歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   大宮宿 上尾宿 桶川宿 前編

平成28年6月18日、3年半をかけて東海道五十三次を旅し、京の三条大橋に立ちました。 そして夫婦は旧中山道69次の旅、再び京を目指して歩いています。 >9月17日、お江戸日本橋を旅立ち。 10月2日大宮宿を通り、次の上尾宿への中間、JR宮原駅入りで足止め。

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10月10日(体育の日) 予定していた所用が必要なくなり、体が空いた。 天気もまずまず、「それではせっかくだから、旅へいかが・・て」カミさんの誘いで 急きょ街道旅へ。 今回は中山道までマイカー利用。 今日の歩き到着予想の駅付近に車を止めて、JR宮原駅へ逆戻り。 AM8:50、宮原駅入口・中山道から旅を始めます。

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気温が一気に秋になり、服装も秋支度。 風も穏やかで、歩き旅にはもってこいの好条件。 まずはここから約1里(4kkm強)で江戸から5番目「上尾j宿」。 さらに34町(3.7km)、6番目桶川宿。 そして7番目・鴻巣宿までは1里30町(8.3km)か・・???足しだいでね。 宮原駅を過ぎると右手に天満宮。 道の向こう側に天神橋跡があり、この付近が天神橋の立場跡。 やはり川は跡形もなく、道の両側に欄干だけが置かれている。 付近は2軒の茶屋があり、島屋は加賀前田家の休息所があったそうです。

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先方右手にこんもりとした森が見え始め、左フェンスにまだ、真っ赤なrコウソウが咲いてました。

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右手鳥居は加茂神社があります。

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京の上賀茂神社を勧請したと言われ、また安産の御利益有と言われてます。 「勧請の年代詳かならず」と由緒が分からなくなっていると書かれてますが、石灯籠の1基が 宝暦3年(1753)と刻あり、さらに手水鉢が享保11年(1726)とあるのでで相当に古い鎮座の様子です。 そして、なんとここが英泉描く「木曽街道六十九次」の「上尾宿」 (でもまだ、さいたま市宮原なんだけどな~)

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先は新大宮バイパスの高架ガード、すい~と、街道ランナーさんが追い抜いていった。 東海道でもペアで走ってるのをよく見かけましたね。

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バイパスをくぐると馬頭観音が2基。街道旅人らしき人が追い越してゆきました。

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右JAさいたま宮原前に「宮原村道路元標}を見て、先には明治6年(1873年)開校という 宮原小学校があります。 道路沿い校内に、開校当時、先生の一人が郷里の高知県から苗木を持ち帰り移植したという、 栴檀(センダン)があり、樹齢は約130年、樹高は15メートルほどの見事な大木になってます。

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足を進めて左に日本料理店、・・・井戸水を「使ってるから?

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道路右手に赤い鳥居の南方神社があります。

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そろそろ上尾市ね、なんて言いながら歩くと、左手に文化文政年間(1804~29)創業の 老舗漬物屋「河村屋」がありました。 「深谷ねぎの漬物」や「玉ねぎの漬物」があると聞いていましたが、残念ながら開店前! (ネギ大好き人間です・・・、余談ですが、まだ小学生のころ、母が小玉葱をよく粕漬けしてたんです。 美味しかったんだよな~・ふう~と思い出してました。) 店舗のすぐ先からが上尾市になってました。

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あれ、あまり見かけない標識だけど、補修などの縄張り境界かな、工事もここでストップなんだだ。

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上尾市に入りました。 左手の二俣になった分岐点に、寛政12年(1800年)に建てられた庚申塔道標があり、 左面に「是より 秋葉へ壱里十二丁/ひら方へ壱里八丁/川越へ三里」と刻まれてます。 そこから左手に入る道が「川越道」でしたが、住宅化で道は失われてしまってます。

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一角に秋のお花畑

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下上尾のバス停先、右手に広大な工事現場あ現れ、向い左手にはこれも大きなスパー。 そこを含めてこの辺も、大規模な再開発地域で巨大ショッピングモールになるようでした。

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上尾陸橋交差点角は、これも新しそうな大型家電店。 その前で、初めて大宮方面へ向かうご夫婦の旅人と、すれ違いました。 こんにちは、こんにちは・・

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交差点を渡って左手神社の欅の森の中に愛宕神社があり、境内には鳥居、屋根付きで、 享保7年(1722)建立の庚申塔が祀られてます。 ここが上尾宿の江戸口だったそうです。

