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そして北側の部分にあるのがお目当ての百済観音堂、安置された国宝百済観音(観音菩薩立像)です。
知る人ぞ知る、細身で八頭身のすらりとした姿、優美で慈悲深い表情。
なんとも美しい・・カミさんも綺麗ね・・て暫し見とれてましたね。

(パンフより)

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ここまでじっくりと各所を拝観してきたので、終了時間が迫って来ました。
足を速めて東院伽藍の夢殿へ向かいます。

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夢殿は、聖徳太子を供養する堂として建てられた堂です。八角円堂という夢殿のつくりも、円同は故人を供養する堂の形という定めに由来しています。内部には太子ゆかりの遺品が集められています。

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夢殿の拝観を終えて、すぐそばの中宮寺へ向かいました。
ここは聖徳太子の母、穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后の菩提をとむらうために造られた寺で、大和を代表する尼寺なんですね。
入口まで行きましたが、残念ながら拝観時間にまにあいませんでした。

空を見上げると黒い雲が黙々と広がりだし、遠くで雷鳴も聞こえ始めました。
朝の天気予報では雷雨注意報も出ていました。
足を速めて駐車場へ戻ったとたん、強い夕立がやって来ました。
今日までの旅で、沢山の仏様に自然に手を合わせ、ふれあいを頂いた感じの旅でした。
そしてそれがまた多くの国宝、重文などを拝観することとなった旅でした。
宿坊の朝の法話で、
「仏の教えは死後の為では有りません。
時は一瞬にして戻れぬ過去となり、すべて万物は未来に向かってのみしか生きられない。今をどう生きるかが仏の導きです。」
いい旅だったわ~・・カミさんの感想でした。

西名阪道など高速道を走り継ぎ、夕7時滋賀県彦根のホテル着。
このホテルにしたのは明日の寄り道の為です。

旅は続きます。

思い出旅 高野山へ( 4) 

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

奥の院入口の一の橋へ着きました。

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高野山の西の外れ高野山奥の院は、弘法大師御廟があり、

高野山中、いや仏教の世界の中でももっと大切な聖域になるようです。

一の橋から先、弘法大師御廟へ2km続く参道は、は樹齢1000年を超える

杉や高野槙の巨木に囲まれ、この参道沿いには、おびただしい供養塔や祈念碑、

慰霊碑、墓石がたち並び、その数は20万基を超えると言われ、

今もその数は増え続けているそうです。

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特に鎌倉期以後は、戦国大名や財力のある支配者層、
また江戸期、徳川家所縁や各大名家が、亡き人を慰霊するため巨大な石塔が

多数造られたようです。

名の知られた戦国武将、大名など供養塔や祈念碑、慰霊碑が立ち並んでます。

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加賀・前田家

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奥州・伊達家

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長州・毛利家

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薩摩・島津家・・

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などなど・・
その数は20万基超と言われる、まさに死者の霊界が延々と続いてます。

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代々の紀州徳川家の多数の墓所があり・・

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紀州藩主から将軍家を継いだ、

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そして・・こんな墓所も・・

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1km弱進むとまた川が流れ橋があり、中の橋です。
手前に歌舞伎初代市川団十郎供養碑。
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橋を渡ってすぐ左側に、汗かき地蔵と姿見の井戸があります。
井戸を覗き込み、自分の姿が映らない人は3年以内にお迎えが来るという、

怖〜い言い伝えがあります。 
(おっ見えたね〜・・・ふふふ・・有難し。)

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まさに幽玄の
(この世)と(あの世)が交わる場所

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忠臣蔵の大名も・・

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関ヶ原で敗れし石田光成・・

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一代の風雲児・織田信長も・・・

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天下の夢破れし明智光秀・・・

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そして天下人となりし豊臣家の人々も・・

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おや、有って良いはずの家康は??
それは別の場所に「徳川家霊台」として、徳川家康徳川秀忠の霊屋が有るんです。
(今回は寄りませんでした。)

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そして名もなき民は、石仏や石塔を背負い重さに耐えながら高野山に登り、
此の地に辿り着き・・血縁者達の来世の安楽を祈ったいわれています。

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(御廟そばに無縁供養塔があります)

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死せるものは みな同じく聖なる地、宗派を越えた仏教の霊場

「極楽」「浄土」への再生を願う。

我が家の浄土宗、圓光大師法然上人様の廟もあり、手を合わせます。

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 参道は奥へ奥へと続き・・

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御廟で入定している弘法大師の食事を作る、御供所(ごくしょ)に着く

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小一時間もかけて御廟橋に到着しました。
この橋から先はもっとも重要な聖地とされ、喫煙はもちろん撮影なども

禁止されてます。
御廟橋わきにの水向地蔵では地蔵菩薩不動明王観音菩薩などに水をかけながら、

なき人々の冥福を祈ったあとに橋を渡ります。

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清らかな気持ちで渡ります

橋は36枚の橋板があり、更に橋全体を1枚と数えて、
金剛界の三十七尊を表しています。
御廟橋を渡るとそこからは最も神聖な聖域、
(以後撮影などは出来ません)

