歩いて再び京の都へ 旧中山道69次夫婦歩き旅  第32回 御嵩宿~太田宿 中編

5月25日(土)中山道歩き旅の続き編へ入ります。

 

一面には太田の渡しを経て岐阜に至ると刻まれ、もう一面は多治見、犬山に至ると

記されている犬山道道標の分岐を右手国道21号の旧道へ足を進めます。

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上恵土交差点から約500m弱、右手に四国西国巡礼碑が建つ弘法堂

(なぜか撮影無し)を過ぎ、続いて寛文6年(1666年)に再建され

神明神社白山神社を合祀した上恵土神社があります。

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私たちは旧国道21の左側歩道帯を進んでますが、250mほど先に分岐があり、

左手に大きくカーブしてバイパスの現国道21へ合する道と、右手へ下って行って

300mほど先での国道へ合する二股になってます。

二股の手前右手に「またのおこしを・・中山道歴史の町」の看板がありました。

ここで御嵩町伏見がおわり、この先街道は可児市となってゆくようです。

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街道書では二股は右手への指示になってますが、分岐手前からはガードレールに

切れ目がなく右手には渡れないため、左カーブで国道(21号バイパス)へ

合流しました。

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国道21号の右手歩道帯を1km弱行くと、横断地下道のある中恵土交差点で、

中恵土交差点の手前にあるバイパスの地下道入口のところに、

江戸から97番目、恵土一里塚跡を示す石碑が建っています。

石碑には、江戸時代の一里塚はここから東に約30メートルのところにあったと

刻まれてます。

(「恵土」という地名の読み方は「えど」で、鎌倉時代には「荏戸」と表記され、

 「江戸」、「江渡」とも書いた由)

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時刻もお昼直前。気温も30℃越えたかな?

国道の左側にコンビニ、さらに先に、Macの赤いマーク見えたのでどちらかでお昼にと

横断地下道で国道左手に。

コンビニにイートインコーナーがなさそうなので、久しぶりにハンバーガでの昼食。

結構席数の多い店舗で家族連れで大賑わい。

こうしてみてると、一人っ子なんていないようなんだがな~・・

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 小一時間ほど体を休め、再び炎天下?の街道jへ。

街道書では先で右手へ分岐するとあるので、手前の川合口交差点で国道右側へ

移動します。

街道(旧国道21)は、愛知用水の大東橋を渡ったところでバイパスから右に

分岐し、右手に可茂公設市場を見ながら進むと、JR太多線の中仙道踏切に

当たります。

街道書には、踏切手前に辞世を刻んだ数基の「辞世塚」があると記されてるが、

撤去された周辺何も無し?

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踏切を渡り少し行くと、右手石垣台上に開運北辰妙見大菩薩碑が建ってます。

街道書には簡単に「北斗七星、または北極星を神格化した神」と記されてますが、

ある書では、

「昔から太陽・月・星の運行を神秘的なものとして崇め、

 仏教では日蓮宗や、真言宗天台宗などに取り入れられ、妙見大菩薩と呼ばれ、

国土安穏・五穀豊穣・除災招福、開運隆昌の守護神として信仰されてきた」

とありました。

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碑から今度大東交差点を渡り、お世話にならないようにの「JAF」を見送り

約300m歩くと、左側に東住吉自治会館があり、秋葉神社が祀られていました。

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住吉交差点で現国道21号と交差、現国道は新太田橋で木曽川を渡ってゆきますが、

街道は住吉交差点を直進し、国道248の旧道となって

今度の渡しを控えた立場で賑わった今度村へ入り、 

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300mほど行くと、右手に村の鎮守今度神社の鳥居が建ち、奥の木曽川沿いに

今度神社が鎮座しています。

神社は、昭和になって住吉神社八幡神社神明神社の三社を合祀した新しい

神社だそうです。

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今度神社から150mくらいに、天正年間1609年に開山といわれる

臨済宗妙心寺派金剛山龍洞寺があり、龍洞寺起縁の名石と伝わる(街道書記述)

「龍の枕石」が祀られてます。

その昔、この近くに雌雄の龍が住んでいたそうで、その龍の寝枕なんだそうです。

枕を使って寝ていた?? 日本昔話だね。

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先から道は右へ曲り始め、やがて道は二股に分かれ、旧国道248は

現在は「太田橋」を渡るため右折をして行くが、真っ直ぐ進む道が中山道で、

当初は先にあった「土田宿」から対岸のへ渡って行っていた。

その後現在の「太田橋」の西100mの所へと渡し場が変っていった。

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分岐の右手前に参道があり、元禄年間(1688~1704年)に創建された

