春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (1) 甲斐の猿橋 松本城

 東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。

彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。

20代に取得し、札幌勤務時代に社用車に乗っていたが、

東京勤務となって運転の機会がなく、マイカー無しで過ごし、定年後に諸事情で

イカー購入で、30年ぶりに運転再開。

以来2台目マイカーとなって乗り続いて15年。

春3月は車検と運転免許の更新期限。

そして自分は年を重ねて、傘寿の80才到来。

すでに高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分

未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、マイカーの廃車とを決めていた。

廃車時期がいよいよ迫り、「カミさんの最後のドライブはいかが」の声がかかり

コロナ騒動の中ではあるが、かってよく走った思い出道のドライブへ。

宿は、初めて車中泊した群馬県沼田の道の駅「白沢」とし、

20日、夜明けとともに、最後の一走りへ。

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コースは高速道、圏央道、中央道を走り埼玉から東京都、神奈川県をかすって

甲州山梨県へぬけ、信州を経て、群馬で車中泊し、赤城山山麓を走り、

途中、立ち寄りしながら埼玉へ帰宅。

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 山越しに真っ白い頭を覗かせた富士山を目にしながら、かなり北風の強い、

圏央道、中央道を走り、上野原ICで降りて、まず立ち寄ったのは、

「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつで、

広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい

構造が描かれている「甲斐の猿橋」へ。

三大奇橋の内、山口県「岩国の錦帯橋」へは、2014年11月、

「山陰山陽ドライブ旅」でレンタカーで走った折りに、安芸の宮島の後に

山口県へも掠ったように立寄り。

こちらは有名な観光地ですね。

(遠くに再建された岩国城が見えてました)

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 信州「木曽の棧(かけはし)跡」は、「歩いて再び京の都へ・旧中山道夫婦歩き旅」の木曽路で2018年5月に通ってますね。

桟(かけはし)とは、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、
昔はけわしい岩の壁に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、
後に尾張藩が、長さ56間(102m)中央に八間(14.5m)木橋をかけた石積みを

完成し、そのごも何度かの大改修ななされていたが、残されていた木橋

明治44年(1911)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまい、
現在、石垣積みの部分は、国道19号線の下になって面影を残しています。
(長野県指定史跡)

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猿橋は深い渓谷に架けられた 長さ31m、幅3.3mのさして大きくない

木橋ですが、橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した

四層のはね木によって橋を支る珍しい構造をしています。

猿橋は橋と周囲の自然景観との調和の見事なことから、昭和7年に国の名勝に

指定されました。 

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猿橋の珍しい構造の起源は定かではないですが、西暦600年ごろ、百済からやって来た造園博士の志羅呼(シラコ)がなかなかうまくいかず難航していた橋の建設の最中に、沢山の猿がつながりあって対岸へと渡っていく姿からヒントを得、ついに橋を架けるのに成功したと言われています。

猿橋の名前の由来もそんなところからつけられたそうです。

(史跡案内文)

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江戸時代 徳川幕府により開設された五街道の一つが甲州街道で、現大月市内には

甲州45宿の内12宿があり、多くの旅人が猿橋を渡っていったんですね。

橋畔にある猿王を祭る山王宮の小祠

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大月ICで再び中央道へ入り、PAなどへ寄りながら甲府盆地へ入ります。

甲府盆地は桃の花。

早咲きの花桃が咲き始めてます。 

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埼玉県と山梨県の県境に連なる 奥秩父の山々はクッキリと姿を見せてますが、 

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 北アルプス方向の峰々は雲に覆われ、姿を見せてません。

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 南アルプスの中で、一番魅かれる名峰・甲斐駒ヶ岳も頂上は雲の中。

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長野道へ入り、塩尻のPAで早めの昼食をとり、 松本ICげ降りて車を止めて

向かうは松本城

初めて歩く女鳥羽川沿いに鎮座する、縁結びの神様、四柱神社の拝殿と参集殿。

 

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門前町は、若い方々が多い縄手通り商店街。

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おっ、鮭?

作り物ではない、千年鮭?とも違うような・・

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お城造り・・

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 国宝・松本城へはこれで5回目かな。

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コロナ騒動で、城内へ入れますが、

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天守閣へは閉鎖されてましたね。

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大手門を入ってすぐの一角に植えてあるのが「宇宙ツツジ」。

花咲きは5~6月のようですが、お城に寄ったのはこのツツジを見たかったんです。

群馬県館林市出身の「宇宙飛行士向井千秋さん」が、平成6年にアメリカの

スペースシャトル・コロンビアで宇宙へ行った際に持ち込んだ、ツツジの種子を

帰還後に東大理学部附属植物園などで育て開花したものを株分けしたようです。

ヤマツツジなど3種の種子約28㌘が宇宙へ行き、14日17時間55分の宇宙滞在の後戻ってきました。

館林市では開花したツツジを平成11年に「宇宙ツツジ」として商標登録し、
 その後各地に株分けされ各地で宇宙の花を咲かせてるようです。

松本城のは「宇宙ツツジ認定26号」と標識に書いてありました。

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天守は文禄2~3(1593~4)年築造と考えられ、五重六階の天守が現存している
日本最古の城といわれ、姫路城、彦根城犬山城松江城とともに国宝に指定され、

今は国内のみならず外国の方々にもよく知られた、松本城ですね。

 

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いま欧米系の方々に人気の、旧街道中山道木曽路歩き旅の方がも、

旅の終点としているお城でもあるそうです。

 

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 彼岸の三連休の中、思ったより訪れている方は多いとはいえ、

海外の方はほとんど見かけることはなかったです。

松本のシンボルとして親しまれている伝統民芸品「松本てまり」の

デザインマンホール蓋。

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松本を後に、まだカーンナビを付けなかった車で、15年ほど前に上田方面へ

抜けたことがあった思い出山越え道を、今回はナビを設定して走ります。

R143で旧四賀村から青木峠を越える道は、曲がりに曲がる1.5~1.8車線

くらいしかない狭い山道がそのまま残されているワインディングロードでした。

峠を里へ下りると信州上田、佐久の東信へと入ってきます。

続く・・・