(パンフ拝借画)

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御廟の橋の100メートル先、石段を昇ると弘法大師御廟の手前に建つ燈籠堂です。
高野山第二世の真然大徳(しんぜんだいとく)が建立し、治安3年(1023年)に

藤原道長が拡張したお堂です。
堂内には祈親(きしん)上人が献じた祈親燈(きしんとう)、白河上皇が献じた白河燈、貧女の一燈(いっとう)、
昭和時代に献じられた昭和燈が「消えずの火」として燃え続けています。
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灯籠堂を左手に出て奥に廻ると、奥には大師様御入定の御廟所
弘法大師が眠る御廟(ごびょう)が静かに建っています。

静かに手を合わせます
蝉の声がシャワーのように降り注いでるはずなのに、
何故か独特の静寂の包まれてるように感じます。
燈籠堂の裏手、弘法大師御廟の左側に「納骨堂」があります。
弘法大師が入定した聖地に納骨することは、古くから行われていて、

毎年全国から霊骨や遺髪(いはつ)が納められるそうです。
また、燈籠堂の地下にも、奥の院に納骨した方が奉納された、5万体もの小さな

弘法大師像が並べられています。
納骨された方については記録が残されているそうで、かく像の下には番号が

刻まれていました。
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お参りを済ませなにかほっとした安らぎを覚えながら、奥の院を後にしました。

生きる力をいただいて・・・

 

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一の橋からはバスを利用して、町の中心部金剛峯寺前に戻りました。
最後に、是非寄りたいと思っていた霊宝館へ寄りました。

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高野山内の貴重な文化遺産を保存展観する施設として大正10年(1921年)に

金剛峯寺によって開設されました。

現在では国宝21件、重要文化財143件、和歌山県指定文化財16件、

重要美術品2件などを収蔵し、5万点以上を数える収蔵量を有するそうです。
そうなんです、高野山内の国宝、重要文化財は此処を訪れなければ

拝観する機会が無いんですね。

もちろん写真撮影はできません、が商業用の場合いには申請をし手続きをして

許可をもらうようです。

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お昼近くまで過ごした高野山を下ります。

今夜の宿泊は滋賀県彦根のホテル、途中に法隆寺へ寄り道しながら

旅は続きます・・

平成31年 写真保存を兼ねてブログ 4月徒然 春 (11)     神秘の透明花になった!!

4月28日(日)AM4:40

なんでもかんで最後の言葉になりますが、平成の最後の日曜日の朝を迎えました。

無風、快晴。

日差しのなかったこの2日間のためか、空気はひんやり。

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夜間飛行の名残り、飛行機雲が薄すらと朝焼け雲となってます。

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昇ってからまだ3時間くらいの月が、

東南の空に久しぶりにくっきりと姿を見せてます。

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日の出のころから北風が吹きこみだし、快晴の空とは裏腹に肌寒い夜明けとなり、

鉢植えのライラックの香りも漂っては来ませんね。

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22日夜明け頃に、メダカの水鉢で白い蕾を付けにょきっと顔を出して、

日の出とともに水上に小さな白い花を咲かせた水草「ナガバオモダカ

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2日ほど前に水を補給し水面下に沈んで、水中花で咲いていましたが、

ふっと覗くと「あれ?花が無い!」

今一度、よ~くのぞきこんでみると、水中の花が…透明花に!

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白の色素が抜けてしまい、透き通ったガラス細工花に変身していたんです。

水面ぎりぎりに咲いた花はまだ白さを持ってますが、

これも少し透明化が始まってるようです。

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水中花としては清流の花、水中、水上で咲く梅花藻(バイカモ)がよく知られてます。

(パンフ拝借フォット)

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でも、ナガバオモダカは、冬の時期は水中で短い冬葉をつけて越し、

気温が高く(水温が高く)なると、水面上に長く葉や半茎を伸ばし白い花をつけ、

水中開花の花ではないんです。

寒冷の高地に咲く、雨や露に濡れると神秘的な透明花となる「サンヨウカ」は

不思議な花としてよく知られ、私も尾瀬へ道で、

早朝に一度だけ見たことがありました。

なぜ透けるのかは、水分と光の関連などがあるようですが、また詳しいことは

判っていないといわれます。

(パンフ拝借フォット)

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そうなんです。

ナガバオモダカも、いろいろネットで調べてみましたが、

水中で透明になった、との記述は見つけられてません。

メダカ鉢の水草「ナガバオモダカ」、

不思議花、ガラス細工のような神秘の花、ますます透明になって

水の中に溶け込んで、消えてゆくのかもしれませんね。

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そして29日(月)

いよいよ平成も今日と明日ですね。

曇り空で明けましたが、すこし青空も見えてます。 

 

