歩いて再び京の都へ 旧中山道69次夫婦歩き旅  第33回 御嵩宿~太田宿 前編

*ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらもカミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです*

 

平成30年(2018年)11月10日、PM4:55 

第32回の旅はここで足止めとしました。

願興寺前が桝形となって街道は続きますが、正面が名鉄広見線御嵩駅。

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 次回の旅は翌春に再開と思ってましたが、2018年暮れになって、

なんとこんどは右下腹部ヘリニアの症状がでて、大学病院の診断で手術を

受けることになったが、ただし、大変に混んでるため手術は4月に。

年は明け、平成31年(2019年)を迎えます。

4月16日無事手術は終えましたが、術後のリハビリなどもあって
街道旅はしばらくお預け。

そんななか平成は終わりをつげ時代は移り変わり、新たな令和の新時代へ。

5月中、術後の一か月診察にて完治診断があり、旅は何時でもOKとなったが、

 足が重いとか・・なにか愚図愚図していたら、・・・

なんと、21日になって、カミさんの兄から「東海道完走」のメールが写真とともに

送られてきた。
前々から私たちの街道旅に関心を寄せていたが、数年前に起こしてしまった

バイク転倒で、長距離歩きや激しい運動は無理なんだ、と残念そうに言っていた。
その後、日頃使ってる自転車でならと訓練を始め、新たに折りたたみ式を購入。

この5月に挑戦していたのが、10日間での完走を果たしたそうです。

再開を躊躇していた街道でしたが、義兄の刺激をうけて?、

よ~し、こちらも再開するか!
来週はカミさんの内職仕事が入りそうなので、そうとなれば善は急げ、

カミさんに声をかけると、あっさりOK。

ばたばたと宿を探し、まだ長距離には自信は無いが、無理はしない、

途中ギブアップOK。まずは動いてみよう、で街道旅の再開へ。

 

令和元年5月24日(金)、快晴の夜明け。

夏日がしばらく続く予報。炎天下の街道旅になりそうだ。

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カミさんの仕事終えを待って、12時半マイカーで出立。

中央高速を休憩を挟みながら341km、約6時間を走り、夕闇の迫る前に

 岐阜県可児市の宿へ投宿。

 

令和元年5月25日(土)快晴、真夏日の予報になってる!

少しでも涼しいうちに一歩をと、名鉄新可児駅AM8:008発の電車で、

 前回足止めの御嵩駅前へ。

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再び立つことのできた、懐かしき中山道日本橋から49番目、御嵩宿。

(右手の道を歩み來し、街道は左手へ曲がって進みます。前回はこの場所で足止め)

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出立ショットを収め、令和元年(2019年)5月25日(土)AM8:30

再び歩いて京の都へ! 中山道夫婦歩き旅、第33回の旅立ち。

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 今日の歩き旅、目標は

50番目、伏見宿 御嵩宿より1里余 4.6Km 日本橋より 96里27町 379.9Km

51番目、太田宿 伏見宿より約2里 7.5Km 日本橋より 98里27町 387.8Km

御嵩宿~3里 約12kmです。

前回寄れなかった、旧脇本陣跡の「中山道みたけ館」はまだ開館前でパスし、

1里余(約4.5km)先の伏見宿へ向かいました。

 

 駅前は桝形になっており角に、現在、本堂解体修理が行われている

願興寺があります。

創建は平安時代初期の弘仁六年(815)に最澄薬師如来(国重文)を彫り、

小堂に安置したのが始まりといいます。
平安末期と戦国時代に二度の兵火に遭っていますが、幸いにも本尊の薬師如来像は

じめ諸仏像は焼失を免れ、天正九年(1581)近在の農民の発願により

再建されました。

本尊仏「薬師如来座像」は秘仏であり、子年4月にご開帳となります。
蟹薬師の由来は近くの池から一寸八分の薬師如来が無数の蟹の背に乗って現れた

という伝説により蟹薬師と呼ばれる天台宗名刹です。
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一旦境内へ入り、覆われてる本堂周りを一回り。

仮本堂(写真右)の小さなお堂)にお参りして、願興寺を後に。

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お寺の西側に出、先に進むと左手に神明神社があり、

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おっ、いいね~、食事処のようですが看板は無し?

金、土、日の三日間だけの営業??

暖簾が下がってるから朝からやってる様ですね。

f:id:hansui:20190529070806j:plain中山道は、時計塔を持つ洋館風の「宝石・メガネの原」と原写真館(両館は親戚?)

