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歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅 (第13回) 松井田宿へから坂本宿 後編

中山道 上野国

12月17日、旧中仙道歩き旅、第13回 

>街道の面影を残す緩く蛇行する道は、横川集落へと続いてゆき、丸太道標には
、⇒坂本宿2.5km。<

後編。

 

丸太道標、⇒坂本宿2km。

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北側を山、南側を碓氷川が流れる谷あいの横川も空き地が目立ち、ほとんど車も

通らず、静まり返った集落を進みます。

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前方に「峠の釜飯」の看板が見えてきました。

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街道角に釜飯のおぎのや、坂下南側突き当りが信越線終着駅、横川駅、

駅には先ほど出会った蒸気機関車D51に引かれた列車が停車中。

ホームは家族連れや撮り鉄さんで大にぎわい。トロッコ機関車も動いてた。

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ちょうどお昼なので、駅前のおぎのや食堂で釜飯とお蕎麦を半分ずつ食べて昼食。

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街道に復帰、右手石垣上に御嶽山碑、矢の沢川沿いに庚申塔や二十三夜塔。

謎の癒しどころ?

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先に大名が関所通過のために、身支度を整えたといわれている武井茶屋本陣跡、

隣が横川の鎮守・諏訪神社(庶民は神社で??)

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持参街道案内には左手に、雁金屋茶屋本陣跡と記されてるが、確認できなかった。

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中仙道に二か所置かれた関所の一つ、碓氷関所の東門跡。

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右手石垣上に昭和35年、碓氷関所跡として復元され、当時の東門が建ってます。

慶長19年(1914年)仮番所が置かれ、元和8年(1622年)番所となり、

翌年家光上洛に際し関所となった。

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尚、関所跡には資料館もあったが、今は通年開館はしていない。

見学の場合は事前に管理者に電話連絡が必要で、番号が記載されています。

 

無事関所の詮議も終わり坂道を下ると、碓氷川に架かる川久保橋。

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橋を渡った先は横川地域から「旧原村地域(現松井田・原、)。

右手に国道を離れ旧中仙道は「薬師坂」の石碑が建つ急坂へと進みます。

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道路整備で居場所が狭くなったのか、碓氷峠越えの無事を願って祀られた、

川久保薬師堂と湧水。

この湧水を使った心太(ところてん)を食べさせる茶店があり、心太坂とも

呼ばれたそうな。

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200mほどの急坂道を上り切ると、まだコンクリも新しそうな、

整備された旧国道18号(旧中山道)へ飛び出します。

丸太道標には、⇒坂本宿0.9km。

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風も収まりだいぶ暖かくなてきた、坂とも感じないほどの上り道を進みます。

左手に白髭神社への案内板が立ち、導かれてはいると大きな庚申塔、二十三夜塔

なとが置かれた白髭神社が祀られてます。

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持参街道案内によれば、白鬚神社の御祭神は猿田彦で、総本社と言われるのは、

滋賀県の琵琶湖西岸に鎮座してる。

「そういえば、隣の市にもあるね」てカミさんが思い出してました。

*「由緒書に、麻苧の滝(あさおのたき)のことが書いてある。

確か寄ったことがあった」

と帰宅後確認してみると、13年前に長野の帰りに、滝に寄っていた。

CDに保存してあった滝のフォット*

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しばらく進むと上信越高速道高架下に、村内を流れる用水路の起点に祀られた

旧原村の「水神宮」

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高架下右手石垣上に公衆トイレが整備されていて路肩に駐車スペースも

とってありました。

 高架下を過ぎると、大きな木柱に名を記した「原警察官駐在所」

なぜ木柱が建ってるのかな?

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正面に、で~んとそびえるのは刎石山(はねいしやま)。

中山道はあの山を越えて碓氷峠へと登って行くんです。

ほぼまっすぐ続く坂本の道。13年くらい前、2度ほど車で通ったことがあった。

記憶では歩道幅のない二車線道だったが、いまは平成20年から始まった

歩道など拡張整備にて、広々とした明るい道に様変わり。

道の真ん中を流れていた記憶の用水が、向かって左側に寄っている。

つれて、新しい感じの家屋も多いような。

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右手に文化9年(1812年)立てたと言われる、巡礼供養塔があり、

すぐ先は坂本宿・東の木戸口跡。f:id:hansui:20161220121918j:plain

薬師坂を上ってから30分ほど、木戸を模した柵、坂本宿・東の木戸口跡。

 

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坂本宿

江戸から17番目、34里14町47間(約136km)

中山道宿村大概帳(天保14年・1843)によると、宿内家数162軒、うち本陣2、脇本陣2、旅籠40軒、人口732人、町並6町19間

往還の南側に79軒、北側に82軒が軒を連ねていた。

参勤交代の実施に伴い、碓氷峠の登り口に宿場が必要となったことから、

寛永2年(1625年)3代将軍家光の時代に、安中・高崎藩の領民を移住させ

集落のない地域に計画的に作られた宿場であった。

幅12.5mの道路が一直線に続き、道の中央に幅1.2mの水路があり、

水路には17箇所に石橋がかかり、整然とした街並みが整備されていた。

江戸期には31もの大名が参勤交代の為に坂本宿を往来していた。

上州路最後の坂本宿は、東に碓氷の関所、西に難所の碓氷峠を控え大いに賑わたと言われます。

(栄泉画・坂本宿)

