歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第18回)  長久保宿~和田宿 前編

*ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです。*

 

2017年10月17日 江戸から27番目、長久保宿へ着きました。
現在の長野県小県郡長和町長久保

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 10月25日(水)、台風が過ぎても雨が続いています。

この週末は天気が崩れ、台風の襲来も予報されていた。

10月28日の土曜に予定していた街道歩き旅も、可否が怪しくなってきました。

天気予報を見ていたカミさんが、

「土曜はダメそうだけど明日木曜は晴天だそうよ、思い切って行かない?」

カミさんのパートも休みということもあって、

「行っちゃうか、思い切って」と急いでバス時刻を再確認して街道案内書を

コピーして旅立ち準備。

10月26日(木)、バス連絡時刻もあるので、

いつもより早め、AM3:30頃に自宅をマイカーで出立。

関越、上越高速を走り、先日越えた笠取峠を走り抜け、

冷え込み厳しい、長野県長和町和田の道の駅・和田ステーションへ

AM6:20到着。

いつものカップ蕎麦で朝食、支度をして歩いて5分ほどのバス停へ。

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ここは本来ならば、歩いて到着するはずの和田宿のど真ん中のバス停。

ここから一旦長和町巡回バスにて前回の足止め先、長久保宿へ向かい、

再びこの地を通って和田峠方面へ向かいます。

横断木橋歩道は、冷え込みで凍りつるつるでした。

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長和町巡回バスは、なんと運賃は全線100円。

年齢割りもあって、私は半額で、二人合わせても150円とは!!

通学の中、高校生と一緒に、20分ほどバスに揺られ長久保バス停着。

 

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AM7:40、長久保宿・竪町と横町の曲がり角L枡形の角より、

第18回目の旅立ち。奥へ延びる中山道へと歩みます。

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左手に、出桁造りで総2階建ての母屋は江戸時代末頃の建築,

元旅籠辰野屋(竹重屋)が有ります。

f:id:hansui:20171027173522j:plain旅籠辰野屋を過ぎたところで、宿場内の旧道は横町バス停を過ぎ、

桝形(長久保宿京方)となって右に曲がり、

 

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すぐに左に折れて長久保横町交差点で、笠取峠から下って来た国道142号に合流。

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合流手前の太い丸太に「是より久保宿」と書かれている。

(ありゃ、文字の方から写してないや!)

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しばらく国道142をの緩いくだり坂を行くと、

左手土手に文化10年(1813年)に立てられたという「馬頭観音」と石仏。

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長久保交差点で国道152号線の大門道に合流する。

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和田宿までおよそ8km。

長久保宿の標高は680m,和田宿が850m,標高差およそ170mの

長くゆるい上り道となって行きます。

f:id:hansui:20171027181611j:plain畑の広がる長閑な道を歩きます。

 

f:id:hansui:20171027181740j:plain進行方向右手にある「中山道」という屋号の食堂。

店前に道祖神と謂れ版

f:id:hansui:20171027181928j:plain併合国道142号、152号線をおよそ400mほど行った、右分岐の道を下ると、

日本橋から48番目,碑が立つのみの失われた「四泊一里塚跡」。

昭和35年(1960年)の道路改修以前は榎の大木が植えられていたそうです。

f:id:hansui:20171027182927j:plain畑の中の道を進みすぐ国道に戻り、すこし先の右手に、

明和11年(1774年)建立と言われる道祖神が在ります。

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その先交差点で国道142号は右に分岐し、依田川と大門川の合流点の「大和橋」を

渡りますが、旧中山道は橋を渡らずに川沿いの国道152号(大門街道)へと

150mほど進み(写真左下)進み、落合橋で川を渡ります。(写真右)

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 大門街道(現国道152)は、

長野県上田市から、この先大門峠を経て白樺湖を通って甲州(山梨)へ縦断して、

静岡県の天竜川や支流の水窪川に沿って浜松市街に下る国道路線です。

武田信玄が京をを目指した街道でもあったのですね。

大門川を同じ名の”落合橋”で渡り、渡ってすぐの右手傾斜地の草に埋もれるように、すっかり風化してますが庚申塔百万遍供養塔が建ってます。

街道書に記載がなかったら、見逃し通過してしまいますね。

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そのさきで依田川を"和田橋”で渡り、川沿いに進んで土手を上がると

再び国道142号に合流します。

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中山道は、新青原橋手前の青原交差点を右折して、国道142号線から

分岐してゆきます。

青原交差点角に「水明の里」の大きな石碑が立ち、旧中山道に立っていた石仏群や

休憩所や休憩所などが整備された公園となってます。

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国史跡「歴史道中山道」指定碑が立ってます。

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日差しが強くなり、地面からは蒸気霧が発生しはじめてます。

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 のどかな道を進むと、藁葺屋根の深山口バス停が現れる。
和田宿への道沿いは、この様な凝った形のバス停が次々と現れる。

和田宿を通る中山道が国指定遺跡となったことから、それに相応しいバス停を、

と造ったのだとか。

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しばらく進むと左手道路わきに数個の石碑が在ります。

燈篭には「天王夜燈」と彫られ、後ろには宝暦2年(1752年)の銘がある

「西国三十三**」の石碑もありました。

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右手の会社敷地の建物脇に小社と石碑は馬頭観音

小社は安全操業を祈るための神社かな?

(街道書にも謂れ記載なし)

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そのすぐ先の製材所の脇に地蔵尊や石仏石塔が有ったようですが、通り過ぎて

しまったようです。

下和田中組バス停後ろに「馬頭観世音」

説明板は紙の印刷なので、読めない!