の信号交差点を左折して行くと・・

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街道らしい雰囲気の道へ変わりますが、西へ向かう街道は日陰がなくなり、

じりじり背中から暑い日差しが照り付けてきます。

持参飲料はガンと凍らせたペットボトルに水と、レモン水。

水分補給はこまめに、今日の旅の合言葉ですね。 

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しばらく進むと左角に、文政4年(1821年)建立の「笠と火袋」が木でできた

常夜燈が建つ十字路を右に曲がり、

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さらに進んで、右手に秋葉山常夜燈を見ての先、西屋敷交差点で国道21号に入り

左折して西へ向かいます。

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擦れてほとんど読み取れない自然石道標(街道書記)をみてすこし西へ行くと、

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蟹薬師に関係する逸話が残る鬼の首塚がある。

塚の上に建つ木造の社には、「鬼首塚」「関ノ太郎首塚」と刻まれた新旧の石碑が

祀られている。鎌倉時代に「関の太郎」あるいは「鬼の太郎」と呼ばれる悪人が

この地に住み着き、その悪業に手を焼いた住民が地頭にその退治を懇願する。

地頭が蟹薬師に悪人退治の祈願をしたところ、関の太郎が女装して祭礼にやって

来るとのお告げがあり、見事にその首を討ちとることができたという。

その首を京に運ぼうとしたが、急に重くなって持てなくなり、そこに塚を造って

その首を葬り鬼の首塚と呼ぶようになったという。(解説板)

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 鬼の首塚の隣には、

草枕 むすぶまもなき うたたねの ゆめおどろかす 野路の夕立」

と刻まれた正岡子規の歌碑が建っている。

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首塚から少し進むと大庭交差点。その手前右手に「御嶽神社」が祀られてます。

大きな石碑や灯篭に挟まれたお堂には「御嶽神社御分霊」の額が下がってます。

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 大庭交差点を過ぎて、150mほどで旧道は右に分岐し、

田圃に水が張られた車もほとんど通らない道はすぐに国道21号に合流する。

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左手の可児川沿いの国道21を200mほど行くと顔戸(ごうと)の信号。

付近に応仁の乱時代の顔戸城址があるようでしたがパスして進みます。

信号を左手に可児川を渡って行くと、名鉄顔戸駅があるようです。

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さらに可児川を見ながら400mほど行くと再び旧道が右に分岐し、

中山道と彫られた石碑があり、側面には比衣(ひえ)の一里塚跡と彫られてます。

単なる盛土になってるだけですが、お江戸日本橋から96番目の一里塚(跡)です。

f:id:hansui:20190529120214j:plain石碑の分岐から右手へ行き、東海環状自動車道の下を潜って

「右御嶽宿 左伏見宿」と刻まれた道標を過ぎると、国道21号に合流する。

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 国道へ合流し、3,400mほど進むと右側に可児警察署伏見駐在所があり、

中山道の方向を示すものはありませんが、街道書では、国道から分岐して右手への

道筋になってます。

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右に入ると街道書には駐在所裏手の森は「高倉山古墳」と記されてますが、

なにも案内が無く判別がつきませんでしたね。

少し先で左手へ曲がった田圃沿いの道地面に、江戸へ向かっての中山道

プレートが描かれていてました。

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 両側が田圃の道を行き、少し坂道を上がると国道に合流します。

江戸方面からは樹の陰で見えませんが、国道合流地には江戸くだり方向の

中山道標識が建ってます。

合流地が伏見宿入口の桝形という説もあるようですね。

ここから伏見宿に入ったようです。

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国道21号は御嵩入り口で新国道21可児御嵩バイパスが分岐してるので、

伏見宿街中を通る国道は車も少なく、静かなたたずまいの街並みです。

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左側に伏見公民館があり伏見公民館前の植え込みに、

代々岡田与治右衛門が勤めた、伏見宿の本陣跡の標石、尾張藩の領界石が

建っています。

御多分に漏れず、1848年(嘉永元)年の大火で本陣は焼失し、

あと再建はなかったそうです。

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 伏見宿は江戸から50番目の宿場で、御嶽宿と太田宿の間に設けられた間の宿で

