思い出旅 おのぼりさん歩 旧東海道夫婦歩き旅 第2歩

2013年2月23日、夫婦は旧東海道五十三次の旅第一歩へ。

旅の続きを綴ってゆきます。

 

先週、第一歩を踏み出した、東海道五十三次「おのぼりさん歩」
3月下旬まで、二人でかける事が出来る事になりました。

歩き続けるのに、一番大切なシューズ。
第一回めは、スイスへ行った時に買った、歩きやすい
タウンシューズでした。
タウン散策には問題が無かったですが、長丁場には・・と疑問が残りました。

ちょうど、某スポーツ店の大処分市が有って、
さっそく、一歩を踏み出した翌日に、探しに行きました。
ある街道旅されてる方のHPで、選び方で紹介されていたシューズを見つけて、
散々試し歩き。

足指の部分(黄線部分)が、くしゃとの曲らない仕様が適している由。

これは歩き易いと、カミさんも気に入って、ペアで購入です。

(なんとこの靴は、東海道完歩し、いま中山道を京へ向かって歩いてますよ!)

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2013年3月3日(日)第二歩へ。

今日の目安は、日本橋から第一番目の「品川宿」から 二番目の「川崎宿」への

川渡し「六郷橋」までですがあくまでも予定。

夜明け前に家を出立。いつもの場所に車を止めて駅へ。
乗り込んだ電車は、13年振りの「AM 6:01」発の電車でした。
現役の頃に12年ほど通勤で利用したダイヤ、ん?と言う事は

25年前から休日関係なく「6:01」発は続いてる!!

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当時から、半の出勤は家を5:30出。
カミさんは「低血圧症」で早い朝起きがつらそうだったので、朝食の準備は免除!
おかげで、早朝営業の駅構内の立ち食い店は、いろんな駅で体験してきました。
な〜んて、車中はサラリーマン時代の思い出話で、AM7:05 JR品川駅着。
構内のCaféでモーニングセット朝食を済ませ、前回足止め

品川宿」入口へ。

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AM7:50 まだ朝寝坊中の底冷えの品川宿へと足を進めます。

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品川宿は、江戸をでて東海道の1番目の宿です。

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当時の品川宿は、現在の京浜急行北品川駅」から「青物横丁駅」辺りまで、

続く町です。

いまは埋め立てで海は遠くなってしまいましたが、当時の南側は家屋の裏は

江戸前の海。

旅人のみならず見送りや迎えの人でも大いに賑わっていたと言われます。

現代は、当時の面影を残すものはほとんど残ってはいませんが、

町会が、随所に道標案内、説明掲示板、史跡案内なを整備し、

かっての「品川宿」を守り保存をしています。

宿を進むと、まだ開店前の商店ばかりですが、
逆に、浮世絵や江戸風情など、旧街道にマッチした楽しい「シャッターアート」が

迎えてくれました。

舗装も色分けされて、かっては旧街道宿場町であったことをしのばせる、

ゆるーくカーブしたりの幅の狭い道。

品川宿」を楽しむだけでも、是非のお薦めの街ですね。

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宿へ入ってすぐに三代家光と沢庵禅師と掛け合い問答「問答河岸跡碑」

三代将軍家光が、漬物の “たくわん” に名を残す沢庵和尚を訪ねて、この地に到り

問答をしたと伝えられる。

その問答は「海近くして何がこれ東(遠)海寺?」(家光)、

「大軍を指揮して将(小)軍というが如し」(沢庵)というものだった。

沢庵和尚は請われて、品川宿近くの東海寺の住職になり、現在も東海寺には

沢庵和尚の墓がある。(東海寺には寄ってません)

 

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続いて現れるのは、高杉晋作所縁の高級大妓楼として知られた

土蔵相模屋跡(現在はマンション)。

外壁が土蔵のような、なまこ壁の旅館「相模屋」があった。

幕末の頃、御殿山にイギリス公使館を作る幕府に反対した
高杉晋作らがここで公使館を焼き討ちを密議し、歴史の舞台となった所だ。

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おっ、定食屋さんかな?

