歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第16回)  岩村田~望月 前編

 *ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです。*

 

早いもんでもう10月です。

前々から行ってみたいと思っていた、東北奥羽山脈栗駒山

9月29日~10月1日で、思い切って車を走らせた。

素晴らしい紅葉に出会えて、来て良かった!の旅でしたね。

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山頂へは登らなかったけど、登山はできた。

これで中山道旅で、歩き残してる軽井沢への碓氷峠越えもやっと自信が出てきた。

11月初旬、雪の降る前に歩く計画です。

 

と前置きが長くなりましたが、9月19日(火)第15回で沓掛宿から歩きだし、

岩村田宿で足止めでした旧中山道夫婦歩き旅。

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10月9日(体育の日)

中山道夫婦歩き旅、第16回へ進みます。

岩村田宿塩名田宿 1里11町 5.1Km
塩名田宿~八幡宿  0里27町 2.9Km
八幡宿~望月宿   0里32町 3.5Km

岩村田宿~望月宿 2里32町 11.5km

 

時間的に可能ならば、さらに足を伸ばして

芦田宿(望月から1里8町、5.1km)までたどり着けるかな。

と、早めに家を立ち関越高速で走ります。

横川SAで朝食休憩時、エンジントラブルでJAFのロードサービスの手を

煩わしたが、小一時間遅れでAM9:00、長野県、佐久平駅前駐車場着。

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トイレを済ませて佐久平駅より1kmほど南へ行くと、前回足止めした

岩村田交差点で旧中山道へ復帰。

途中に大きな自然石の「若山牧水歌碑」
「 白珠の歯にしみとほる秋の夜の 酒はしずかに飲むべかりけり」

が有るようですが、見落としたようでした。

 

AM9:30、第16回の夫婦歩き旅の再開で、岩村田宿の中心街へ

足を進めます。

(わぁ、肥満体だ!デジカメ置いたのが低すぎたね)

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岩村田宿は江戸から22番目の宿です。
岩村田藩内藤家1万5千石の城下町であり、商業の町でした。
城下町であったので、堅苦しい城下町の雰囲気が嫌われ、大名や公家は泊まらず、
旅人もあまり寄りつかなかったと言われています。
本陣、脇本陣はなく、旅籠も最盛期で8軒のみと小規模の宿場でした。
本陣、脇本陣の代わりとして龍雲寺、西念寺、法華堂などがが利用されたようです。

岩村田、古の旧中山道は、江戸時代に一度、大火に見舞われて復興時に、

今はアーケード街となっている、現在の旧中山道に付け替えられているそうです。

綺麗なアーケード街ですが、佐久平駅周辺や、佐久ICへの整備された道路周辺の
大型店やショッピングモールの出現で、御多分に漏れづ商店街の活気が

失われてしまったのか人の姿が・・・ないんですね。

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ところで、渓斎英泉が描いた岩村田宿浮世絵は、なんとも変わった絵ですね。

犬が吠え、座頭同士の喧嘩?

 街道画では珍しい描き方、なぜ岩村田宿がかな??

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中山道の画は版元の要請で、途中で安藤広重との共作になったようですが、

そのいきさつ(売れ行きが芳しくなかった)ことで、栄泉のプライドを刺激し

反骨精神の現れを描いたともいわれてるようです。

(左の高みの見物人は広重だとか)

右手の大きな数珠の下がった道へ入ると、前回お参りだけで寄った

浄土宗西念寺が有ります。

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武田信玄ゆかりの寺院で、昔は広大な敷地を持っていたといわれています。

戦国武将で織田信長豊臣秀吉徳川家康に仕た小諸城初代藩主の仙石秀久

岩村田藩主の内藤家の菩提寺です。

仙谷秀久は、鴻巣で死去し、この西念寺で火葬されたといわれています。

 

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山門や鐘楼も堂々としており、12本の柱の上に立った楼門の天井を見上げると、