あったが、御嶽宿が開宿してから約90年後の元禄7年(1694年)に、

木曽川の流れの変化から、渡し場が太田と今戸に変更になったのに伴い、

太田の対岸にあった土田宿が廃止されたため、中山道の宿場として新設された。

兼山道と犬山道が分岐する交通の要衝にあたり、更にすぐ近くを流れる木曽川

水運を利用して新村湊から多くの物資が運び出され、賑わいを見せたという。

尾張藩領だった1843年当時、

  家数    82軒 (うち、本陣1、脇本陣1、旅籠29)
  人口   485人 (うち 男230人、女255人)

f:id:hansui:20190529144957j:plain街中は歩道部分が茶褐色に彩色されて歩き易く、本陣跡碑から約140m歩くと

伏見交差点で、交差点右側はトイレが備えられた一本松公園になってます。

街道に面した処に「右御嶽」、「左兼山 八百津」と刻まれた兼山道道標が

建っている。(写真の左石柱)

兼山道というのは、ここより北東方向にある、斎藤道三の養子斎藤正義が築いた

兼山城に通じる道であった由。

美濃路へ入ると、とたんに戦国時代の武将の名が頻繁に出てきますね。

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伏見交差点を左へ行けば洞興寺があり、伏見には宿場時代、数多くの飯盛女が

働いていたが身寄りの無い人も多く、懇ろに葬ったといわれる多数の石仏が

祀られた「女郎塚」と呼ばれる塚があるのですが、寄らずに足を進めます。

伏見交差点をすぎて100mほどに、旧伏見郵便局舎(建物左)を利用した

ミニ観光案内所と、連なって卯建つのある旧旅籠の三吉屋で、

文政7年(1824年)に伏見宿に駱駝が来た事に因み、建物には

お休み処「らくだ」の表示が掲げられています。

ラクダは、オランダ商人が幕府献上品として輸入したが、幕府が受け取りを辞退

したため、興行師の手に渡り文政7年(1824年)伏見宿にやってきた。

興行師が病になり三吉屋に二日間滞在し、滞在中の二日間に2千人もの人びとが

見物に集まり、大盛況を呈したという。

旧旅籠三吉屋は建築年代不明ながら、旅籠のほかに生薬「感応丸」を商い、

近江の日野商人が取り扱ったことにより、全国規模で販売される人気商品となった

という。 

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三吉屋はお休みどころとなっていたので、覗こうとしたがカギが掛かっていて

「入れないね」と話してたら、隣の案内所から女性が出てきて、

開けますから是非寄ってくださいと進められて、中へ案内されると、

旅籠つくりの建物内では、展覧会などにも出展されてるという同好会の

お二方の、素敵なパッチワークキルトの作品展をされていたんです。

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裁縫関連の2級技能士の資格を持ち、最近着物帯を利用したバック造りを始めた

カミさんは素敵な作品に大喜び。

作品を一点、一点説明をいただきながらゆっくりと拝見させていただき、

見終わって隣の旧郵便局(観光案内所)でお茶やお菓子をいただきながら、

さらに作品の話、旅の話と盛り上がり、いいひと時を過ごしました。

帰路についた車の中でも、カミさんは「素敵なパッチワークキルトだったわね」と

いい思い出になったようです。

皆さん、ありがとうございました。
街道へ戻り先へ進みます。

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右手に灯篭が立ち。祠に道祖神が祀られてます。

そういえば御嵩宿を出てから、木曽路ではあれほど出会った、道祖神馬頭観音

撤去されたのか、全く見かけませんでしたね。

よく、地域開発の際にお寺や神社など一か所に集められてるのを目にしますが、

どこかに移動されてるのかな?

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更に約200mほど行くと、交差してくる道の角に大きな石碑があり、

街道書によれば、かなり特殊な字体は「南無阿弥陀仏」と刻まれ、
槍ヶ岳を開山した江戸後期の僧・播 隆上人の名号碑と記されてます。 

伏見宿の京方口はどこなのかわから無いうちに、宿場は終わってるようです。

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広重画 中山道伏見宿

どの辺を描いたのでしょうか??

