歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第23回)       奈良井宿~藪原宿 後編

PM1:00 鳥居峠、御嶽遥拝所へ着きました。

木曽の御嶽山が初夏のような空にポッカリと、今は静かに顔を覗かせてます。

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旅の前編はこちら。

hansui.hatenadiary.jp

 後編に入ります。

崇拝所そばから右手に下る草道がありましたが、鳥居脇を通って街道へ戻ります。

緩い坂道を下ると右手に遥拝所から下ってくる丸太階段状の道を合わせ、

すぐ先に「御嶽手洗水鉢」があり石碑の後ろの草道を登ったところに、

平家追討の旗を揚げた木曽義仲が、この水で硯を摺り戦勝祈願の願書をしたため、

御嶽山に奉納したという「義仲硯水」跡があるようです。

(街道書にありましたが寄ってません)

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何故か英泉描く「藪原宿」は「義仲硯水」の場所のようです。

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登って来た外国のカップル。

男性は丸太階段を上って、御嶽神社へ直登、女性は街道の山道へ。

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 その先は三つ又になっていて右手に行くと、森林観測所跡に向かう道。

左手にくだる道が中山道でした。

中の道を緩く上ると、多数の石塔が立っている丸山公園。

その中に「芭蕉句碑」もあります。

 木曽の栃 うき世の人の 土産かな

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句碑、石碑は風化して読めませんが、新しそうな解説板があります。

芭蕉の句は二句あるんですね。

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ちらほら見られる白樺(シラカンバ)

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赤松樹林(おっ、松茸だね)

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すぐの右手道標が現れ、道標の左手を登ると展望所があります。

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展望所へは登らなくとも眼下に藪原宿、遠く山の後ろには雪を頂く中央アルプスの嶺。

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コンニチワ!登って来たお二人(外国人)は展望台へ向かいました。

(大きなバックパックですね)

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近くにあった石仏、馬頭観音と書かれた木札が横に置いてありました。

そういえば今までの峠道としては、馬頭観音は少ないような。

荷駄の流通は少なかったのでしょうかね。

(それとも撤去されたかな)

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まだ芽吹きをしていない唐松林が赤松と混在し、その先から、明るい日差し差し込む

九十九折の急坂をどんどん高度を下げてゆきます。

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樹間の白い花咲く樹は、花の下に葉が見えないのでタムシバのようです。

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ぐんぐん下る途中に、漢字をびっちり刻まれた石碑と後ろには馬頭観音

街道書では文政年間(1804~18)建立の供養塔と記されてるが、

「馬頭観世音由来の碑「」ともいわれるようです。

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ひたすら降りていくと、九十九入りの急下りも水音が聞こえだし、

最後の坂を右に降りると、石畳道が旧中山道のようです。

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石畳道はすぐに旧国道が横切り中断するが、その先で再び石畳道が

真っすぐに下って行きます。左右の道は旧国道。

左側に側溝化されたような小川が流れています。

木曽川源流の一筋でしょうか。

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振り返って

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道脇に小さな可愛い花が咲いてます。

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ニリンソウかな?サンリンソウかな?

開き始めが可愛い!!てカミさんが喜んでます。

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石畳も終わり、しばらく林の中の歩きやすい道を進むと、

街道の脇の赤い鳥居、社は原町稲荷神社です。

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すぐ先で旧国道に合流し分岐に「信濃路自然歩道」絵地図と左中山道、右旧国道の

自然石道標が置かれてます。

杖置き場も有って、峠道はここでお終いですね。

PM1:45

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カラマツの芽吹きを感じる明るい林を抜けてゆくと、里の集落へ下りてきました。

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道端の野の花を愛でながら、舗装道をゆっくり行くと十字路があり、

各方面への案内標識が二基建てられ、街道はまっすぐ横切って下って行きます。

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右に曲がると、消防署の向かいに綺麗なトイレがあり、有りがたいですね。