笛や琵琶を奏でる天女の絵が描かれている。

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f:id:hansui:20171010112449j:plain街道へ戻り、商店街の中ほどに「日本一小さい酒蔵」と染め抜かれた暖簾の

酒店がある

銘酒寒竹の蔵元「造り酒屋の戸塚酒造店」

承応二年(1653)創業、文政四年(1821)に現在地で再興したそうです。 

300年の歴史があり、今は15代目が暖簾を守っている。

「少量でも品質の良い酒造り」 を目指した結果、

日本一小さな酒蔵になってしまったのだそうだ。

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昭和歴代の総理大臣の揮毫が厳重なショーウィンドウに飾られている。

古くは芦田。最近では、鳩山、管、野田、そして安部

 

 

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歩道に、招き狐プレート??

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旅籠も少ない小さな岩村田宿は、 相生町交差点で右折し塩名田宿へと向かいます。

交差点を直進する道は「佐久甲州街道」で、百名山八ヶ岳南麓の野辺山を経て

甲州街道に繋がる道です。

この交差点も追分です

武田信玄はこの道を通って甲斐国甲府から信濃佐久平一帯まで来ていたのです。

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相生町交差点を右に曲がり、塩名田宿目指して歩き始める。

すぐ右手に小さな西宮神社があり、過ぎて道祖神馬頭観音が祀られ

街道を示しています。

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右手奥に、プラネタリュームが有る「佐久市こども未来館」という

ドームを見ながら進むと、小海線の先踏切を渡ります。

小海線は小諸と中央本線の小渕沢を結ぶ路線で、八ヶ岳の麓を通っています。

八ヶ岳高原線」の愛称が付けられ、若い方に人気の清里リゾートや

JRで日本最高地点にある鉄道駅・野辺山駅がよく知られています。

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小海線中山道踏切を渡ったところに若宮八幡大神社標、

すぐ先に御嶽神社が有り、御嶽講の人達が長年かかって建ててきたものだろう

石塔が並でます。

f:id:hansui:20171010123747j:plain御嶽神社の突当りY字路を右に、県道154号塩名田佐久線を進み、

浅間総合病院の紅葉の綺麗な門前を左に回り込んだ突当りに、

相生の松があります。

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 赤松と黒松が一つの根から生えた松で、縁結びの象徴とされているそうだ。
皇女和宮がここで野点をして小休止している。

 初代は樹齢200年以上の赤松と黒松だったそうだが、現在の松は3代目。

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国道141号線の浅間病院西交差点を横断した街道は、

秋の実りの豊かな佐久平田園風景が広がる、のどかな道を進みます。

右手後方に浅間山、そして佐久平駅周辺の街並み。

浅間降ろしの風でしょうか、多くの田んぼの稲が倒れています。

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左手前方には、日本百名山蓼科山(2530m)、左に広がる山並みは

北八ヶ岳の山魂。

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佐久平は、北は浅間火山群、東は関東山地、西は蓼科山に囲まれた盆地です。

佐久平の標高は650~800メートルと日本の盆地としては高く、北部は浅間山の火山噴出物が堆積した台地で、南側は千曲川の沖積地となっています。

街道の左右は水田だけではなく、リンゴ畑も増えてきます。

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 ところどころに、石仏や石塔が建ち旧中山道らしい風景の中を歩むと、

田んぼの先に荘山(かがりやま)稲荷神社が見える。

近くへは行きませんでしたが、ここに「芭蕉句碑」(左)があるそうです。
 野を横に 馬引きむけよ 郭公(ほととぎす)   芭蕉

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中部横断自動車道ガードをくぐります。

この辺りに日本橋から四十三里目の「平塚の一里塚」があったそうですが、

まったく痕跡もありません。

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中部横断自動車道は、静岡市の新清水JCTから山梨韮崎を通り、