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街道は緩い下り道となり、ほどなく右手に御嵩町の大きな案内板と、そばに

正岡子規の句碑がありました。

明治24年松山への道中、中山道を歩き、伏見宿に泊っているそうです。

「すげ笠の 生國名のれ ほととぎす 」

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 句碑から150m強歩いたところが、斜交いに交わる上恵土交差点にで、

大正4年(1915年)建立の「右太田渡ヲ経テ岐阜市ニ至ル約九里」

「左多治見及犬山ニ至ル約4里」と刻まれた犬山道道標があります。

太田の木曾川は大正4年ころは、まだ渡し船だった。

あの広重画の伏見宿は、犬山道へ入ったところの一本杉付近、との説があるそうです。

(広重は中山道を旅してない・・の説の元にもなってるようですね)

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交差点を渡り、右手の太田への道へと旅は続きます。


 

写真保存を兼ねたブログ 5月徒然 風薫る 都立小金井公園 江戸東京たてもの園(1)

5月19日(日)、カミさんが50年来の仲良し組と1泊2日の短い旅へ

行ったので、久しぶりに一人での外出。

春先に教えて頂いていた都立小金井公園内に併設されている

江戸東京たてもの園」へ行ってみました。

小金井公園は都西部の小金井市小平市西東京市武蔵野市にまたがり、
北側は有名な小金井CC,南側は名勝の指定を受けてる玉川上水沿いに位置し、

面積約80ヘクタール、上野公園の1.5倍といわれる広大な公園です。
この公園の前身は、昭和15年紀元2600年記念事業で計画された小金井大緑地。

戦後、東宮仮御所にも使用された地の半分強を、29年に都市公園として

開園してます。

武蔵野の面影を残した、緑豊かな西一角に併設されてるのが

1993年(平成5年)開園した歴史系野外博物館、「江戸東京たてもの園」です。
敷地面積は約7ヘクタール、園内には江戸時代から昭和初期までの歴史的建造物を

移築し、27棟の復元建造物が建ち並んでいます。

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案内文によれば、

江戸東京たてもの園ビジターセンター」となっている「旧光華殿」から入園。

旧光華殿(きゅうこうかでん)は、1940年(昭和15年)皇紀2600年

記念式典の会場として、現在の皇居外苑に建設された仮設された式殿です。

式典終了後は、仮設の建物である光華殿は解体され、翌昭和16年7月に現在地に

移築し、一時期には学習院中等科小金井校がこの地に置かれ、

西隣りに東宮御仮寓所が設けられ、跡地には記念碑があります。

同園への入場口として使われると同時に、特設展示室や売店、Caféなどの施設が

あります。

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ビジターセンターを北側に抜けると園内へと入ります。

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エントランス広場には、皇居内旧本丸跡にあった江戸時代の「時の鐘」に替わり、

空砲により正午を通報した「午砲」が据え付けられてます。

夕刻に所用があるため、次回カミさんと来た時に各館の室内見学をすることとし、

今回は外観をじっくりと楽しむ回り方に決め足を進めます。

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 広場から正面に目につく建物は、

【都有形文化財】旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおんたまや)

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3代将軍徳川家光の側室お振の方の霊廟。

慶安5年(1652年)、尾張徳川家に嫁いだ家光の長女千代姫が生母お振の方の

霊屋を自証院境内に建立した。
 建物は禅宗様と和様の折衷様式で、柱・組物・桟唐戸さんからとや須弥壇

などには禅宗様が、蔀戸や高欄の擬宝珠、板張りの床などには和様の意匠が

用いられている。
 明治になると荒廃してしたが、昭和32年西武鉄道によって霊屋は買収され、

赤坂プリンスホテル内に移築され、平成7年、江戸東京たてもの園に移築・復原された。

(解説文)

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隣りには将軍徳川家の菩提寺である寛永寺に、八代将軍徳川吉宗の没後、

1751年(寛延4)献上された寛永寺灯篭

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寛永寺灯篭の向いには、1902年(明治35年)港区赤坂七丁目に建築さてていた、

  高橋是清邸(たかはしこれきよてい)。 

共立学校(現・開成中学校・高等学校)の初代校長、特許局の初代局長、貴族院議員

日銀総裁、大蔵大臣、農商務相、第20代 内閣総理大臣など歴任。

「だるま宰相」とも愛称され、明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った

高橋是清の住まいの主屋部分です。
解説文によると、

総栂(つが)普請で、洋間の床は寄木張り。

2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11年)の

2・26事件の現場になりました。

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回り込むとせせらぎの音も心地よい庭園です。

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和風邸宅に窓ガラスを使った初期の段階の家屋。

暗殺の舞台となった2階部分。

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ふんだんに使われてる窓ガラスが初期のころの手造りの口吹きガラスで、