富士浅間神社が鎮座します。

境内の木陰をお借りして水分補給と足休め。

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一休みして分岐左手の渡しへの道へ入り、「別格今渡弘法大師旧蹟」の石碑が建ち、

「卍南無弘法大師」と染め抜かれた幟が立ち並び、庚申塔の建つ小道へ右折すると、

木曽川に向かって石段があり、それを降りていくと弘法堂が建っている。

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弘法堂の脇から木々の間に青い川面が見え、池の赤い橋を渡て左手へ下ると

護岸された木曽川の川辺の石畳道へ出ます。

護岸された石畳道は水面からかなり高く、渡し場跡は??と青い太田橋方向へ

進んでみましたが、崩れた場所などがあり先へは進めません。

崩れた付近が渡し場だった石段跡のよう見も見えましたが、わからないままに

戻りました。(史跡としての保存に力が入ってない?)

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中山道の三大難所、「木曽のかけはし、太田の渡し、うすい峠がなくばよい」と

詠まれた、木曽川の渡し場跡。

この対岸の呼称が太田の渡しですが、木曽川の出水ごとに船止めとなったので、

旅人のため宿屋・茶屋などが立ち並び、今渡地区も湊町として繁栄したと

伝わってるそうです。

昭和2年(1927年)に太田橋が運用されるまで利用されていたという。

(太田橋は大正15年末に完成しましたが、 大正天皇がご逝去されたため昭和2年に

 渡橋式を行ったそうです)

なにか史跡としての残し方に物足りなさを感じながら、再び弘法大師堂前を通り、

ゆるく坂道を100mほど行くと、旧国道への太田橋袂へ出てきます。

(後のかくにんで、渡し場跡の石畳道を下流方向へ遊歩道的に整備されてる様でした)

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道の右手は小公園になっていて、ここに渡し場のモニュメントがありました。

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さあて、今旅人は延長218m、2008年にできた新しい太 田橋歩行者用橋を

渡ります。

車道橋は1927年(昭和2年)完成で、土木学会選奨の土木遺産に登録されている。
歩道橋の無いころの太田橋は歩道帯が無く、つい最近まで今旅人にとっても

東海道天竜川と並ぶ恐怖の難所だったと言われてたそうです。

(2008年前の旅人日記にも必死に駆け抜けた、とありましたね)

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5分ほどかけて木曽川を渡り青い橋桁が終わったところで、右手に下る道が

分岐し、道の左手に「リバーボートパーク⇒」の案内板が建ってます。

下ると木曽川美濃加茂川河川敷で、従来からあった中之島公園をリニューアルし、2018年4月に開園したばかりの中之島公園「RIVER PORT PARK INOKAMO」

でした。

かつて観光客でにぎわい、2012年に廃止された木曽川日本ライン下りの出発地

を整備したようですね。

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先で河川敷上を渡る橋となって、可児市から美濃加茂市へと入って行きます。

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橋を渡った先は右手上流にかけられた新太田橋を通て来た現国道21号に

突き当たりますが、国道21へは合流せづ、一旦橋を渡ったところで、

ガードレール切れ間から左側へ渡り、少し戻った形で、木曽川沿いの堤防上が

遊歩道になっている中山道へと向かいます。

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木曽川の右岸美濃加茂側河川敷は太田の渡し場跡があり、太古の森林の樹木が

土砂などに埋まって化石(珪化木)となったものが多数発見された「化石林公園」が

整備されているそうですが、土手上からの眺めで良し、として遊歩道を西へ進みます。

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日陰のない堤防上遊歩道ですが、さすが川沿いは風も爽やかで、るんるん気分で

 足を進め500mほど行くと、街道書に案内されてる文化会館側の階段があり、

堤防下に建つ美濃加茂市文化会館の敷地に、江戸から98番目の

「古井(こび)の一里塚跡」を示す標柱のみが建てられてました。

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あら、いい色合いね、とカミさんの指さす方に咲いていた花。

  初めて見た花 なんの花♬。

(桔梗草 (ききょうそう)、別名 段々桔梗(だんだんききょうというんですね)

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敷地内を回り込んで再び遊歩道を行くと、右手にあの大阪万博太陽の塔

岡本太郎の父親で、漫画家の岡本一平終焉の地碑が建っていました。

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 (写真、上の左から右)岡本一平碑から約80m歩くとY字路分岐となり、

  右側の道に進み、約80m先のポンプ場前を右折し、

(写真。下の左から右)その先の神明堂交差点を左折しました。

  交差点右向いに飛騨高山道と中山道の追分道標が立っている。

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後編へ続きます、