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今旅人向けに設けられてる「お休み処」は、まだ開店前。

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その先、品海公園のところが、日本橋から二里で、品川一里塚跡と言われています。

ただし江戸中期にはすでに1番、2番の一里塚は無かったとの説がある。

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過ぎて

ここ法禅寺の堂宇に、明治7年公立小学校・品川学校開校。

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足を進めると左手一帯がいまは公園とになった、品川本陣跡でした。

本陣は北品川と南品川の二軒あったが、江戸中期にはこの北品川一軒になった。

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本陣跡を過ぎて山手通りを渡り、5~60m歩くと品川宿交流館が建ってますが、

まだ朝の8時半なのでシャッターが降りてます。

開かれていれば観光物産とともに、東海道品川宿「まち歩きマップ」が販売されて

いるそうです。

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間もなく目黒川に架かる品川橋。渡れば南品川です。

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品川宿内には東海道つながりで、何ヶ所かの宿場から送られた松が植えられてます。

これは浜松宿からですね。

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少し先の交差点付近から青物横丁。右手青物横丁商店街を行くと京浜急行の駅。

交差点には「えんどう豆」の形をした街灯立っている。

江戸時代に付近の農民が、野菜や山菜を持ってきて市が立ったから

青物横丁って呼ばれてるそうです。

 

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 しばらく進むと右手に「品川寺(ほんせんじ)」。

参道入口には大仏様のように大きな江戸六地蔵の第1番が鎮座してます。

作られたのは宝永五年(1708)
六地蔵は浅草の東禅寺、新宿の大宗寺、巣鴨の真性寺、白河の霊巌寺が現存します。

江戸三十三観音霊場 第三十一番札所になってます。

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山門を入った右手には、推定樹齢600年の大イチョウが高く聳えています。

袂には大きな石碑があり、脇には庚申塔もありました。

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品川寺を後にして旧東海道を進んでいくと、右側に禅、曹洞宗にて

「江戸三十三観音霊場番外札所 千體荒神 海雲山」の表札が掛かる山門あります。

山門の前には「開運 千體荒神霊場」と刻まれた石柱が立っていました。

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境内へ入っていくと その奥正面にに千躰荒神の社で、鎮守として

千躰三宝荒神王を祀っている

海雲寺の本堂はその右隣りにありました。

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「千躰荒神王」というのは火と水の神様で台所の神様だそうです。

九州佐賀藩鍋島家の高輪二本榎木の別荘に遷座しお祀りしてありましたものを、

因縁あって、昭和7年に当寺に勧請したと言われます。

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千躰荒神堂には夥しい奉納された「千躰荒神堂奉納扁額」があります。

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 境内にあった平蔵地蔵。(あの長谷川平蔵とは全く無関係ですよ。

「鬼の平蔵」ならぬ「正直者の平蔵」を供養です)

「江戸時代の末期、鈴が森刑場の番人をしていた三人の乞食がいた。その乞食の一人平蔵さんはある日大金を拾い正直にその大金を落とし主に返し、お礼にくれたお金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。その話を聞いた二人の仲間は、お金を返さなければ三人とも乞食をやめられたのにと怒り、平蔵さんを自分たちの小屋から追い出し、凍え死にさせてしまいました。それを聞いた落とし主の仙台屋敷の若いお侍さんは悲しんで平蔵さんの遺体を引き取り、青物横丁の松並木のところに手厚く葬り、上にお地蔵さんを置いて供養しました。あいにく明治になって京浜電車が開通する頃、お地蔵さんの土地に線路が架かってしまったので、この海雲寺の住職が、お地蔵さんを引き取ってここに大切に供養した」とのいわれです。

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その隣に、怖い顔をして電球を持って立っている、電燈講とかかれた荒神石造。
電燈講って??

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青物横丁を少し過ぎたところに右に入る道があり、曲がって左手に「岩倉具視墓所

の石碑が建ってます。

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100mほど入り京急の高架下を越すと、第一京浜国道が横切っており

第一京浜越に海晏寺(かいあんじ)が見えます。

以前は旧東海道近くまで海晏寺だったといいますから当時の勢力がうかがえます。
 執権北条時頼が、鎌倉建長寺蘭渓道隆を迎えて開山したと伝える。

墓地には、幕末の福井藩松平春嶽土佐藩主山内豊信、それに岩倉具視などの

墓があるが、一般の参拝は認められていない。

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街道に戻り少し進み交差点までが南品川で品川宿京口かな。

あっちへ寄り道こっちへ道草と歩を進め、品川宿を抜けました。

交差点を渡ると鮫洲・東大井一丁目の鮫洲商店街です。

東海道中膝栗毛弥次さん喜多さんが、ここについて詠んだん句。

「海辺をばなどしな川といふやらん さればさみづのあるにまかせて」

弥次さんが、海辺なのに何故しな川なんだ、と謎をかける。
喜多さんが、その心は、さみず(真水)。

鮫洲(さめず)にかけたんだね。

鮫洲は古くから漁師街で御林町と呼ばれ、目の前の海岸でここで採れた魚は将軍に献上さてたと言われます。

鮫洲は懐かしい地名です。

左海側にへの道を行くと「鮫洲運転免許試験場」があり、まだ独身の頃に

免許更新で何度か来たことが有るんですが、街並みなどは全く思い出せません

でした。(今は地元警察署で更新ができるので楽ですね)

