歩いて再び京の都へ 旧中山道69次夫婦歩き旅  第37回    2日目・前編 愛知川 ~五個荘入口

11月24日(日) AM6:30 有難いことに青空も見える薄曇りの天気。

歩き旅にはちょうどくらいの気温予報で、遠くの山並みが紅葉してますね。

(ホテルの窓からアップで)

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AM6:30からのホテルの朝食を済ませ、ゆっくり準備をして近江八幡駅へ。

今朝はJRではなく。近江鉄道を利用して昨日足止めの近江鉄道愛知川駅

向かいました。

JRの東側にこじんまりとした近江鉄道の始発ホーム。

乗り込んだのははカラフルなデザイン電車。

塗装ではなく印刷フイルムを貼ってる、ラッピング電車です。

前回の旅から利用している近江鉄道は、我が町に本社があった西武グループ

鉄道会社でした。

創業者の堤康次郎は、滋賀県愛知( えち )郡下八木村(現・愛荘町)の出身だ

そうです。

どうりで何か懐かしい黄色の色合いの電車が、走っていたんです。

乗ったのは「鉄道むすめ」の一人、近 江鉄道株式会社豊郷/駅務掛 

「豊郷あかね」ちゃんのデザインだそうで、

鉄道模型で古くから人気の、トミーッテクの鉄道に関する職場で働く女性を

モチーフに、トミーテックが中心となって展開している「日本鉄道キャラクター

コンテンツ」なんだそうで、全国で鉄道会社約30社が参加してるんだとか。

我が町西武鉄道は「井草しいな」ちゃんで、何度か見たことが有りました。

(井草 しいな は、新宿線池袋線の駅名です)

 

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昨日乗ったこのワィン電車もラッピング電車でした。

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AM8:40 愛知川(えちがわ)駅をでて、中山道へ向かいます。

おや、ハトの夫婦?と思ったら、ほんものそっくりに置かれた、置物でした。

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11月24日(日)AM8:50 第37回2日目の旅立です。

天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、

愛知川宿の宿内家数は199軒、うち本陣1軒、脇本陣2軒、旅籠28軒で

宿内人口は929人であった。(現滋賀県愛知郡愛荘町愛知川)

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愛知川宿ゲートを潜って約20m進むと、宿口の守り地蔵堂が祀られてます。

見かけた黄色い花は「アンデスの乙女」だそうで、

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地蔵堂から約50m歩くと、左側に黒板塀を回した屋敷は、江戸期は田中新左エ門宅

だった処で、明治期に「田源」の屋号で麻織物商を営んだ田中家の別邸跡があります。
明治25年建築の南土蔵のほか、大正8年ごろに建築された主屋ども含めて

登録有形文化財となっているそうです。

現在は近江商人亭という日本料理店です。

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昨日もみたマンホール蓋。

調べた解説では、

愛知川町を流れる愛知川、不飲川、宇曽川、宇曽川支流の安壺川と新愛知川の

5本の川と、夏の風物詩愛知川の「花火」が描かれているそうです。

上部に町章、下部に「えちがわ」の文字、とありました。

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近江商人亭から大きな家並みの道を約150m歩くと川が横切り、

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郡分延命地蔵堂と呼ばれる地蔵堂があり、堂前に愛知川宿北入口碑が建ってます。

地蔵堂脇を流れる中の橋川は、中宿と愛知川宿の境、神崎郡と愛知郡との境」と

街道書には記され、郡境であることから郡分と呼ばれるようです。

愛知川宿の江戸口(東口)で、地蔵堂脇には沢山の地蔵が置かれてました。

 

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地蔵堂の隣りに菓子店舗があり、創業慶応元年(1865年)和菓子・しろ平老舗、

と看板を揚げています。

ふっと見上げて気が付いた、愛知川宿の街灯。

行燈をつるすアーチの上には、侍、商人、牛飼いなど、街道を行く大勢の人の姿が

描かれています。

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少し先で境町から泉町に代わる交差点に出、渡った左手は小公園、ポケットパーク。