表面が微妙に波打っているように見え、“ゆらめき”映り込みが風景が一味違った

風情を醸し出してます。

以前に訪れたことのある、旧日光田母沢御用邸で体験したのを思い出しましたね。

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大正期の実業家西川伊左衛門が隠居所、宗徧流の茶人、山岸宗住(会水)が建てた

大正期の茶室を見送ると、伊達家の門(だてけのもん)が目に入ってきます。

奥州伊達家の一族、旧宇和島藩伊達家が、大正時代に東京港区白金二丁目に建てた

屋敷の表門です。

起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような

形をしています。

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番所

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総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、

宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されています。

両端に伊達家の先祖に当たる伊達朝宗が、源頼朝より下賜されたと

言われる家紋「三つ引き両紋」

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そして中心の家紋は伊達家の象徴家紋「竹に雀」を模した家紋です。

解説によれば、宇和島伊達家の竹に雀紋は、とくに「宇和島笹」と称されている。 

竹笹で象られた丸形のなかには口を開けた「あ 阿」形と口を閉じた「うん 吽」形で

向かい合う二羽の雀が配される。

「あうん 阿吽」は相対する二つのもの、あるいはそれらを包摂する万物の根源の

象徴であるとされている。

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「竹に雀」紋は、デザインは少し違いますが、明治維新後に奥州伊達亘理藩が

一団となって移住開拓した北海道伊達紋別(現伊達市)の地。

我が懐かしき母校「北海道伊達小学校」の校章紋でした。

ここで目にするとは・・・

センターゾーンから昔の下町の風情を楽しめる東ゾーンへと足を進めます。

 

 

写真保存を兼ねたブログ 5月徒然 風薫る 旧古河庭園と六義園  (デジブックアルバム)

風薫る、の時期。

すこし青空の少ない16日でしたが、久しぶりに電車に乗り

山手線駒込駅で下車、駅北側の東京都北区西ヶ原の旧古河庭園へ。

せっかく近くへ来てるので帰りは少し足をのばして、駒込駅の南側文京区駒込

六義園へも寄り道。

どちらも初めて行きましたが、眼にしみいるような初夏の新緑にすっぽりと

身をゆだねたホンワカ散策を楽しみました。

 

旧古河庭園」は、初夏のこの時期は春バラの季節。

石造りの重厚な洋館と、西洋庭園、日本庭園の見事な調和で知られる、

左右対称の幾何学模様が美しいフランス整形式庭園で、約100種199株のバラが

華麗に咲き、北側の小高い丘には洋館、斜面には洋風庭園。

日本庭園は、武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かした造り。

2006年には、数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在として

国の名勝指定を受けています。

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洋館正面玄関(旧古河邸)

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南側の洋風庭園の薔薇園へ回ります。

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旧古河庭園デジブックアルバムにて、

デジブックルバム

www.digibook.net


 旧古河庭園を後に駒込駅へ戻り、近くの食事処で昼食をのんびりと頂き

少し南へ下がるとすぐが、六義園北入口(染井門)でした。

六義園は案内板によると、

「元禄8年(1695年)、五代将軍・徳川綱吉より下屋敷として

与えられた柳澤吉保が駒込の地に武蔵野の一隅に池を掘り、山を築き、7年の歳月をかけて「回遊式築山泉水庭園」を造り上げた。

明治時代に入り、岩崎弥太郎氏(三菱創設者)の所有となった当園は、昭和13年

東京市に寄付されて一般公開されることになり、昭和28年3月31日に

国の特別名勝に指定されました」と案内されてます。 

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園内散策はデジブックアルバムにて、

 

デジブックアルバム


一度は訪れたいと思っていた二つの庭園。

初夏の風、新緑に包まれてのいい散策日でした。

両園ともモミジ、楓類も多く見られ、

「秋の紅葉時期に是非来てみたいね」 とカミさんの呟きでした。

写真保存を兼ねたブログ 5月徒然 風薫る ヒマラヤの青いケシ

5月11日(土)、所用で立川市方面へ行ったので、すこし回り道をして

東大和の都薬用植物園へ寄ることにして、デジカメ積んで車を走らせました。

所用を済ませ、AM11:00頃植物園へ到着。

植物園へ向かう車を走らせた、立川方面から狭山湖方面へ向かっての通りは、

大きなウォーキングイベントが開催されてるようで、

長い長い列が延々と続いてましたね。

その一部の方々が寄り道をしてるようで、植物園内も人で溢れてました。

その上に薬科大学の講習も開催されてるようで、若い男女も大勢散策中。

特にケシ園周りは混雑してました。

 