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右手京浜鮫洲駅隣りには、鮫洲八幡神社がありました。

創立の年代はさだかではないが、寛文の頃(1661~1672)には、すでにあったと

されています。

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ちょと愛嬌もん顔の狛犬君も社殿を守ってます。

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街道に戻り500mほど進むと右手に、安政三年(1856年)の創業で

幕末には坂本龍馬山岡鉄舟も立ち寄ったと言われる蕎麦の老舗「吉田屋」

が今も商いをしています。お昼の時間であれば寄っていたでしょうね。

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そば処吉田から約300m歩くと京急立会川駅入口。

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右折して進むと、駅手前の右側公園に坂本龍馬像が建ってます。

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江戸時代、旧東海道から海沿いの地域に土佐藩の鮫洲抱屋敷のあった。

土佐藩は黒船来航時、防衛のため屋敷内に砲台を築き、剣術修行で江戸へ出ていた

龍馬が砲台要員として加わったと言われます。

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旧街道に戻り右折して先に進むと、立会川に架かる、なみだ橋として有名な浜川橋。

この先の鈴ヶ森処刑場へ曳かれる罪人と家族の別れ橋。

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橋を渡り先の十字路を左へ海側へ行くと、大井競馬場があります。

浜松町から羽田空港へ向かうときに右手に見えますね。

先ほど渡った、なみだ橋(浜川橋)のいわれももう一つの説は、この大井競馬場にまつわるんです。

大井競馬場へ行くにはこの橋を、当たり馬券をを夢見て渡り、はずれ馬券を握りしめ

しょんぼり渡る涙橋」ははは・・なみだ橋だ!!
競馬場から駅までの道をオケラ街道といって、ものすごく安く飲める露店がたくさんあるとか。

そこから南側一帯に、東西に長~い「しながわ区民公園」が広がっているようで、

左に入口を過ぎて、150mほど行くと国道15号(第一京浜)と合流。

合流手前の小さな森一角は・・・・  
火炙り刑の「八百屋お七」!刺殺刑の「丸橋忠弥」!そしてご落胤騒動「天一坊」。

そうなんです、怨霊漂う「鈴が森刑場跡」

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鈴が森刑場のすぐ先は、旧道と国道の合流点。

この先はしばらく国道歩きですが・・・・・

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先ほど通って来た「しながわ区民公園」入口で、

あら!「しながわ水族館」が有るよ!!
「寄ってみようようよ!!」の言葉が有って
予定は川崎宿へ渡る「六郷橋」まででしたが、なんと旅は中断、

まだ午前11時だけど・・まあ、いいや〜・・・・・・

 

鈴ヶ森刑場跡から国道を少し進むと「水族館」入口。

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少しお腹がすいたね〜で、水族館レストランでサラダバーで小腹を見たし

まずは館内へ。

水族館は楽しいですね。神秘的な「クラゲ」更に巨大な鮫やウミガメ。

日曜とあって、お子さん連れの家族で大賑わい。

カミさんも半も童心に還って・・・・・

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アシカショーも楽しんで時計を見ると、もうPM1:00が過ぎている。

所用のため帰宅へのタシムリミットが有るので、名残惜しいけど水族館を後に。

京浜急行大森海岸駅」側の牛丼屋で、新めて遅めの昼食。
二人でこの手のお店に入るのは初めてで、何故か?いただいたのは「豚丼」。

すっかりカミさんがお気に入り、また機会が有ればこれにしようね、て。

京浜急行「大森海岸」PM 1:53発にて帰宅へ。

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電車を乗り継ぎAM4:00、地元駅帰着。

買い物をすませてPM5:00、時間内に無事帰宅、

第二歩、旧東海道・おのぼりさん歩を終えました。

 

またいつの日か旅へ・・続きます。