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思い出旅 おのぼりさん歩 旧東海道夫婦歩き旅 旅立ち

某新聞社が配布した安藤広重の額絵「東海道五十三次」。

そして、ポン友が歩いた道中話。

 

ふっと、口にした何時ものセリフ。

「行ってみるかな〜、やってみるかな〜 」  

        「 いいよ〜・・」

思いついたが旅立ち、てことで歩く事にしました。

3月にはいると、暫くは二人で家を空けるのは難しくなります。

よ〜し、まずは第一歩!!と意気込んだら、旅立ち直前にキャンセル待ちで

申し込んでいたツアーにキャンセルが出て蔵王2日間のツアーへ。

ツアーから帰ってきて、気持ちも新たに仕切り直し。

歩ける日の制約があるので年に何回歩けるか・・
でも思いは遠大?に、4年計画です。

4年後は、半は喜寿、カミさんは古希を迎えます。
最終目的地は「京都 三条大橋」、祝美酒乾杯を迎えたい!!

2013年2月23日(土)

穏やかな天気に恵まれて、第一歩を踏み出します。

駅近くの公園脇道に車を止め(土日祭は駐車OK)、頬を刺す冷気もなんのその、

朝日に見送られて駅へ。

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電車を乗り継ぎ新装なった東京駅丸の内口へ。

通路をくぐって八重洲北口、

AM8:00過ぎに日本橋に立ちました。
まあ、先は長~い、のんびりゆっくり夫婦旅。

いざ出立!!

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お江戸日本橋、七つ立ち・・・(今だと午前四時かな)とはゆきませんが

2月23日(土)午前9時、かっての大江戸の中心地、日本橋の旅立ち。

まずは2里18町(9.8Km)先、第一番の宿場・品川宿へ向かいます。

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現在はあの東京オリンピック時に、突貫工事の首都改造では橋上を高速道が走り

江戸情緒風情は全く無し。

とはいえ、橋の道路真ん中には「日本国道路元標」が埋め込まれており、

ここが今も日本の道路の起点であることを実感しますね。

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日本橋は、徳川家康江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)の架設と言われ、

幕府は東海道をはじめ重要五街道の起点と定めています。

橋詰には高札場や、関東大震災後に築地に移転するまで魚河岸があり、

まさに江戸の中心として賑わったと言われます。

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日本橋は幾度か架け替えられ、現在の橋は明治44年(1911年)にかけられてます。

日本橋からは国道15号中央通り、京橋、銀座、新橋と日本一の繁華街が続きます。

右手に八重洲中央口への道を見送り進むと、日本橋と同じ時期に架けられ、

いまは埋め立てられて名だけ残る京橋です。

付近は江戸歌舞伎発祥の地、でもあるんですね。

橋の擬宝珠を模した交番が風情を添えてます。

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京橋を過ぎると、江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所が由来の銀座通り。

すっかり足が遠のいてしまったが、札幌から転勤で来た勤務先が東銀座だったので、

この界隈は懐かしい。

カミさんと、四十年ぶりかの銀ブラになりました。

四丁目から、ちょっぴり足を延ばして思い出寄り道小道。

まもなくこけら落しの新歌舞伎座

(勤務は歌舞伎座の近くでした)

あなたを待ってば、雨が~降る~・・・昔は日劇の有った有楽町。

ははは・・久しぶりに腕を組んでの銀ブラでした。

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当時から超人気の有楽町宝くじ売り場、

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街道(銀座通り)へ戻ると汽笛一斉新橋。

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40年の空白はまさに今浦島。

行く手を遮るように大きなガードが現れます。

これはゆりかもめの新橋駅が国道の上にあり、ゆりかもめに乗ると

レインボーブリッジを越えお台場や国際展示場へ行けます。

 

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大きく変貌した汐留、新交通のゆりかもめ

ちょっぴり風情を残していた、新橋駅そばの東海道線ガード街を見て

抜けるとそこは芝。

ここの東海道は、国道1号ではなくって第一京浜と言う名前の国道15号。

右手奥に芝居などで知られる「め組の喧嘩」由縁の芝大明神。

ちょうど神前結婚式は始まるところでした。

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 いいですね~、なにかほわっとした幸せをいただいた感じ。

お幸せに!!

