一般公開 皇居乾通り通り抜け、と東御苑散策 (Ⅰ)

*2014年から続いていたJR東京駅(東京都千代田区)丸の内側の改修工事が

 完了し、様変わりした駅前広場が7日、オープンした。

 赤レンガ駅舎や、皇居へ続く「行幸通り」と調和した空間になるようにデザイン

 され、東京の新しい名所になりそうだ*

 新聞報道で知り、たまたま同じ紙面に「皇居乾通り、通り抜け一般公開10日まで」

を見つけ、そうだ、ちょうど所用もあって四谷まで行くから、足を伸ばして

行ってみようか、で9日朝の諸々を済ませて電車で東京駅へ。

地下鉄を利用して東京駅へ行ったため、ひょいと地上へ出たら丸ビル行幸通りで、

新装なった駅前を通り越してしまった。

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いつも工事用塀で囲まれていた正面が、スッキリとしてます。

しばらく写真を撮りあったりして景観を楽しんで、行幸通りを北へ皇居前広場

足を向けます。

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日比谷通を交差点で渡り、左手馬場先濠

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皇居前広場から左へ曲がり、内堀通りを西へ桜田門方向へ歩き、右に折れて

二重橋前から東にUターンして、皇居外苑を一周する感じで誘導されて

坂下門へと進みます。

広場前右手に巽櫓、左手は桔梗門、左端は富士見櫓f:id:hansui:20171211092047j:plain

皇居前広場

左手の人の列は二重橋へ向かう観光客。

通り抜けに向かう順路からは直接二重橋へは行けません。

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二重橋、何年、いや何十年ぶりかな、

右手に見える「伏見櫓」は、三代将軍家光の時、京都の伏見城から移築したと

伝えられている。 

立派な多聞を備えた現在3つ残る江戸城の櫓の中で、一番美しいと言われるが、

今回は坂下門へ向かう誘導路上なので、近寄れません。

手前の明治20年(1887)に、石造りのアーチ橋に架け替えられた、通称「眼鏡橋

とも呼ばれる「皇居正門石橋」を渡り、左手は西の丸大手門(現皇居正門)から

入り、桝形を右へ曲って奥の正面鉄橋を渡り皇居へ入るんですね。

 

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二重橋は、二つの橋のことを言うとばかり思ってましたが、
奥に見える正門鉄橋のことを指すんだそうですね。
「奥の鉄橋は、かつては江戸城の西丸下乗橋のあったところで、青銅製の擬宝珠の
欄干の付いた木造橋で、壕が深かったことから途中に橋桁を渡して、その上に橋を
架けるという、上下二段に架けられた二重構造であったことから、「二重橋」と
呼ばれるようになった」 

へ~、そうだったんだ、初めて知りましたね。
(最近は二つの橋で二重橋が一般的呼称となってるようですが)

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長~い行列が進む先にはセキュリティーチェックのテントが見えてます。

以外に簡単なチェックで通れました。

紅葉もほぼ終わったようなので、人出は少ないのかな。f:id:hansui:20171211083019j:plain手荷物検査、金属探知機でのボディーチェックを受けて、坂下門から

 一般公開された乾通りへと入ります。

坂下門は、西の丸大手門(二重橋の正門)と桔梗門(内桜田門)との間にあり、

宮内庁への出入り口となっています。
ここは西の丸の造営後、新たに造られたと伝えられています。

江戸時代は、高麗門と櫓門からなる枡形形式で、高麗門から入ると左に曲がって

櫓門をくぐる形であった。 

しかし明治21年に高麗門は撤去され、櫓門(西向き)の角度を90度変え、

正面(南)に向きを変えて建てなおされた。

文久2年(1862)1月、老中・安藤信正が登城途中に、この坂下門の前で6名の

水戸浪士に襲撃された「坂下門外の変」が起きてます。

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皇居の乾通りの通り抜け一般公開は、坂下門から乾門まで、蓮池濠と乾濠沿いの

750mを一方通行で歩きます。

乾通りには、イロハモミジ、ウカエデなどが植栽され、ピークであれば素晴らしい

紅葉が見られるそうですが、昨日の情報ではシーズン終了とありました。

 しかし両側には、さまざまな樹木が植えられており、石垣・濠と相まって

美しい景観を楽しめる並木道となってます。

途中の西桔橋から皇居東御苑へ抜けることもできます。

門を入り桝形を右手に曲がると、見事な松の木々、奥に万治2年(1659年)

再建の富士見櫓が優美な姿を見せます。

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左手に曲がるとすぐ左手一帯は江戸城西の丸跡で、現在は皇居新宮殿があり、