花名札には「ディケロステンマ イダマイヤ」とありました。

咲き始めると、花先(花びら?!)が、少し緑を帯びた白に変わり、
中から、別の白い花びらが顔を出します。
2~3日すると、外弁がくるりとカールし、赤い部分がふっくらとして

くるそうです。

ユリ科 北アメリカ北西部原産

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セアノサス  クロウメモドキ科 

アメリカが原産 別名 カリフォリニアライラック

薄いピンクなそ何種かあるようです。

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花火のような咲き方は、

セントーレア モンタナ(宿根矢車草)

キク科 原産地 : ヨーロッパ

黄、白、ピンクなどもあるようです。

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小阿仁千鳥(コアニチドリ)

ラン科 ヒナラン属 日本固有種の多年草
北方領土を含む北海道から本州の関東地方にかけて分布し、

湿原や岸壁に生える着生種。
和名の由来は、発見地の北秋田市阿仁地区(旧上小阿仁村)に因む。
環境省のレッドデータリスト 絶滅危惧II類(VU)に登録。

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アカヤジオウ

イネ科 中国原産 

古くから漢方薬用植物として栽培される多年生草本植物

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イチハツ(一初)

アヤメ科アヤメ属 原産 中国 江戸時代に渡来

特徴、見分け方: 外弁の基に白色の毛状の突起がある。

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カキツバタ

特徴:見分け方 花弁の弁の元に白い目型の模様がある。

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おなじみ、シャクヤク

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ヒメカンゾウ ユリ科

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アイスランドポピー ケシ科

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シャレーポピー ケシ科 ヨーロッパ原産

ヒナゲシの園芸品種

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ハナビシソウ

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そして最後は、お目当ての「ヒマラヤンブルー」と言われる神秘的な色花

「青いケシ(ブルーポピー)」

本場のヒマラヤや中国雲南省では、コバルトブルー・紫・黄・赤など

色々な色があるそうです。

標高3000-5000メートルの高地に自生する花。

南アルプス山麓の標高1500mの大鹿村・大池高原が良く知られ、

ツアーが組まれているほどですね。

当然、暑さには弱く、ここでは温室ならぬ併設の冷房室で管理されてました。

冷房室は入室禁止。鑑賞はガラス窓越しでした。

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熱帯スイレン

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季節の変わり目、春から初夏への山野草もほぼ終わっていた薬草園でしたが、

一番色合いの良かった時期の青いケシに出会え、いい寄り道だった・・で帰宅。

写真保存を兼ねたブログ 5月徒然 風薫る初夏の多門院の花 

5月10日、リハビリを兼ねて花の多門院まで花散歩・

牡丹は終わり、シャクヤクシャクナゲは名残り花。

目的は、朴の木、栃の木、ユリノキの花。

オオムラサキツユクサ

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コバノタツナミソウ

しそ科タツナミソウ属の多年草で、仲間は」世界におよそ200種存在している由、

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唐種招霊(カラタネオガタマ

モクレン科 / オガタマノキ属 中国南部原産

花は小さく寿命は短く、1~2日で散ってしまう。

バナナのような甘い強い芳香をもっているらしいが、少し離れていたので未確認、f:id:hansui:20190511150551j:plain

シャクナゲは名残り花

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牡丹は終わり、シャクヤクも名残り花

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アヤメ

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遠くへ、遠くへ飛んで行け~モミジの種は蝶ねじのようなプロペラ形

これが一斉に飛び立ったら総観でしょうね。

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八角蓮の花がまだ咲いている

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貫禄のマムシクサ

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エビネも残り花

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鈴なりのサクランボ

子供のころ田舎の庭にサクランボの木が一本あって、

木に昇ってはよく食べたけど、二度ほど枝が折れて落っこちたけ。

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狛寅(犬ではありません)

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なぜか「鬼の悟り」と言うそうです。

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輝くツツジ

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おや、このシランは上向きに咲いてるよ、

色合いもいいですね、

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黒花蝋梅

アメリロウバイというのがあったが、花の開き具合がちょっと違うかな。

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お目当ては、見上げる高い木の花、

朴の木の花

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赤花の栃ノ木

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秋の黄葉も美しい、チューリップのような「ユリの木」の花

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そして明日への木の花は・・タイサンボク

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ブログの写真を、そのままデジブックアルバムに。

 