バス停脇に「ながわ半時散歩道」の道標、なにかな?

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すこし先に、鳥居が彫られた奇妙な石碑碑が立っている。
和田宿の資料では、ミミズを「蚯蚓大権現」として祀た蚯蚓神社で,

この周辺は「蚯蚓」と呼ぶ地の様で、住む人々の希望によって建立されたものだと

いう。
蚯蚓地区では,「ミミズの干物(はらわたを出して板の上にはりつけてた)」を

つくり,解熱剤として煎じて使ったらしい。

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すごい!モミジを横に這わせてるよ!

紅葉したの見たいわね~・・・てカミさん。

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道の左側には、「のみ水」と刻まれた石柱があり、湧水が流れ出ています。

旅人ののどを潤したであろう、水場だったのですね。

街道では何か所かに見かけましたね。

(ただ用心のために、飲みませんでしたが・・)

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この付近は茶屋などがあった立場跡と街道書にはありました。

残されている相馬家の門のようです。

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水場の道路向かい側に、立派な長屋門も在ります。

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少し先の農道の奥に大日堂があり五体の大日如来像が安置されてます。

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みみず道祖神から500mほどのところに、三千僧接待碑がある。

案内書によると,和田宿・信定寺の「別院慈眼寺境内に建立されていたもの」で、

「寛政7年(1795年)この地にうつされた」とあり、諸国遍歴の僧侶に対する

一千僧接待達成を発願して建立され、達成後に改めて三千僧接待を発願し、

「一」に「二」の字を書き加えた、との由。

ははは・・手抜きをしたんだね。

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 上立場バス停は神社造り

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街道書には道祖神とありました。

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左手商店のシャッターの前に、福寿と刻まれた石柱と福と刻まれた招き猫(福猫)が

並んでいるが、何時のものかは不明である。

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右手民家の塀下に地蔵尊が祀られてます。ありゃ植木の陰だ・・(左下)

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 街道右手に不動明王や、新しそうな獅子舞と子供たちの碑が並んでいます。

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気温がだいぶ高くなってきた街道を歩みます。

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おっ、この真っ黒い実は!栽培した?? それとも雑草??

調べてみると、

「牛尾菜(シオデ)はユリ科シオデ属の多年草

若い茎や新は山菜とされる。
根茎を乾燥させたものを生薬で馬尾伸筋(ばおしんきん)といい、

関節炎やリューマチに効く」  らしいが。

その後に民家の庭で鉢植えされtのも見かけましたね。

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柳亦上バス停の先に、馬頭観音、福大大士(なんのことか不明)がある。

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少し進むと「道祖神」「奉納西国秩父坂東百番観世音」「馬頭観世音」

「水供養 水道之碑」などの石仏石塔群が在ります。

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石仏石塔を過ぎて少し先に、左手の鎮守の森の手前に、地下横断の出入口が

道路の左右に設けられえます。

信号機や横断歩道はなく、プレート道標には「←笠取峠⤵東餅屋・和田峠」とあり、

中山道(旧国道)を横断するための地下道と思われる。

ただ旧中山道は、横断して何処へ行くようになるのかは??です。

今はほとんど車も見かけませんが、現国道142ができるまでは相当な

交通量があって、設けられたんでしょうね。f:id:hansui:20171028122710j:plain

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地下道出入り口の左先に、大きな杉・ケヤキの木々に囲まれ,石造の明神鳥居が

建てられている「若宮八幡神社」が鎮座します。

杉・ケヤキは推定樹齢五百年と言われてます。

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鳥居奥の入母屋の拝殿(舞台)は壁が無く,一枚ごとに間を空けた板張りに

なっており、その奥に「本殿覆屋」があり、この中に享保8年(1721)に

建立されたという本殿が収められている

「本殿覆屋」は茅葺屋根と街道書に在りますが、茅葺屋根はつい最近修復された

ようで、茅葺は失われてましたね。

 本殿は,一間社流造.正面と側面に回り縁が設けられ,高欄は隅組擬宝珠柱混用

脇障子には,輪違文といわれる幾何学模様に,六弁花の彫刻が施されている

という説明があるが、薄暗くほとんど見えなかった。

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本殿覆屋の横に、天文23年(1555)の矢ケ崎合戦で武田信玄に敗れ自害した

和田城主大井信定父子の首級が埋葬されたといわれ、元禄6年(1693年)

その回向の為、信定寺第六世来安察伝和尚が、当境内にを建立した墓碑が立ってます。

ただ、右の石柱は「和田領主の墓」とありますが、左の石柱には

「羽田家先祖の墓」ともあり、和田宿の庄屋・羽田家かな??

ちょと意味不明。

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そのの先に江戸日本橋から49番目の一里塚「中山道上組の一里塚跡碑」があります。

塚は昭和35年(1960年)道路改修で失われてしまってます。

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さらにゆるい上り坂道を行くと左手に「きのこ種菌センター」の看板。

松茸菌は・・ないんだろうね。

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左に曲がり、右に曲がり手前は、トンガリ屋根の芹沢バス停

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 振り返ったカミさんが、

「雪山が見えてるわよ!」 冠雪の浅間山でした。

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少し傾斜が増した街道を行き振り返ると、青空に雪の浅間山、綺麗ですね~

方々の高い山々の冠雪が、報道されてましたね。

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そして和田宿が近づいて来たようです。

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気温がぐんぐん上がり、朝との温度差は予報のように10℃以上になりそうか!

大きな石碑が現れました、ここから和田宿へと入ります。

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続きます。