さっそく利用させていただきました。

十字路を渡り緩い坂を下って行きます。

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おや、蕗(ふき)畑かな?大きく育ったフキノトウも・・

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コンニチワーですれ違い。

午後の2時過ぎですが、これから鳥居峠へ向かう外国の男女が上って行きます。

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初夏の風が汗ばむ肌に気持ちがいいですね・・

 

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緩やかな下り坂の道を下っていきます。自然石道標が埋め込まれ、

中山道、右国道と刻まれてます。

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道標の先の坂道左に「天降社・水神」の祠があり、

階段脇に木祖村唯一の大モミジがあります。

秋の紅葉が素晴らしい。と書かれていましたね。f:id:hansui:20180425145114j:plain

さらに下ると左脇に水神様が祀られた「原町清水の水場」がありました。
峠を越える旅人の喉を潤してきた清水で、今でも飲み水として使用されている

様です。

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旧街道らしき曲がりくねった集落の坂道をまだまだ下ります。

おや、軒下にカタクリの花だ!!

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そしてさらに坂道を下り、街道からほんの少し右奥に入ったところに置かれている

のが「御鷹匠役所跡」です。

右の坂道を上がると「尾州鷹匠役所跡」があり、標柱と解説板が建てられている。

別名お鷹城と呼ばれ、鷹狩りに使う鷹の雛を確保するために設けられた施設です。

尾張藩享保15年(1730)ここに御鷹匠役所を設置し、訓練された鷹は将軍家に

献上したり、諸大名への贈り物にしていました。明治4年に役所は廃止されました」

(個人の住宅地となってますので上までは入りませんでした)

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少し下ると真ん中下の白い標柱は、飛騨街道奈川道の入り口標識で、

右手に曲がり線路沿を北へ向かいます。

飛騨街道は境峠、野麦峠を経て高山に至る険阻な道だったそうです。

中山道は坂を下ったところで、中央線鉄路で分断されてしまってます。

一旦、右手に線路沿いを戻る形で、少しだけ痕跡のある「飛騨街道」を通って

跨架橋で向う側へ渡り、すこし南へ下って中山道へ復帰します。

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(飛騨街道)

中仙道へ復帰するため跨架橋で渡ります。

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中央線松本行の電車が通過します。

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この付近が分断された中山道へ復帰でしょうか。

緩やかな曲がりで藪原宿へ入ってゆきます。

(標識なしだが、江戸方口になるのかな?)

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藪原宿(木祖村)は江戸日本橋から35番目の宿場で、天保14年(1843年)

には、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠10軒、人口は1493人とあります。

薮原宿は鳥居峠の麓の宿として、また高山へ向かう飛騨街道奈川道の追分の

宿として、さらにはお六櫛の生産地としても栄えた宿場町であったようです。 

しかし、明治期の大火で町並みの大半を焼失し、近年は建物の改修が進んだこと

などから往時の面影は一部に残っているだけの様子です。

 

江戸寄りのはずれにまず本陣が構えていたのですが、現在全く痕跡を留めていません。

本陣は木曽家の家臣だった古畑氏が務めていました。

皇女和宮鳥居峠を越える前に宿泊しているそうです。

間口14間半、奥行き21軒半の広い屋敷は20余室の部屋を持ち、

番所や馬屋等も付属し木曽11宿中最大規模の本陣だったと言われていまが、

今はただ1本の木柱に「藪原宿本陣跡」と書かれているだけです。

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その先左手に旅人の話によく登場する、蕎麦の「おぎのや」があります。

(定休日?暖簾が掛かっていませんでしたね)

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隣には創業1613年(江戸初期)の元旅籠の「こめや」が古い佇まいを見せています。 

現在の建物はガラス戸が嵌められているが、明治の大火後に須原宿から移築したもの。

雰囲気的に、いまは営業していないの??てカミさん。

(街道記では現在も営業とよく出ているが、木祖村商工会の宿案内にはないですね)

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向かいは、なんと創業慶安3年(1650)の銘酒「木曽路」の蔵元である

湯川酒造がありました。360年以上とはすごいですね!!