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車道と歩道の間を用水が流れる、新たに拡張された中山道を進みます。

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江戸時代より道路は拡張されてると思いますが、両側の主な家々には、当時の

屋号などの木札が架けられている。

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木戸から少しすすんだ左手、奥まった民家の前に下の本陣と呼ばれた「金井本陣跡」

と持参街道案内には記されていたが、見逃したかわかりませんでした。

当時は屋敷360坪(約1,200m2)、建坪180坪(約594m2)、

玄関、門構え付きの建物で、皇女和宮も宿泊したと説明板に記されてると

ありましたが。

街道筋に、間口が狭く、かなり奥行きのある空き地が、何か所か見られます。

租税対策とよく言われる、街道沿いに立つ家々の独特のスタイルで、間口を狭く、

奥行きの深い家屋があったのでしょう。

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右手に郷土の文化人、俳人の生誕の家があり、

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左手に金井本陣と共に問屋を兼ね、上の本陣と称された「佐藤本陣跡」

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尚、本陣は明治になって坂本小学校が開校された跡でもあり、その後佐藤家は

他所移転され、現存の家屋はそのあと明治3年に建てられた建物です。

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つづいて門が残っている、脇本陣「みようがや」跡。

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斜め向かいに、こちらも当時の門を残している、脇本陣永井家。(現在もお住い)

3年ほど前に修復工事をされたとか。維持するのもご苦労があるでしょうね。

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北側奥にある坂本小学校への道を隔てて、隣は現坂本公民館となって居る

酒屋脇本陣跡。

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2軒おいて、先祖が高崎藩納戸役鍵番だった、元旅籠「かぎや」

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 小林一茶にの定宿「たかさごや」

この時代、坂本宿では俳諧・短歌が隆盛で、ひとたび一茶が草履を脱ぐと近郷近在の同好者が集まって大変賑わったのだとか。

若山牧水が泊まった「つたや」

牧水がふと耳にした糸繰り唄に、思わず
 *秋風や 碓氷のふもと 荒れ寂し 坂本の宿の 糸繰りの唄*

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牧水の詩は時代が進み鉄道が敷かれ、さびれてしまった宿場町にいだいた気持ちでしょうね。

江戸へ三十四里、京へ百二里、

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ここも空き地になっている。だま表札が残されていた。

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刎石山(はねいしやま)がぐ~んと大きくなって、坂本宿もそろそろ終わりです。

港屋跡を過ぎ、

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「いげたや」跡で坂本宿街が終わりました。

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少し先に木戸があり、二つの石碑があります。

手前のは常夜燈道標の胴部分で、灯すところは上部分は失われてます。

碓氷峠からも灯りが見えたそうです。

後ろのが用水に架かっていた橋の「橋供養」の石碑

 

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坂本宿、上の木戸跡(京口)、12月17日(土)PM1:47

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  旧中山道69次、武蔵、上野国、17宿を通り抜け、次回は最大の難所と言われる

碓氷峠を越えて、軽井沢宿・信濃の国へ入ります。

今回訪れた五科茶屋本陣の管理されてる方から、「5月の第2日曜に行われる

安中遠足(侍マラソン)時に、山道整備をするので、歩きやすくお薦めです」

とアドバイスをいただきました。

それまで、冬眠していられるかな??

 

まだ少し時間が早いので、国18号旧道から峠道への分岐まで見分に足を延ばしました。

碓氷峠山中の、四軒茶屋手前にあったのを、上の木戸前の用水路脇に移設した

芭蕉の句碑。

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寺院建物がありませんが、時代を感じる墓石の並ぶ阿弥陀堂・清松寺。

本陣を勤めた金井家などのお墓があるようです。

おや、墓石に刻まれた「天と地」、永井家とあるが脇本陣の家かな?

馬頭観音や、俳句碑などが建ってます。

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創建は景行天皇40年(110年)に、日本武尊の分霊を勧請したのが始まり

と伝えられ、碓氷郷の産土神として信仰されてきた、坂本八幡宮。

赤い鳥居に本殿もちょとモダンアートの彩色。

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 鳥居前で休まれていた方は、軽井沢宿から碓氷峠を下って来た旅人ご夫婦でした。

少し先に「安中遠足峠コース」の標識が立っている。

ガードレールの切れ目から左手に延びるのが、碓氷峠への山道の始まりでした。

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いつの日かこの道を先へ進めることを願って、戻ります。

JR信越線横川駅へは、先日歩いた廃線鉄道路線に作られたアプト道を利用しよう

と向かうと、横川と峠の湯間を走るトロッコ列車が運行されてました。

蒸気機関車運行に合わせたイベント運行だそうです。

さっそく乗車してJR横川駅へ。

まだSL運行で賑う横川駅を後に、信越線に乗り換えて一駅、西松井田駅へ。

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午後6時、帰宅。

13回目の中山道の旅を〆ました。

上野国 終。