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上尾宿に入ります。 上尾宿、江戸・日本橋から9里16町(約37.1km)、江戸・日本橋から5番目の宿場町。 江戸時代の旅人は、一日10里くらいを歩いたそうで、早く出立で日本橋を出て、 最初の泊まりがこの上尾宿だったと言われます。 なので、この上尾宿は旅籠が41軒と多く、本陣1軒、脇本陣3軒、問屋場1軒、高札場1軒が 軒を並べていたようです。 安政7年(1860年)の大火や、その後何度かの火事で当時の建物はほとんど焼失し、 残念ながら往時の面影は失われてしまってます。 上尾宿は愛宕神社側から、「下宿」「中宿」「上宿」の地区に分かれていて、「下宿」の中心が この原内科眼科医院があるあたりだったと言われています。

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ここに上尾宿の江戸方の木戸があったようなので、上尾宿街はこのあたりから北に向って 続いていたということですね。 右手に中山道標柱。そのはす向かい(左手)の路地がまた川越道で、付近に江戸から9番目上尾一里塚が あったと言われますが、失われてるようで標柱も案内板もありません。

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仲宿へ入ります。 ここから電柱は地中に消え、スッキリした街並みが始まります。

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右手駐車場の奥に塀の上に「脇本陣井上家の鬼瓦」が2基。 (井上家は今もお住いの様でした)

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上尾宿の中心部JR上尾駅の手前に、氷川鍬(くわ)神社。元は寛永9年(1632)創建の鍬大神宮でした。 江戸初期・万治の時代の頃、3人の童子が鍬2挺と稲束を持ち、白幣をかざしながら踊り歩いて上尾宿のほうへ向かっていると、突然3人の童子は神隠しにあったように消えてしまい、その場に鍬と稲束だけが残されました。その2挺の鍬をご神体として祀ったのが鍬太神宮。 明治になり氷川女体神社と合祀したので、氷川鍬神社と名を変へた。 (社伝)

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境内右手に市指定文化財の「上尾郷二賢堂(にけんどう)碑記」がありました。 江戸時代の小さな宿場町にしては、極めてハイレベルな学びの場、郷学の跡地であったそうです。

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聖徳大師像もありましが、所縁は?でしたね。

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神社の前の歩道に「上尾宿・中山道分間延絵図」碑があり、付近が宿場の中心で 本陣、脇本陣問屋場、高札場があったようですが、今はなぜか個別の標識もなく、 残念ながら、その当時の面影はいっさい感じられません。

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右、藤村病院・白石脇本陣、左、りそな銀・細井脇本陣があったことろ、だそうですが・・

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JR上尾駅前広場

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ひろい開放的な明るい駅前ですね。 日本鉄道が明治16年(1883年)、上野~熊谷間に最初に開通した5駅の一つが上尾駅上尾駅は日本の鉄道史上で最古参の駅の1つと言われ、上尾宿が賑わっていた証のようです。

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駅前を過ぎ右手奥に、「遍照院」があります。

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江戸時代には寺領20石の朱印地を与えられた大寺で、京都)の仁和寺の末寺、 室町時代の応永元年(1394年)の開山、号・日乗山秀善寺遍照院。 御本尊は不動明王、上尾身代り拭い不動尊。 本堂内には「十一面千手観音木坐像」も祀られていています。 上尾宿代の著名人のお墓も多いそうです。 (案内誌借用写真)

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(法要があって見られませんでした) 老朽化が激しかった本堂、客殿、庫裡などを、平成20年に全体的に大改修補修が終えたようです。 「孝女お玉の墓」が人気のようで若い方がお参りしてましたね。 (お玉は越後柏崎の貧しい家に生まれ、親の生活を楽にしようと11歳の時に上尾宿の大村楼に身を売り、 遊女になりました。 大変美しくしかも気立てが良かったことから、19歳の時、参勤交代の加賀前田藩の小姓に見初められ 、ともに江戸へ向かいました。しかし、2年後、病に倒れ、一度上尾に戻ったのですが、 25歳で帰らぬ身になりました。憐れんだ大村楼の主人がここに墓を建てた) 、 分譲墓地も宣伝中。 (新デザイン!水屋)

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なぜかな?、観音様のお顔を水が流れてる?

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演出巧みなお寺ね。(カミさんの感想)

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お寺から中山道へ戻ります。

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右手の歩道際に延亭2年(1745年)建立の庚申塔があり、上尾上町講中とありました。

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明治27年創業、酒蔵文楽という名の老舗の造り酒屋を右手に見送り

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大きな交差点までくると「上尾宿案内板」があり、屋根瓦の上に「鍾馗様」 そういえば上尾の町屋の屋根にも見かけました。 大火に見舞われた上尾を見守ってるんでしょうか。 ここが上尾宿の京方木戸口でした。 次の桶川宿へ向かいます。、

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コーヒーを飲みたい、コンビニ寄ろうか。 なって話してたら・・お店が!Café店でランチタイム・・(手を付けた写真ですが)

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旅はしばし足休め・・後半へ