歩いて再び京の都へ 旧中山道69次夫婦歩き旅  第32回 大湫宿~御嵩宿 (三)

細久手宿を後に、御嵩宿へと足を進めます。

右手の土手の上には、石窟に祀られた「西坂辻の穴観音」があります。
寛政13年(1801年)に建立された馬頭観音が安置されてます。
長寿クラブの案内板に「九万九千日観音この観音様の縁日に線香をお供えして
お参りすると、九万九千日分の功徳がいただける」と記され、下に都都逸風の唄が
書かれてました。

”九万九千の観音に 人目忍んで祈ります

    赤い襷のおさげ髪  あゝ細久手宿場街”

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すぐ先には小さなの西坂辻の津島神社があります。

そういえば、細久手宿の祭りに津島神社の「巻藁船提灯祭」があり、今年は台風で

中止になったと瑞浪市の資料にありました。

公民館広場の「星あかり夢街道」のリーフレットのもう一面は「巻藁船提灯祭」

でした。祭りはこちらの小さな津島神社の祭りだったのかな?

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 (公民館広場のリーフレット

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(ただ津島神社のお堂は、庚申堂の境内にあったのを、明治8年お堂を日吉愛宕

 神社に移し祭を再興した、と記した資料があるので別の津島神社かもしれません)

神社を過ぎて、左手に田畑の広がる県65・恵那・御嵩線を行くと大きな道標が

建ち、道はY字路となり県道352が左手に分岐してゆきます。

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右手は小さい棚田になっているゆるく坂を上ると、小沢平集落が見えてきて、

右手に「中山道くじ場跡」石碑が建ってます。

街道書によると、

駕籠かきたちが、大湫や御嵩への荷の順番を決めるためたむろしていた場所で、

次第に駕籠かきだけでなく宿場の人足たちが、休んだり博打を打ったりした所に

なったという場所、だそうです。

 

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2,3分ほど先、右手斜面に馬頭観音、さらに5分ほどの竹藪下にも馬頭観音

祀られていました。

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 敵中横断三百里、か・・たしか中学くらいのころに映画を観た記憶がかすかに

あるな~・・

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道は下りとなり二車線の道路に合流し、平岩の集落へ入ります。

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すぐ先で平岩橋を渡ると県道366との「平岩辻」と呼ばれる交差点で、

交差点の右手に道標やら、交通安全やらの碑が林立しています。

西は中山道のつはし・みたけ道。南は景勝地で温泉宿もある、まつのこ・おに岩道。

高い標柱には県道366を北へ1kmほどにある古刹、土岐家菩提寺の開元寺への

道標でした。

(まつのこ、はダム湖の松野湖だと思われるので、道標は割と新しいようす)

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中山道は交差点を直進し少し急な坂を上ってゆきます。

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5分ほど登ると左手にある中山道道標と、中山道影の碑から山の中に入って行きます。

右手にある石碑には「左仲仙道西の坂」と読めました。

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左手に立つ「瑞浪市内旧中仙道の影」碑

之より先千三百米一里塚迠瑞浪市日吉町平岩地内旧幕当時に開いた仲山道は昔其侭の姿を今尚残して居り此間に次の様な地趾が残って居る一里塚より先は可児町に通じて居る

一.道が東西南北に向て居る珍しい所

一.石室の中に観音像三体祭る

一.旧鎌倉街道へ行く分岐点日吉辻
一.切られヶ洞
一.一里塚京へ四十一里、江戸へ九十三里
    路上及び一里塚附近よりの眺め
一、東に笠置山恵那山駒ケ岳
一、西に、伊吹山鈴鹿連峰
一、北に、木曽の御嶽山加賀の白山
一、南に、遠く濃尾平野尾張富士又快晴の日には尾張熱田の海を見る事ができる

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これより先、楽しみな街道歩きになるね。

上ってすぐの右手に、石柱が二基ありましたが、判読できませんでした。

一基には「東 施主平岩小沢〇〇・・」 もう一基は「〇〇すぐ先を・・」

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西の坂を上りきる少し手前、右手石積みの台地に三つ石窟が並び、

「秋葉坂の三尊石窟」と題した説明版が立っている。

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3つある石積みの石窟には、右に明和5年(1768年)建立の三面六臂(さんめんろっぴ、顔が3つで腕が6本)の馬頭観音立像、真ん中に明和7年建立の

一面六臂の千手観音座像、そして左に風化が進んだ石仏がそれぞれ安置されている。

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解説板には石窟の後ろに秋葉様が祀られてるので、秋葉坂と呼ばれる、

とありますが、後ろに祀られてるのは写真を拡大してみた限りでは、

馬頭観音像に見えます。秋葉様は見逃してるのかな?

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すぐその先には「鴨之巣道の馬頭文字碑」標柱があり、林の中に碑がありました。

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ほぼ平坦な道が10分ほど続くと、道標などの立つ三叉路でます。

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鴨之巣辻の道祖神標柱があり、左手奥に道祖神石碑があり、間の標石には

「右旧鎌倉街道迄約一里余」と刻まれ、ここが「鴨之巣辻」になるそうです。

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ついに出た~! はい、しっかり二人とも熊鈴鳴らして歩いてますよ。

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街道書を見ると、右側は花の木ゴルフクラブの敷地になったようす。

街道は下りとなり5分ほど行くと右手に「切られが洞」なる石柱が建ってます。

何も説明物はありませんが、街道書によれば「昔、牛を追ってきた村人が盗賊に

切られた処」なのだそうです。

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前に通ってきたところにも山賊に襲われるうんぬん、がありましたね。

熊は鳴り物で避けられますが、盗賊は恐ろしい!