「長和殿」の一部が見られます。

「長和殿」は宮殿で一番長い建物で、長さが160m、中の廊下の長さは100m

あるそうです。

この場所で、新年1月2日と天皇誕生日の12月23日の年2回、

天皇皇后両陛下と皇族方が長和殿中央バルコニーにお出ましになり、

国民からのお祝いを直接お受けになるお姿はテレビでおなじみですね。 
「長和殿」の前の広場が「宮殿東庭」で、広さが約4500坪あり、

一般参賀などの多いときには約2万人が一度に参賀できるそうです。

写真右側の大きな塔は、「松の塔」と言われ、葉と葉の間から光が灯すように

作られた照明塔です。

先端にある輪は、ふしろという古代婦人の腕輪を形とってるそうです。

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隣りの石造りの重厚な建物は、昭和10年(1935年)に建築された宮内庁

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乾通り右手のお堀は、長さが約400m、深さが約80cmの蓮池濠。

毎年7月8月の夏の季節は、綺麗な蓮の花の蔽われ素晴らしい景観が見られるとか。

(ただし、残念ながらその時期は未公開ですね)

お堀の石垣は横一直線ではなく、幾重にも折曲がった構造をしています。

「ひずみ」という工法で石垣の直線が長く続くと、強度が落ちることを防ぐための由。

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宮内庁を過ぎて左手は山下通りです。

春の桜、秋のもみじのきれいな通りだそうです。

右側奥が「紅葉山」で江戸時代からほとんど人の手が加わっていない場所と

言われ、江戸城紅葉山東照宮があったそうです。

左手は宮内庁庁舎で、奥に大きな饗宴が催されるときに使われる、豊明殿がある

そうです。

(今日は入れませんが、事前申し込みの一般参観実施日は参観コースになってます)

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冬桜の若木が花を咲かせてます。

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その先には局門とありますが、名の由来はわかりませんね。

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蓮池濠の向かいは東御苑の富士見多門、城内なんだの風情がありますね。

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左手に長屋風入母屋造りで「門長屋」とありますが、先ほどの紅葉山への

通用門でもあった様で紅葉山下門といわれたようです。

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下道潅堀

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右手の橋は東御苑への西桔橋(にしはねばし)が見えてきます。

いったん橋を渡ってしまうと、乾通りへは戻れません。

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橋を渡らずに北の乾門へ足を進めます。

濠は乾濠、右手は西桔橋

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乾濠、濠の最奥は北桔橋の石垣で、右手石垣は本丸の有った東御苑です。

あとであそこを渡って、東御苑へ入ります。

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正面に見えてきた乾門

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坂下門から750m程、春、秋の一般公開時のみ通れる「乾門」を

抜けて「乾通り一般公開」は終わりです。

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門を抜けると首都高のインター入口道路です。

道を挟んで北側に立つ、赤レンガの優美な建物、

おっ、これは!ここに出てくるんだ!!

なんとも懐かしい建物です。

現在は東京国立近代美術館・工芸館で、戦前は近衛師団司令部でした。

懐かしかったのは、昭和30年代はこの建物の中に学徒援護会が有って、

地方からの学生の宿舎があり、また学生へ下宿屋さんの紹介、斡旋もしていたん

です。

上京して2年目に、教えられて来たことがあったんです。

・・もう60年も昔の話なんだな・・・

左手へ行くと桜で有名な千鳥ヶ淵戦没者慰霊苑がありますね。

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左手に続く代官町通り沿い、長く続く築地塀空堀イチョウの落葉、

う~ん、美ですね。

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首都高入口道を北へ横断し、北の丸公園へ少し足を伸ばします。

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ど~んと、日本武道館

前回の東京オリンピックの柔道競技場ですが、なんといっても1966年に

ビートルズのコンサートが行われてからは、アーチストの聖地とも呼ばれるように

なりましたね。

カミさんは子供の発表会などで何度か来たことがあるそうですが、

それも30年以上も前の話。

私は何の時に来たのか記憶があやふやですが、一度だけは来たことがありました。

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武道館そばのCaféでランチにし、一休みして東御苑へと再び南へ向かいます。

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北の丸公園を抜け、歩道橋を渡り、東御苑への北桔橋門へ向かいます。

右手は先ほど出てきた乾門方向。

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左、平川濠、右手乾濠

昔は跳ね橋で、本丸を控え厳重な警備体制が敷かれていた

北桔橋門(きたはねばし)から本丸の有った、東御苑へ入ります。

 

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続く