広重の愛知川宿の絵や道標が置かれ、その隣には、明治4年(1971)の郵便創業当時と同じ型の「書状集箱」には、「他のポストと同様に取り集めを行います」と書かれ、

現役のポストのようです。

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小公園から大きなお屋敷街並みを眺めながらゆくりと100mほど進むと、

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右手に愛荘町街道絵地図、「親鸞聖人御舊跡」の石柱があり、「寶満寺」の案内板が

建てます。

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 建歴2年(1212年)、親鸞流罪の地、越後から京都へ帰る道すがら、
愛知川が氾濫して川を渡ることが出来なかった時に、ここに宿を取ったと伝えらる、
と街道書に有ります。
そして、案内板に有ったのが「親鸞聖人お手植えの紅梅とハナノキの花が咲く・・」
えっ! ハナノキがある・・・と山門をくぐります。

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 写真右、お手植えの紅梅かな>

そしてイチョウと並んだ、綺麗に紅葉に染まる大木。

 

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一見、桜の紅葉?と思いましたが、ハナノキの説明文あった「水鳥の水掻き」形の

楓の風の葉が混じてるので、この木がハナノキなんですね。

いや~、昨年の旅でマンホール蓋にハナノキの文字を見つけ、その秋の大湫から

御嵩へ向かう途中にあった自生地では確認できなかった、ハナノキでした。

まさかここで出会えるとは!!

「紅葉の彩りが美しいことから別名ハナカエデ(花楓)とも呼ばれ、葉色は黄緑、黄、オレンジ、赤の色とりどりを見せる。日本の固有種で、ハナノキ自生地としては長野県南部、岐阜県南部、愛知県北東部の3県県境のおもに木曽川流域の山間湿地に自生し、自生地は主に、ミズゴケ類が分布する湧水のある貧栄養の小湿地が多く、山間の川岸や湿原などの湿地などに生育するが、生息環境である湿地の減少などにより野生のものは数を減らしており、環境省のレッドデータでは絶滅危惧Ⅱ類(VU)に指定されている」(ハナノキ解説文)

優しい色合いね~とカミさんも幹回りを回りながら見上げてました。

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 うん、いいカットだね、と自己満足して、

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ゆっくりとハナノキ紅葉を楽しみ、満ち足りて街道へ戻ります。

 

 街道へ戻るとすぐ隣は、日本生命の建屋で塀に「源町・本陣跡」の表示板があり、

その隣は旧旧近 江銀行愛知川支店があったところで、両方とも本陣跡地に

建ってるようです。

本陣は西川家が勤めた、と街道書に有るだけ、今は跡形もない・・・

大正建築の旧近江銀行愛知川支店は改装をして、

「愛知川宿街道交流館・愛知川宿ふれあい本陣」として、今年8月にオープンして

ました。

地域観光の拠点として、

『旧近江銀行』を再整備し、中山道愛知川宿の歴史や商店街の移り変わりや沿革を

 紹介し、「愛知川」の歴史・文化・伝統を知っていただく館です。 

 西沢家が勤めた本陣跡で、本陣には皇女和宮が宿泊しました」

 とのプレートがありました。

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隣に鳥居が立ち、参道の奥に八 幡神社がある。

隣接する宝満寺の位置に城館を構えた愛智氏によって勧進されたと伝えられ、
本殿は、江戸中期の作で県指定文化財となっている

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境内の紅色に魅かれて参道へ入ると、右手は愛知川宿街道交流館の施設建屋があり、

本陣は広大な広さであったことがわかります。

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文化財のご本殿。

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街道に戻ると、参道入口左手は高札場跡で、神社標識の下に標識石碑が有りました。

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高札場跡の石碑の左手に、ベンガラ塗の風情ある民家の隣、

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鉄門扉のある空き地一帯が脇本陣の1軒で、藤屋家が勤めた脇本陣跡と街道書に有り、

以前は脇本陣跡の碑が立てられていたそうでうが、取り払われたようででした。 

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先行していた史跡見つけ係り?のカミさんが戻って、キヨロキヨロしてるのは、

脇本陣跡の向いは大きな「寺子屋」の看板を掲げた進学塾で、その隣の空き地の右端に問屋跡の標石が建っていたからです。

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問屋跡標石のから約20mほど先には、左側に文政11年(1828年)創業の