長野県小諸市の佐久小諸JCTに至る総延長約132kmの高速道路で、

現在は一部開通しし無料開放されてます。

平塚の集落を進みます。

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道の左手に百万遍供養塔が立ち、その先の石垣上に石仏石塔群があります。 
百万遍(ひゃくまんべん)とは、集落の人々が講を作り、人々が円陣を組んで座り、

大きな数珠を送りながら南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を百万遍唱えて

疫病退散などを祈り、全員の念仏が合わせて百万回に達したのを記念して建てられた

ものです。

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実りの秋

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平塚、塚原の集落を通って下塚原まで来ると、道が二手に分かれます。

このうちの左に入る細い道のほうが「旧中山道」です

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塚原に入ります。諏訪神社参道口に二体の男女双体道祖神

境内奥にも多くの石塔がたってます。

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佐久市塚原根々井塚原という集落の中を進んでいきます。 

如意輪大士碑(左下)が建ってます。

如意輪大士とは如意輪観音の別名ですが、旧中山道沿いには馬頭観音が多く

如意輪観音は珍しですね。

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その先のY字路を右に進み、溶岩上に庚申塔があります。

集落を抜けると雄大な佐久平の風景が広がっています。

後ろには雄大な浅間山

f:id:hansui:20171010175424j:plain前方には蓼科山、左手には八ヶ岳連峰の山々が見えます。

次の難所、五街道最高地点(標高1,600メートル)の和田峠はあのあたりかな?

空気の澄んだ季節には、正面に北アルプスが見えるとか。f:id:hansui:20171010174326j:plain

街道沿いの大きな石(浅間山の溶岩と言われる)の上に、3つの石塔が立つ。

庚申塔かな?文字擦れて判読できない。

(ある方の道中記では御嶽講碑とありました)

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方々で見かけましたね、休日は関係なし。

コンバインが収穫の時期は大活躍。

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 下塚原の集落に入ると、左手に名覚山妙楽寺の石門が立っています。

妙楽寺はここから続く参道の奥にあるのですが、門前で参拝して先へ進みます。

妙楽寺は、貞観8年(866年)の創建で「信濃の国に五ヶ寺を定額に列する」と

日本国史に明記された、信濃五山の1,000年以上続く名刹なのだそうです。

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秋ですね~

面白い作り方、ミニトマト。ブドウ棚作りかな。

カミさんが、来年はこの方式で育てたい、て。

カキも色付き、アケビも収穫頃かな。

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集落を過ぎると右手に、こんもりとした森があります。

橋を渡り参道を登ると、丘の上には文明18年(1486)の再建と云われている

駒形神社」が鎮座しています。

 

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石段を上って左手にひっそりと見られるのが社殿で、そのの中にある本殿(右)は
国の重要文化財に指定されています。

中には騎乗の男女二神像が祀られていて、この先の「望月の牧の守り神」と

伝えられています。

源頼朝が当社前を騎乗のまま素通りしたところ落馬したと言い伝えられてるそうです。

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 街道資料によると、「望月の牧」とは奈良時代から平安時代にかけて、

天皇へ献上する馬を飼育していた牧場のことです。

 カミさんがお腹が空いたと言うので、神社裏手の集会所?の庭先木陰で、

持参の健康サプリメントで早めの昼食と、しばしの休憩。

中山道沿いは岩村田を出ると、全くお店が見当たりません。

少し離れた国道へ出るとあるようですが。

 

駒形神社を出ると、道は舗装道路の駒形坂を下ってますが、

街道図ではこの先で、ガードレールが切れるところを右崖下に下るのが

中山道になってます。

坂を下り終わったところで今度は坂を登って、200mほどで舗装された道路に

戻ります。

下には廃屋のような家、夏草ぼうぼうで、踏み跡も見分けつかない状態。

やぶ蚊が苦手のカミさんが「ダメ!」のクレームで舗装道路を下ります。

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坂を下りきると 右手に製材所が見えてきて、民家が増えてきます。

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しばらく歩くと、桝形の大きな五差路になった塩名田交差点になり、