左手浜松町駅入口。

右手は芝大門

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門をくぐって真っすぐ進むと、600余年の暦を持つ、浄土宗の七大本山の一つ、

徳川将軍家菩提寺「三縁山広度院 増上寺」の惣門(三解脱門)は国重文。

国宝の指定を受けていたが戦災で焼失の二代将軍秀忠、六代家宣、七代家継などの

御霊屋があり、6人の将軍と皇女和宮などが埋葬されています。

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わが家の宗派本山でもあるので、旅の無事を願いお参り。

広大な境内を前景に聳え立つ東京タワー。

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東京タワーは昭和32年6月の着工で翌年33年12月竣工ですから、

工期1年半と猛烈なスピード建築ですね。

受験で上京した折、国電から鉄骨組のタワーが見えていた記憶が・・・

学生時代には展望台まで歩いて昇ったこともあったな~

(今は大展望台までも歩いて昇れるようです)

カミさんに聞いたら昇ったことは有るはずだけど・・・

で、高いところ大好き夫婦は足を延ばします。

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のんびり銀ブラを楽しんだり、あちこち寄り道で、タワーから街道へ戻ると

もうお昼です。

増上寺への参道沿いのCaféで昼食に。

店内は圧倒的に外国の観光客が多く賑わってましたね。

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大門に戻り浜松町を西へ進みます。

浜松町は江戸時代初期は門前町でしたが、遠州浜松出の権兵衛が名主となって、

浜松町と改められたとか。

少し進むと首都高が頭上を横切る金杉橋。

橋下を覗けば屋形船が所狭しとばかり並んでいます。

南へ古川を下ればすぐに日の出桟橋などの有る東京湾
昔は江戸前の海で、カレイや黒鯛が採れる漁村でした。
金杉橋と言えば思い浮かんだのは、平岩弓枝さんの小説「御宿かわせみ」ですね。

島送りになる罪人の様子が描かれた中に、

大罪を犯し遠島へ流され二度と江戸の地を踏めないものは永代橋から船が出て、

罪が軽く江戸に帰ってこられる罪人を乗せた船はここ金杉橋から出た

とありました。

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橋を渡って、「えっ、まだ一里か!!」

そういえば一里塚は?ですが江戸より1番目の金杉一里塚は跡形も無しで

位置不明なんだとか。

まだ江戸府内、高輪大木戸の内側になるので、設置されてないとの説がありますが、

それの方が正しいかもしれませんね。

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 芝4郵便局を過ぎると、道路左側近代的ビルの一角は元薩摩藩蔵屋敷跡。

江戸城無血開城に導いた西郷・勝の江戸開城会見之屋敷で碑が建てられてます。

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左手に田町駅をみて先の歩道橋の有る交差点が元札ノ辻。

後の高輪大木戸に移されるまで高札場が有ったと言われます。

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しばらく歩むと江戸府内外の境、高輪大木戸跡。

今でも幅5.4メートル、長さ7.3メートル、高さ3.6メートルの

巨大な東側の石垣だけが残されている。
付近は風光明媚な海岸線で茶屋も多く立ち並び、旅立ち見送り、迎えの人々で

賑わっていた。

当時は、明け方六ツ(朝6時)に開き、暮れ六ツ(夕方6時)に閉じて、治安の維持と交通規制の役割を果たしていました。

 

 

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後で大木戸跡碑を思い出しましたが、気が付きませんでした。

(道を回り込まないとみられないようでしたね)

~高輪夜明けて提灯消す こちゃえー こちゃえー」 と謳われ昔はこの辺で

夜明けを迎えたようですね。

ということは茶屋なども早朝営業だたのでしょうか?

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大木戸跡を後にして江戸を離れたが、全く旅の感慨に浸るもの無し。

交通量激しいビル街をたんたんと進み、街道から右へ200mくらい入ると泉岳寺

 

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泉岳寺といえばご存じ、超有名な赤穂浪士の打ち入り。

「のおのがた、討ち入りでござる!!」

むか~し、修学旅行の時にフリータイム時に寄った記憶が??定かではなし。

カミさんは初めてというので、お参りに。

四十七士のお墓があることで、参拝のお焼香の煙が絶えません。

「桶から柄杓でぐい~と一気飲み、さあさあ韋駄天、高田馬場へ・・・」

ご存じ安兵衛、高田馬場の決闘・・でしたが、ずいぶん後になるまで安兵衛が

赤穂藩に仕え、四十七志に名を連ねたとは知りませんでした。

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 再び街道(第一京浜)に戻り約1kmほど進み、信号で南側にわたると、

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左手は港区にありながら、駅南口の大変貌をした品川駅。

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品川駅から京急の高架内沿って緩く坂道を進むと、街道は国道15号(第一京浜

と左手に別れ、京急線路と平行にJR線の跨架橋(八ツ山橋)を渡ります。

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八ツ山橋を渡って下るとすぐ右手の道へ分かれ、進むとすぐに

京浜急行の踏切。

踏切を渡って先が第一番宿場町・品川宿と続いてゆきますが、・・

私達の旧東海道五十三次、第一歩はここで足止まりです。

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(緑線が品川宿

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まだまだ先は長~~い・・・・

ゆっくりのんびり、歩ける内に歩けるときに・・

 おのぼりさん歩、第一歩でした。

またいつの日か、旅は続きます。