写真保存を兼ねたブログ 5月徒然 初夏の庭 

春の異常な低温、高温の繰り返しの影響か、なかなか咲かなかった、

旧枝咲きタイプクレマチス、ダッチィス オブ エジンバラ

大輪で八重咲きの花形はバラにも負けないくらいの存在感がありますが、

本来の姿には程遠いちょっとな異常咲き方をしていましたが・・

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そのあとにも次々と咲き始めたが、花びらも少なく一部は葉に変身でしたね。 

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ようやく気温が上がり初夏の陽気を迎え、ダリアのぽんぽん咲きのような

本来の花姿も見られるようになってきました。

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これが本来の、ダッチス オブ エジンバラの姿、

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異常な咲き方も、それわそれで、ダイナミックでいいかな。

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 クレマチスの二番手花は、新枝咲きタイプのフルディーンです。

昨年よりだいぶ早い一輪開花で、ほかの蕾は固そうでまだまだ先ですね。

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 十数年咲き続く、カンパニラ ケントベル

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ルリニワゼキショウも一株フル咲きです。

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プランターでは、花園でいただいた種を蒔いたら、レンゲも一輪咲きだしてる。

蕾も沢山見えてるので、プランターレンゲ畑になるかな。

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小さく可愛らしいのは、ミニバラ・レンゲローズ

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鉢上で、1本木立て仕立てにしてのオールドローズ(名称は不明)

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庭の薔薇で一番先に咲いた後、二番花と続かなかった、

テス・オブ・ザ・ダーバーヴィルズもようやく次々と咲きそうです。

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今年の新顔も、もうじきだね、

(咲いたら名前を記してあげます)

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そして昨日咲いたつるバラは、スノーホワイトです。

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今年は遅いな~と思っていた、ヒメヒオウギ(イネ科)がシレネに埋もれながら

顔を出していた。

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鉢植えの色花、桃色花もまだ健在。

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5月も10日、週末は夏日が続きそう。

さあて、明日の楽しみは・・・・

 

写真保存を兼ねたブログ 山野草展は楽し、神代植物公園 (4)

続きのブログです。

車を停めた蕎麦処の池の鯉。

まるまる太った1m以上もある大鯉が、うじゃうじゃ・・ 

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山野草展、大温室のランの部屋の一部のラン類はデジブックアルバムに。

デジブック



野外、室内の山野草展を休憩をいれながら2時間ちかく楽しみ、
園内をぶらぶらしながら、やっぱり寄り道大温室。

目についた花々

東南アジアに分布する花、シクシン

朝の咲き始めは白、午後には赤く色づいてくる。

実は漢方薬に利用されるそうです。

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咲いてましたね、アリストロキア・サルバドル

あの映画、スターウォーズのダースベイダーに似た花、で有名になった花。

何年か前に他の植物園で咲いてる、との情報があり初めてみた花でした。

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プルメリア、オブツサ種 

キョウチクトウ科プルメリア

原産国 キューバ・メキシコ

年間平均20度以上の多湿の環境でないと開花は難しいそうです。

花は良い香りがします。

なんともいい、色合いでパチリ。

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ブラックキャット(タッカ・シャントリエリ)

別名 デビルフラワー

田代芋(たしろいも)科

(この植物を台湾から初めて 日本に持ち込んだ「田代さん」の名前にちなむ)

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小笠原諸島などでで生育するヘゴ科のシダ、

幹はときに10メートルを超えの「マルハチ」

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名の由来にもなっている、大きな葉茎が落ちると、

葉柄後が「八の字」を逆さまにしてる悪戯書きの面白い模様が現れる。

(写真を上下逆転)、確かに八の字だね。

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ベコニア室、熱帯スイレン室などを回りそろそろ午後も夕刻へ。

牡丹、藤の花は終わって、バトンたちバラはもう少し。

ツツジ園、シャクナゲ園を回りながら、深大寺境内を通って、帰路へ。

咲き始めた栃の木の花。

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もちつつじ  四手車(シデクルマ)

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もちつつじ 胡蝶揃

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 おおやまつつじ・鳳凰殿

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 シャクナゲの花々、 

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 深代寺境内の、しだれカツラ(桂)

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なんじゃもんじゃの大木

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ゆっくりくつろいだ 初夏の半日。

薔薇の季節のまた来たいね・・・で山野草展は楽し「完」