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歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第8回) 本庄宿へ 後編

中山道 武蔵国

 

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道の駅「おかべ」で昼食と足休め・・・続き後半へ

 

道の駅を出て右手は、中宿歴史公園となっています。

中宿公園一帯は中宿遺跡で、奈良時代から平安時代に使われた大規模な倉庫群跡が

発見されました。
古代榛沢郡の正倉(税として徴収した稲を保管する倉庫)と推定されており、

現在は「中宿歴史公園」として整備され、古代倉庫2棟が復元されています。

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街道へ戻るとマンホールの蓋にも倉庫が図案されてます。

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右手奥に山門が見えます。岡部陣屋の長屋門が脇門として移築されている

曹洞宗全昌寺。

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長屋門の表通り側にはトタン板が打ち付けられ、窓にはアルミサッシ?なんでかな~?

で、内側から。(やっぱりサッシ枠あるね)

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街道に戻り進むと、ベンガラ塗りの家と火の見櫓の建つ消防団庫。

ベンガラはあまり見かけなかったな。

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街道を左折して約200m位進むと岡廼宮神社(おかのみやじんじゃ)聖天宮。

大正10年(1920年)、諏訪神社、久呂多神社、稲荷神社を合祀し、岡上神社を

岡廼宮神社と改称した。

村の鎮守であった聖天社であった様で、社殿、本殿の精巧な彫刻は見ごたえが

ありました。

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(余談)

熊谷市の妻沼に平成24年指定された、国宝、妻沼聖天山の本殿「歓喜院聖天堂」

があります。

平成15年(2003年)から平成23年(2011年)まで本殿の修復工事が行われ、

創建当初の極彩色の彫刻が蘇ってます。

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修復が施されたら見事でしょうね・・

 

神社は国道17号に面していて、いったん17号へ出て街道に戻ることにしました。

神社北脇を東西に流れる用水路沿いに、東に行くと数年前に建てられたと言われる、

武州榛澤郡黒田藩岡村陣屋畧景」碑がありました。

黒田藩領があったのかな??(調査中・・・)

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街道へ戻りました。

道は二股、しっかり案内板が立ってます。

そして馬頭観音と「古中山道について」石碑。

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(石碑記述)

中山道古道について
現在岡上地内を通る旧中山道は、田嶋一明氏東のなだらかな切通しを下り17号バイパスを横断、滝岡橋へと至る。江戸時代の中山道にこの切り通しはなく、丸矢商店の前を直進し、田嶋幹弘氏東で右折、八坂神社・百庚申脇の急峻な坂をくだる道筋がとられた。切り通しの開墾は明治期になってからであり、今のように拡幅整備されたのは、滝岡橋の竣工がなった昭和3年のことであるという。江戸期の中山道は、この坂道をくだると、幾度か右折左折を繰り返し現在の滝岡橋より200m程上流で、小山川を渡河した模様である。近年の歴史探訪ブームの中、大勢の来訪者を迎えるにあたり岡部郷土文化会では、大名行列が行き交い、皇女和宮の降嫁の行列も通過した往時の中山道の正確な道筋をここに識し、ご案内の一助といたします。  平成23年11月吉日 岡部郷土文化会 

 

矢印方向指示のどおりまっつすぐ進みます。

100mほど進むと村社寅稲荷神社道標石柱と中山道右折道案内板。

(神社は直進して道なりに行き40m位先のようです。)

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ここからゆるく曲がりながらの急坂、豊見坂が始まります。

(写真ではわかりづらいですが、結構な急坂なんです)

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坂の途中、左手少し上がれば八坂神社。

坂道には万延元年(1860)の庚申の年から2年かけて、旧岡村の有志13人に

よって建立された庚申塔群、百庚申。

時期は黒船渡来や桜田門外の変があり、世情騒然としていたころ。

現在約60基が残っている。

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坂を下りきると右登り、そして左へ登って深谷バイパス(17号バイパス)と交差します。

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バイパスを横断し斜めの道へ。

”岡”交差点で深谷バイパスを横切り、前方に広がる田んぼの中を進む。

この辺り旧中山道は消滅。

旧道は滝岡橋のやや上流を”徒歩渡しで、その先200mほど行った付近で現道に合流するルートであったという。

京に向かう中山道で、唯一赤城山が左に見えるというが・・

うっすらそれらしき山が・・秋霞(そんな言葉ないかな?)で写らない!

おっ、かすんでるが「浅間山」か!