「笠取峠 15.3km 追分 15.3km」、「中山道塩名田宿標柱」や道祖神が建ってます。
 

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PM12:05、岩村田宿から1里11町 5.1Km、2時間30分もかかって到着です。

塩名田宿は、江戸から数えて23番目の宿場です。

街道資料によると、現在の長野県佐久市塩名田にあたり、

天保14年(1843年)の記録によれば、宿内家数は116軒、うち本陣2軒、脇本陣1軒、

旅籠7軒で宿内人口は574人だったそうです。

(街道絵 塩名田宿は広重画に替わります)

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平成17年(2005年)に佐久市に合併される前までは北佐久郡浅科村でした。

(浅科とは浅間山蓼科山の間に位置していることから、それぞれ一字ずつとって

浅科という名前になった)

そうか、ちかくに「道の駅ホットパーク浅科」が有るんだな・・・

真っすぐ伸びる宿場の道を歩みます。

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 宿は千曲川の東岸にあり、旅籠が10軒以下の小さな宿場にも拘らず、

川止めに備えて2軒の本陣と1軒の脇本陣が用意されていた。

その1軒は、現在は食料品店となっている大井屋の場所にあった、

「丸山善兵衛本陣」で、延宝年間(1673年~)から本陣を勤めたそうです。

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丸山本陣跡の斜め先の切妻・大屋根の建物も「本陣・問屋跡」で、

こちらは丸山新左衛門家。

新左衛門家本陣の建物は宝暦6年(1756)に再建されたもので、

改装されながら、現在も住居として使われている。

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ちなみに脇本陣は丸山文左衛門家と、丸山一族が本陣・脇本陣を務めていた。

隣が「高札場跡」で、一部が復元され今は掲示板として使われている。

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 高札場跡の斜め先にある 「佐藤家住宅」 は、

塩名田宿で最も古式の町屋の様式を伝える建物。

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“うだつ”を備えた白壁・土蔵造りの建物は最近のものかな?

看板は昔の屋号が書かれた酒屋の「大和屋」です。

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さらにその先の「えび屋豆腐店」の建物は、江戸時代末期に建てられたもの。

半分土蔵造りになっていますね。

天然のにがりで豆腐を作っているそうで、その味は極上。

午前中には売り切れてしまうのだとか。

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塩名田宿の宿内の建物には昔の屋号の看板が掲げられていて、味があります。

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 えび屋豆腐店から数十メートル先で県道と別れ、旧中山道は右側を下って

「河原宿へと向かって行く」。

f:id:hansui:20171010213350j:plain 坂を下った左側に東屋があるが、ここは「瀧大明神社跡」。

かつて、傍らのケヤキの大木(今は枯れている)の根本から、

大量の清水が湧き出ており、旅人の喉を潤していたそうだ。

この場所には十九夜塔や道祖神も建てられている。

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 東屋の隣は「角屋」と呼ばれた休み茶屋跡で、建築年代は不明だが

木造の3階建てである。

ここには木造3階建ての建物が沢山有る。
道路(県道)より低い位置に有るので、3階建てにして道路と高さを合わせのかな。

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 この辺りを「お滝通り」と呼んでいるが、この先を右に曲ると、

川魚料理の看板を掛けた旅籠風の建物が何軒かあり、かつての宿場の面影が

残っている

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 突き当たりが旅人泣かせの千曲川。江戸時代から明治にかけてはここから川を渡っていたのだが、今もその痕跡がある。

 橋を架けては流されを繰り返した千曲川。明治6年(1873)、6艘の舟をつないだ舟橋を架けたのだが、その際、舟をつなぐために使われたのが「舟つなぎ石」(左)。明治26年(1893)まで使われたそうだ。

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今はこの先には橋が無いので川に沿って左に曲り、県道に出て「中津橋」を

渡って街道は続いてゆきます。

それにしても快晴、気温もぐんぐん上がっている様子。

川風が気持ちがいい~・・

 

続きます・・・