 

思い出旅 高野山へ (3)

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

今夜の宿泊、宿坊は平安時代に創建された「総持院」。

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前は壇上伽藍境内、お隣は金剛峯寺でメイン通りより
一本山側の閑静な所にありました。

門を入っての前庭に、樹齢千数百年と言われる白藤棚が大きく枝を広げてます。
花の時期は素晴らしいでしょうね。

(写真左 藤棚)

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主玄関から入ると右手に、見事が貝細工を施した家具調度品が置かれた談話室を兼ねた、応接室が有り、
冷たい抹茶とお菓子の接待でを受けました。

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リニューアルされたと聞いてる宿坊内は、たいへん綺麗に整理整頓され隅々まで清掃も行きとどいた感じで、清潔感あふれる宿泊施設ですね。

部屋も今風の和風旅館と変わらぬ設備で、
昔乍らの,襖で仕切られた宿坊風情を楽しみたい方には,
物足りないかもしれませんね。

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お茶とコーヒーが有ります。

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案内してくれた、若いお坊さん。

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囲碁の対局や金剛峯寺で行われた将棋名人戦の、羽生名人や対局者な宿泊した

そうです。

大浴場で汗を流し、さっぱりとして精進料理の夕食へ。
正座や胡坐が苦手の旨伝えると、障壁画や襖絵の見事な大広間を仕切った部屋を

用意してあり、椅子席にてゆっくり精進料理を頂くことができました。
温かいものは温かく、季節に合わせた冷たい料理は
冷たい内にと、若いお坊さんが料理を運んでくれ、
並べ終わると料理の説明をしてくれました。

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精進料理でよく言われる、見た目、肉やお刺身そっくりに料理されたもの

はほとんどありませね。
色々な野菜、根菜、穀物などそれぞれの素材をいかし、
だしは昆布やシイタケなどでとるそうで、精進懐石料理ですね。

英訳では(ベジタリアン・クッキング)
高野山宿坊として代表的なのが、各宿坊独特に造られる「ごま豆腐」なんだそうです。
もちもちとした思ったよりも濃厚な味、美味しかったです。

(左上 ごま豆腐)
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高野と言えば「高野豆腐」がすぐ思い浮かびます。
高野山は、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になるとか。
この厳しい寒さが800年ほど前に、俗に言われる「高野豆腐」を生みだした
と言われます。
私が育った北海道の町でも、この乾燥した豆腐は馴染みの豆腐でした。
ただ、高野豆腐ではなく、「凍み豆腐(しみどうふ)」と呼んでいましたね。
町は東北仙台藩の分家の開拓地で、祖母の話では、かなり昔からあったけど、

特に戦国時代伊達正宗公が戦時携帯食料品として造らせた、て言ってました。
高野豆腐の名称は、大人になってから知ったと思います。
ラガービールで喉を潤し(ははは・・生は御禁制?)、
辛口の般若湯(冷酒)を頂きながら箸を進めました。
そうそう、高野豆腐は夕食には出なかったと思います。

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実はジュンサイ

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 そして締めくくりは、冷やした桃のゼリーと葡萄でした。
外国の方にお坊さんが「ベジタリアン・クッキング」と
説明してたね。

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8月1日(月)
宿坊での一夜が明け、早朝勤行に参加するため、本堂に入りました。

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本堂内はたいへん広く、ご本尊は阿弥陀如来様です。

用意いされていた椅子に落ち着き、近くに有る高野山6時の鐘が時を告げると、

4人の僧による読経が始まりました。
聞きなれている葬儀や法要の読経と違い、ゆっくりと綺麗な低音で読経は始まります。
時折、低くなが〜く打ち鳴らされるシンバルのような楽器、(にょうはち)の響が

読経に調和して独特の雰囲気に包まれます。

なにか自然に無心になり目を瞑り手を併せてます。

一番前の列に腰かけている、欧米系の男女が二組も神妙に手を合わせ祈りをささげて

ましたね。
やがて読経のトーンがすこし高くなり、リズミカルになって
そして、しだいにゆったりとした読経となってゆき、朝の勤行は終わりました。

朝の涼しい空気のなか、心が洗われたような清々しい気持ちになりました。
そのあと住職の法話、お坊さんの案内で本堂内を拝観して朝食となりました。

(朝食膳には高野豆腐が一品出されてました)

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まだ朝の日差しが柔らかい内に、仏教界の聖地とも言われている、高野山奥の院

お参りします。
車は宿坊に置かせていただいて、朝の散歩がてら歩いて奥の院へ向かいました。

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朝の街中は、日本人より外国の方々が多く行き来してましたね。
アジア系の方々はほとんど見かけなかったかな。

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ぶらぶらとお寺をのぞかせていただいたりしながら、
30分程で奥の院入口の一の橋へ着きました。

高野山の最高の霊域、神聖地。
そして今は、世界的に知られた観光霊域地となっている。

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続きます・・