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昭和3年(1928)に小山川に架けられた滝岡橋を渡る。 

滝岡橋は国登録有形文化財で、記念碑として橋のたもとにふる里の橋顕彰碑が

建っている。 

親柱&欄干は花崗岩で、橋台は煉瓦造り。

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橋の真ん中から本庄市

渡って街道は左土手道へ進みます。

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150mほどで土手道を右へ下り、堀田の集落へ入ってきました。

この付近は高い送電線の鉄塔がやたらに多く立ってますね。

しばらく行くと右カーブへ曲がり所に立て看板。

先はガードが途切れ、車は通れない歩道専用?が中山道f:id:hansui:20161107152915j:plain

先ではY分岐、左・旧道と右・バイパス(下写真追加)

持参資料では旧道へ入らず、右バイパスへの記述でそのまま進み、バイパスを右手に行き信号で渡って街道へ復帰しました。

*帰宅後再確認すると、左旧道へ入り、突き当りバイパスのガードをくぐって

右手の階段を上り、道なりに左折して草むら道を進み、県道258号線と合流し

左折して進む。が旧中山道に近い歩き方の様でした*

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 旧道に復帰(県258)すると、ひっそりと嘉永5年(1852)建立の

無縁供養塔。

周りは雑然としてて、どうしてここに?

ちょっと哀れだわね、・・てカミさんが手を合わす。

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藤田小角で県258は左りへ曲がるが、街道は直進です。

左に無残な石仏石塔群。

資料では天明3年(1783年)建立の馬頭観音や男女双体道祖神が、

大銀杏の根方にあったそうですが・・古木銀杏が寿命だったのかな~

いずれは整備されると期待してます。

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この付近は牧西集落。左手に八幡大神社がありました。

建久年間に児玉党の一族牧西四郎広末が武運長久を願い、鎌倉の鶴岡八幡宮から

勧請し祭ったものです。

八幡大神社も瓦屋根の鳥居がありました。

文明3年(1471)五十子合戦の兵火により焼失、廃社となっていましたが、
慶長17年(1612)頃信州佐久郡依田荘の住人、依田五郎左衛門が当地に移り住み、

再興したと伝わります。

また、 この神社では金鑚神楽(かなさなかぐら)宮崎組の神楽が奉納されます。神楽は天照大神の岩屋隠れ神話がその起こりとされ、神さまを喜ばせる舞楽として各地にそれぞれの謂れを持って伝えられてきました。
 正徳6年(1716)の免許をもつ宮崎組は、変わり面などの珍しい舞い方も伝えられ、神社の氏子によって一社相伝で伝えられているそうです。

(解説板より)

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 向かいは宝珠寺で、参道の並木が美しい。

赤い仁王門と明和6年(1769年)作製の仁王尊像は、最近解体修復工事をした

様子で、まだ新しい感じです。

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小川家長屋門。白壁の剥離が進んでいるが、なかなか立派な門です。

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遠くかすんでますが、浅間山(と思います)

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牧西の集落を抜けると左カーブに子育地蔵と石仏群。

近隣の道路拡張や工事などで除かれた路傍の石仏石塔を、集落の方々が

ここに集め安置したそうです。

通りかかった集落の方が、

「倒したり、地蔵の帽子や前掛けを失敬するやつがいるんですよ」て嘆いてました。

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道は傍示堂集落に入り、民家も立て込んできました。

よっ!いい天気だね~

怪しい奴は通らんか、猫の関所番だね、ご苦労様!

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右手に立派な長屋門

歯科医院のお屋敷のようです。

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中山道はしばらくするとほとんど直角に左カーブする。

その角に傍示堂集落センターがあり、昔は奥に武蔵国上野国との境界に傍示石

ならぬ傍示堂があった跡だそうで、今は左は八坂神社で右が古峯神社が祀られて

います。

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またこの傍示堂集落センター前の通は五科道(三国街道への道)との追分で

橋端立場があったと言われます。

中山道は元小山川に架かる新泉橋を渡り本庄の街中へと入ってゆきます。

この橋を渡った付近に、日本橋より21番目・傍示堂の一里塚が有ったようです。

(現、判別するもの無し)

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しばらくして日の出四丁目で現中山道(国道17号)を歩道橋にて横断。

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渡ってやっと歩道区分が出てきて県392号、緩い御堂坂を上ってゆきます。

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 左手一段高くなってるところに、ブロック塀に囲まれて石仏、石塔が安置されてます。

庚申塔は上部が欠けている!

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右手本庄東中入口の変則五差路。

斜め右に進むと本庄の商店街へと入ってゆきます。

*本庄宿の江戸方入口(木戸)はここではないかと思いますが、

かいろいろ調べましたが資料は見つかりませんでした。

(次回本庄の資料館などで調べたり、お聞きしたいと思ってます)*

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中山道交差点左向うにドームが??なんでしょうか?

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交差点を渡り進むと左手に、天正11年(1583年)開山の真言宗・大正院。

 

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 街道に戻り足を進めます。お店の前に咲く花。

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 PM3:18、本庄駅入り口交差点へ着きました。

今日の中山道歩き旅はここで足止めとし、道を左にとって駅へ向かいます。

深谷宿より 2里25町(約11Km)日本橋より21里31町(約86km)

次回では武州(埼玉)から上州(群馬)入りになりますね。

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本庄宿(天保十四年)
人口    4554人
家数    1212軒
旅籠      70軒
本陣       2軒
脇本陣      2軒  

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 元気なうちに、歩けるうちに、・・夫婦旅は続きます。