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歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第5回) 鴻巣宿へ

>平成28年6月18日、3年半をかけて東海道五十三次を旅し、京の三条大橋に立ちました。 そして夫婦は旧中山道69次の旅、再び京を目指して歩いています。< 10月10日(体育の日)。 江戸から7番目・桶川宿から8番目・鴻巣宿を目指し、 4.6km歩いた北本市、駅交差点で足止めし、15日(土)再び中山道の旅へ。

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マイカーで、前回利用した北本市駅西の駐車場へ。 久しぶりに駅の立食いそば店にて朝食。 (この店は前回の帰りに、次の旅で朝はここでと決めてたんです)

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AM8:30、第5回目の中山道旅立ち。

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中山道(県道164号鴻巣桶川さいたま線)を北へ進むと、右手に寛永元年(1624年)創建の勝林寺があります。境内には馬の顔が刻まれた珍しい馬頭観音が並んでいます。

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道を隔ててはす向かいに、東間浅間神社がありましたが立ち寄らず、旧中山道から離れて左手に入り、 JR高崎線を踏切で渡ると線路に沿って北へ進みました。 この道は、徳川家康中山道を整備した慶長年間の頃まで、初期の中山道(当時は東山道)でした。 中山道が整備された後、江戸時代には「古中山道」と呼ばれていたそうです。

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線路沿いに少し進むと、右手に江戸日本橋から11番目、「馬室原(まむろはら)一里塚」があります。 この一里塚は旧中山道が整備された慶長17年(1612年)に築かれたものだそうです。

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一里塚の標柱を見たカミさんが、「ここはもう鴻巣市なのね」て。 えっ、いつの間の??と地図を見ると、あの渡った踏切の西北は鴻巣市でした。 線路の真ん中をしばらく北本、鴻巣の市境だ続いてるんですね。 左手は田園風景の残る住宅街、右手は市境(古道沿い)の鉄路を電車が走ります。

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1kmほど行くとその名も第二中山道踏切」。渡って北本市へ戻り県道を進みます。

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深井2丁目交差点より、鴻巣市に再び入ります。

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交差点左手に「鴻巣宿加宿上谷新田碑」が建ってます。 付近の上谷新田の村々は、鴻巣宿の人馬応援の役を司ったんですね。

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村は旗本・藤堂家の知行地で、村民の多くは、農閑期に雛人形鴻巣雛」を製作していました。 その後、幟・兜・菖蒲刀・破魔弓・羽子板・盆華などの製造も盛んに行われるようになり 、伝統ある地場産業である「雛人形の町」として今は呼び名も「人形町」です。

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右手奥に真言宗の金剛院、手前に八幡神社が見えました。 道路左手に「鴻巣市産業観光館「ひなの里」があります。 ひな人形や赤物など鴻巣の歴史を今に伝える展示品や、中庭にはに明治期の蔵(埼玉県の景観重要建造物)もあり、市内の観光案内も行っております。

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ひなの里

http://www.konosu-kanko.jp/hinanosato/

春3月の鴻巣市といえば これだ!! なんどか訪れたことがありました。

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市HP

http://kounosubina.main.jp/

本町南交差点の少し手前に鴻巣の江戸口「是より鴻巣宿 碑」があり、江戸から7番目、 日本橋から12里8町(約48km)。本陣:1 脇本陣:1 旅籠:58、家数:566軒。 江戸時代から雛人形の産地で、関東三大雛市の一つとして栄えてきた、大変賑った宿だったそうです。

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鴻巣宿の中心街に入ります。

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左手奥に、門と大きな石柱が見えます。

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文永年間(1264~75年)の創建で、天正元年(1573年)に現在の地に再興された、「浄土宗・勝願寺」。 広々した境内、江戸時代の建物群は、明治3年の大旋風による被害と、明治15年に起こった火災によって 殆どが失われてしまい、本堂は明治24年,鐘楼同43年,仁王門は大正9年それぞれ再建されたものですが、 浄土宗関東18壇林(僧侶の大学のような学問所)の一つで、将軍家より御朱印が与えられ、徳川家の 三つ葉葵を使用することを許されている古刹です。

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本堂の左手に数基の古い墓がありました。 戦国時代末期の武将仙石秀久や、本多忠勝の娘で真田信之に嫁いだ小松姫の墓石が並んでいます。 小松姫は元和6(1620)年、病いの療養のため江戸から草津に向かう途中、 ここ鴻巣で亡くなりました。 (いま大河ドラマは真田一族ですね、小松姫は吉田羊さんだったかな)

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そして信州上田,のち松代の真田信重(信之の三男)とその奥方の墓石も並んで立ってます。(右から2.3番目) 本堂の唐破風正面を飾る透かし彫り彫刻も見事で、下に珍しい「漆喰彫刻」が施されてました。

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街道に戻った先に大きな交差点が現れます。

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鴻巣市にはあのピラミッド雛壇を含めて、八つの日本一があるんです。 交差点を左に、道路標識の27号へ行くと、JR高崎線を陸橋で超えた先に、鴻巣の日本一があるんです。 それは、 http://www.city.kounosu.saitama.jp/shisei/gaiyo/4/1455525739895.html http://www.city.kounosu.saitama.jp/shisei/gaiyo/4/ ひな祭りにはこの日本一の川幅を渡て鴻巣に来てたんです。 なんてお喋りしながら歩いていて「鴻巣御殿跡」入口の案内を見過ごしたようです。 見当をつけて左の道へ入ってみましたが、それらしきものは見当たりません。 通りかかった地元の方にお聞きしても、わからなかった。 探すのあきらめて、細めの道を街道へ向くと「、あらあら、有ったわよ!」

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(平成6年市の試掘調査で存在が確認されたそうです) ははは、こんなちゃんとした案内、見過ごしたんだね・・

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先に鴻巣駅入り口交差点が見えてきました。 この付近から鴻巣宿の中心であったようですが、本陣や脇本陣、旅籠などはすべて失われ、 街道風情はあまり感じられません。

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鴻巣駅入り口に、

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駅前

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駅前を過ぎてすぐに問屋場跡(といやばあと)が有ったところです。

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日光裏街道が左手を通る手前に、地名の由来になった「こうのとり」の伝説の鴻神社ああります。  明治6年に氷川社、熊野社、竹之森雷電社を合祀し、さらに.明治35年から40年にかけて、 日枝神社東照宮八幡神社などを合祀して鴻神社と改めた。

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七五三の時期、晴れ着を着た大勢のお参り家族で賑ってました。 おや、二階の部屋に桐ダンス。 (なに写してるの?)

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道路のタイル絵、マンホール蓋

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とんとんと県道164を進むと、街道は加美交差点で二股にわかれ、旧中山道は左手の県道365線に代わります。 交差点に中山道道標が建っていて、鴻巣宿、西の(京方)出入り口。

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江戸から7番目、鴻巣宿を後にします。

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後編へ・・・旅は続きます。