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湯川酒造のところにこんな標識がありました。

「中部北陸自然歩道」は跨架橋を渡らず線路沿いを籠原神社、極楽寺のところへ

出て、線路をガード下で潜り、ここで中山道と繋がってるんですね。

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ガードを潜った藪原宿を見下ろす高台に、今朝立ち寄った極楽寺、藪原神社が

建ってます。

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藪原神社は天武天皇9年に熊野から勧請したのが始まりといいます。
そのため、熊野社、熊野大権現、熊野大神宮とも呼ばれていたといいます。

参道入口の石段をのぼったところに朱色の一の鳥居が置かれています。

(朝寄ったときの写真)

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左側に藪原宿が元禄8年(1695)の大火で全焼し、その大火の教訓から広小路を造り

防火壁を設けた跡があり、標柱と解説パネルが建てられていました。

江戸初期に、土地区画整理事業で公共用地を生み出し、防火対策をしたんですね。
現代も隣に「木祖村消防団機動隊」の備えあり!

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火災後の街並みとはいえ、宿場の面影も感じられる街並みを行きます。

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左手に「源流の里・二叉水道組合」の水場があります。

木曽川源流という意味でしょうかね。

車を停めた道の駅も「木曽川源流の里」と名乗ってましたね。

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足をすすめると左手にお六櫛問屋の山六篠原商店があります。

お六櫛は、かつては全国各地へ年間100万枚も出荷していたそうです。

そうそう、東海道の旅の鈴鹿峠を越えた土山宿に、お六櫛を扱う店があったね。

この店で仕入れをしていたのかな。

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しばらく歩くと、都会では見られなくなった朱色の郵便ポストがあり、

そこが「薮原宿高札場跡」で標柱が建てられている

このあたりが宿場の終わり、京方になるのでしょう。

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 高札場の案内図には「ここが鍵の手(桝形)になっている」とあり、

Y字路を右の下り坂に入り左手に曲がって街道は続いてます。

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 下った曲がり角段上に、石仏m石塔群が祀られてます。

f:id:hansui:20180425205732j:plain雀踊りの簗飾りを乗せた民家などが立っている、街道らしい細幅の道を抜けると、

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右手に墓地となり一角の祠に、延命地蔵尊が安置されてます。

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 墓地が途切れる辺りに流れる川を渡り道なりに行くと、

道筋は右手へカーブしを描き、藪原駅下の道となって、その先を下ると、

 

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D51機関車が置かれた小さな公園で、日本橋から66番目の藪原一里塚跡があり、
跡地に石碑と解説パネルが建っていました。

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道は県道のT字路に突き当り、中山道は県道を横切って木曽川沿いに進み

JR中央線を横切って国道19号に合流するのだが、今は線路で分断されその先へ

進むことはできない。

ここは県道を左に曲り、中央線のガード下を通って右に曲がり国道19号へと

一旦合流しますが、

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今日の街道旅はここまでです。

ガードを潜り左手藪原駅方面へ向かいPM3:00、フィニッシュへ。

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あら、福寿草みたいよ!

カミさんの声に近寄ってみると、お疲れ様とでもいうように

藪原駅から車を停めた道の駅への近道土手に、福寿草が迎えてくれた。 

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えっ、まだ営業しなない!!

なんと道の駅、「木曽川源流の里 きそむら」の店舗の春の営業は、

4月20日(明日)から!!

季節営業の道の駅もあるんですね。

帰り道は何年かぶりに、木曽谷から伊奈へ抜ける権兵衛峠を走ります。

峠を伊奈へ抜けると、雪の南アルプスの峰々が青空の中に輝いてました。

中央高速に入り、諏訪湖SAで、くっきりと姿を見せる八ヶ岳を眺めながら、

ソフトクリームタイム。

一段と美味かった!美味しかったわね~・・でいい旅の締めくくり。

PM7時30、帰宅 

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終わりではなく街道歩き旅は続いてゆきます、続けます。

歩ける内に、元気なうちに、

さあ、次の旅日は・・いつの日か・・・