「赤かぶら漬け」の老舗、マルマタ商店がありました。

赤かぶら漬け、と言えば飛騨の高山が有名だったかな・・

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マルマタ商店を過ぎて、道がぐ~んと狭くなり、5分ほど行くと、

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「竹平楼」という立派な料亭があり、ここは宝暦8年(1758年)創業した

旧旅籠「竹の子屋」の跡で、提灯に「愛知川宿 旅籠」とありました。
右手に明治天皇聖蹟碑があり、こおで休息をしたそうです。

明治期に建築された御在所と広間は、国登録有形文化財と なっているそうです。

 

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竹平楼から5分強歩くと、宿の京口に当たる愛知川宿と掲げたゲートが見え、

手前に不飲川(のまずがわ)」があり、不飲川橋を渡ります。

(不飲川(のまずがわ)の名の由来は、
平将門の首を洗ったといわれる上流の不飲池から流れ出ていて、川の水も将門の
血で染まって飲めなくなったという伝説」と、街道書にありました。

欄干に不思議な壺が欄干飾りでのってます。

さて、何でしょう??と、

ちょうど通りかかった地元の方にお聞きしました。

愛知川の伝統工芸品「びん細工てまり」をモチーフにした焼き物んんだそうです。

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愛知川駅前にも「びん細工てまり」を模した郵便ポストがあり、駅の向こう側の

図書館併設で瓶手まり館があるそうで、滋賀県伝統的工芸品に指定され、

フラスコ型のガラスびんに、びんの口より大きな手まりが入っている。

まるく家庭円満に、さらには仲良く(中がよく見える)と言われ、嫁入り道具にも

なっている。今は「伝承工芸愛知川びん細工手まり保存会」の方々がその技術を守り

伝えている」そうです。

(駅前の写真をみると、写ってましたね。もうすこしちゃんと移しとけばよかったな)

f:id:hansui:20191215102450j:plain 橋を渡って約30m進み、国道8号の不飲橋交差点をを横断した所に、

一里塚跡と街道書に有るが、どこかな??

カミさんがキョロキョロしながら、斜め右方向に進むと「あったわよ~」

右手に駐車場が有り、奥に石柱が建っていたんです。

石柱は日本橋から122番目の愛知川一里塚跡でした。

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一里塚跡を確認し、蔦に覆われたオブジェのような建屋を見て、交通量の多い

国道8号を、それっと左手に渡り500mほどの行くと、愛知川手前で二股になり、

中山道は左手の道へ進みます。

約60m歩くと左側に祇園神社がありました。

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神社参道口の先に、高さ4m35cmの 睨み燈籠(常夜燈)が建っていました。

橋の位置が変る度に場所を変え、今は ここに置かれたそうです。

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睨み燈籠の先で右に曲がり、車道を横断して愛知川(えちがわ)を、御幸橋

渡ります。

御幸橋は、文政12年(1829)愛知川宿町人・成宮弥治右衛門忠喜ら4名が彦根藩に架橋を申請して天保2年(1831)に完成した。橋は渡り賃を取らないことから 「むちん橋」 よ呼ばれた。
また明治11年(1878)明治天皇御巡幸の際に板橋が架けられ、その後、地域に払い下げられ 「御幸橋」 と改称された。現在の橋は昭和36年に改修した5代目の橋である」

(解説板)

高宮宿の高宮川にも無賃橋でした。

広重の「恵智川」(愛知川)の絵にも木柱に「はし銭いらす」の文字が見えてます。

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 川を越えると市境で、東近江市市街の境標識に従い約20m先で川沿いに左折し、
東近江の五個荘地域へ入ります。

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 川沿い道へ入ると先に近江鉄道の愛知川南踏切、越えるとゴトゴト鉄橋を渡る

電車の音、振り返るとデザインされたラッピング電車が鉄橋を渡ります。

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約100m歩くと街道は斜め右に分岐し、文政8(1825)年に建立された

対岸と対の睨み燈籠が建ってます。

対岸の祇園神社へ分岐していた道が、愛知川の渡し場を渡りここへ継がって

いたようです。

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五個荘へ入ります、

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 続きます。