砂利道ですが落ち葉をカサカサ踏み鳴らしながら、道標を見送りしばらく行くと、

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両塚をしっかり残している、江戸から93番目の「鴨之巣一里塚」です。

解説版には

「江戸へ93里、京へ41里という道標の中山道鴨ノ巣一里塚です。一里塚は道の

 両側に一対づつ築かれましたが、ここの場合地形上北側の塚が16m東方に

 ずらされているのが特徴です。ここからは鈴鹿、伊吹や北アルプスの山々が

 一望できました」と記されてます。

 地形の関係によるらしく、16mほどずれて築かれているそうです。

北塚に対して南塚は京都寄りに築かれている。

先ほど西の坂(秋葉坂)の上り口の「瑞浪市内旧中仙道の影」碑にも

眺めの記述がありましたが残念ながら展望はなかったね。

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f:id:hansui:20181116200722j:plain 一里塚から下りになり、すぐ先に青色の「歴史の道道標」と東下りの旅人への

「ようこそ瑞浪市へ」の看板があり、瑞浪市から御嵩町へと入ります。

私たちには、「さよなら瑞浪」です。

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落ち葉を踏みしめながら進むと、歴史の道道標(青)と東海自然道道標が建ち、

左手に、鬼岩、松原湖方面への分岐があり、すぐ先に津橋1.2km30分の道標が

建ってます。

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下る坂はくじあげ坂と呼ばれるそうで、徐々に傾斜がきつくなってゆき、あまり

手入れにされていない竹林の急坂を下ってゆきます。

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30分ほど下ると、前方の空が広がり、津橋の集落が見えてきます。

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石垣に囲まれた石窟内に、馬頭観音があったようですが見過ごしてしまい、

さらに急坂を下ると、江戸時代には酒造業を営んでいたという山内嘉助屋敷跡で、

雑草や木に覆われているが、屋敷の石垣が今も残っている。

中山道を通行する諸大名の休憩所として、旅する人々には一夜の宿として使われた

ようです。

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坂を下り切ると分岐があり中山道道標が左を指して、製材所に入るような

砂利道を示し、ちょと迷いましたが足を進めて案内板に従って、

製材所の前を通らせて

もらいます。

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砂利道は製材所の前だけですぐに舗装道に替わり、津橋の集落内を左手に下って

ゆきます。

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道はかってはつばせ村と呼ばれる間の宿であったそうで、右手に天満宮常夜燈が建ち

台石には「當村氏子中」と刻まれてます。

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天満宮常夜燈から、コスモス咲く道を少し進むと、十字路となり、道に張り付けた

道案内と書かれt白い矢印に従って横断して、家の間の細い道へと進みます。

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さらに約60m進むと、右側手前に中山道道標の建つ県道65号に突き当たり、

左折しました。

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 県道65号に合流し、津橋を渡る手前から左手を見ると、立ち寄りしませんが

お堂は「津橋薬師堂」で、街道書によれば天井絵や堂の右手には宝篋印塔・

五輪塔・名号碑など11基が 並ぶほか、何代目かの山内嘉助が 勧進したものと

伝えられる宝暦3年(1753)と刻まれた石灯籠があるそうです。

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 津橋から4、5分ほど行く集落のはずれは五差路になり、県道65号から斜め

右に分岐して細い上り坂が現れ中山道石柱と「中山道 至御殿場」の道標が

坂の入り口に立ってます。

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お城のような巨岩の石積脇を通り、急勾配の坂の右手は山肌がえぐれて、

庇状になり、今にも山が崩れそう!足早に通過します。

坂道は諸の木坂と呼ばれるそうです。

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すぐ先右手に六字名号塔や二十三夜塔、四国百番供養塔が建ち、石段が木立の中へ

続いてゆき、奥には観音堂が祀られてるそうですが、参道入口にには、鳥獣駆除

の電線が張られていて入れませんでした。

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参道入口の約50mほど先の右手に立つ判読し難い碑を見送り、細めの道を進みます。

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しばらく山間の里道を上がって、観音堂入口から10分ほど登ると、

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急坂は竹林の中を進むようになり抜けると、右手石窟内に街道書には記載のない

馬頭観音が祀られてました。そのそばには・・

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緊急の時、場所を伝えるための看板ですね。御嵩に入ってからこの先でも

何か所かで見かけます。ありがたいですね。

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さらに7,8分、諸の木坂の急勾配を上ると廃業した工場のような建物の左手の

山道を行くようになります。工場の右手は荒れた草地が広がってますが

何だったのだろう?

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東海自然道標御嵩・0・7kmを見送り、琵琶峠より厳い諸の木坂を息を切らせて

上がってゆくと、峠の頂が近づいたようです。

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PM2:20、

建物やパネルなどの建つ、街道の両側に5軒の茶屋があったという

物見峠(諸の木峠)につきました。

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峠には「馬の水飲み場」の案内板と、それらしい水たまりがあり、中山道解説板

には和宮降嫁時に休憩用の御殿が作られたことから、「御殿場」と呼ばれている

由が記され御殿場の石柱も建ってます。

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案内板隣には真新しいトイレも設置されてました。

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石柱脇の階段を20段ほど上ると明るい広場で、そこがが御殿場跡で、四阿風の

休憩所が設けられ、東に恵那山、北に御嶽山を眺望できる場所と案内板には
記載されている。
江戸へ下る皇女和宮一行はここで休憩し、大湫宿で宿泊したという。

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霞がかかり望遠はありませんが、紅葉を眺めながらひと時の休憩。

 

旅は(四)へ続きます。