歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅  (1-3) 板橋宿へ 後編

平成28年6月18日、3年半をかけて東海道五十三次を旅し、京の三条大橋に立ちました。 そして夫婦は旧中山道69次の旅、再び京を目指して歩いています。 >江戸から一番「板橋宿」に入ります。 9月17日(土)続き

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板橋宿は江戸方面から平尾、仲、上の三つの宿地があり、総称して「板橋宿」となり、 本陣、1 脇本陣、3 旅籠、54、宿内住民2448人(1841年頃)を有した南北に長い宿場町だった。 江戸を達つ各街道は日本橋が出発起点ですが、東海道の 品川等のように、ここ板橋宿が中山道の江戸を離れる 実質の出発地。 見送り人もここまでで大いに賑わったと言われます。 高速道高架下、国道17号を信号で渡ると平尾地区。

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足を進める平尾宿は、いまは電柱も地下になった、すっきりとした商店街に生まれ変わってます。

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右手観明寺入り口に、創建寛文元年(1661)と言われる 庚申塔がありました。

 

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今では貴重な存在となった、唐破風の玄関を持つ 昔ながらの銭湯。

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手前脇の道を入ると、平尾脇本陣・豊田家跡。 あの近藤勇が捕らえられ、処刑されるまで幽閉されていたそうです。 今は大きなマンションが建ってます。

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平尾には江戸から2番目平尾一里塚があったようですが、住宅化も進みいまは確認できないようです。 電柱、電線のないすっきりとした平尾宿は短く、すぐに仲宿のアーチが見えてきます。

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昔ながらの商店街が続く仲宿へ入ります。 すぐ右手に1871年廃仏毀釈で廃寺となった遍照寺で、 江戸時代は境内が馬つなぎ場で、1907年頃まで馬市も 開かれていたそうです。

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板橋宿を歩いてるうちに、なにか懐かしさを感じていた・・・ おや、この看板・・あれ、このお店・・ ん?? なにか懐かしい・・・ そうか、思い出した! 30代後半の首都圏城北地区勤務だった頃、 お取引のお店が何軒かあって、年初の初荷セールの応援で、荷を満載にし幟を旗めかした営業員の車に同乗して3,4回は訪れていた街だっ!。 お店では、おせちや菰樽を用意して、コップ酒。 もっぱらお酒担当!! 「明けましておめでとうございます。 お取引様の本年のますますのご繁栄と、皆々様のご健勝を祈願て、お手をはい~しゃ~く~」 シャンシャンシャン!!シャンシャンシャン!!・・・ もう40年近くも前の懐かしい思いで街。 お取引先のお店も時代の衰勢、ほとんど見られない!!。 そんな思いで、カミさんとおしゃべりしながら歩いていてる内に、石神井川に掛かる橋に来てしまいました。 石神井川に架かる橋は昔は板を並べた橋で、「板橋」地名の由来橋です。 橋のたもとに「日本橋からニ里二十五町三十三間」 (10,642m)の柱は建ってます。

本陣、脇本陣や史跡など見過ごしてしまったな。 江戸時代に架けられた橋は、長さ9間、幅3間の緩やかな太鼓橋で、川沿いの桜など「江戸名所図会」にも描かれている橋です。

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渡ると板橋上宿に入ります。 1.5車線くらいの狭い商店街が続きます。

板橋上宿を足を進めると「縁切り榎」信号機。 先右手に案内板がありました。

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江戸時代は街道の目印ともなった樹齢数百年という 榎(エノキ)あったそうです。 いつのころか、この榎の下を嫁入り行列や、婿取り行列が通ると、不縁になるといわれる信仰が生まれ、 この木を「縁切り榎」というようになったとか。 幕末、皇女和宮が将軍家茂に降嫁の際には、「こも」が巻かれ隠したとか、道を変えたとか言われるそうです。 現在の榎は3代目の若木で、場所も道路の反対側に移動しているとか。

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街道は環七通りに分断されますが、かろうじて高架したに低いトンネルで人と自転車は通り抜けられます。 この付近までが板橋宿で、大木戸が有ったとの説もあるようですが、不明のようですね。

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400m程進むと街道は轟音とともに広い幅の国道17号(現中山道)と合流します。

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徳川吉宗が鷹狩に際の御膳所とした南蔵院を見送り、交差点で左側に渡ります。

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そこに日本橋から13km(現中山道で)の標識が。

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そのすこし先、道の両側に、こんもりとした小山が見えてきます。 左右ほぼ原形を保ってる日本橋より三番目の 「志村の一里塚」 大正11年(1922)に国の史跡に指定されてます。

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ここまで日本橋より約3里半(約14km)くらいです。 9月17日(土)午後の2時50分。 中山道歩き旅、第一歩はここで足止めとします。 気温も高めの街道旅。衣類もびっしょりの 汗をかきました。 「歩けたな~・・あるけたわね~」 傍がメトロ志村坂上駅。電車を乗り継いで家路へ。 シャワーのあとのギンギン冷えたビールを楽しみに!! ・・・次の旅はいつの日か・・

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おわり