思い出旅 高野山への旅 (1)室生寺

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

思い出旅 ブログ・スイス旅編を終えて、次の思い出旅は和歌山県高野山です。

 

2016年6月18日、午後2時51分、

日本橋から126里余(約495キロ)、53の宿場町を通り、

東海道五十三次夫婦歩き旅も、足掛け4年の歳月をかけ、

京の都へ無事到着することができました。

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その後しばらくは梅雨の時期。

ゆっくり体を休め梅雨明けを待って、東海道無事完歩のお礼参りを

兼ねて、以前から行ってみたかった高野山への旅でブログを綴ります。

 

高野山は、はるかに遠い。
2016年7月30日(土)〜8月2日(火) 3泊4日

 

AM7:30、マイカーにて旅立ち。
高速道をひた走りし、三重関ICにて降り名阪国道25号を走りし、

PM3:00、三重県伊賀市伊賀上野城址の上野公園着。

お目当ては伊賀流忍者博物館伊賀忍者屋敷)。
そして呼び物は「忍者ショー」
これが意外に面白い。外国の方々も多く歓声を上げて大拍手。

なのに「忍者ショー」は、なぜか写真やビデを撮影は禁止!!

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(ピンクの衣装来た人は女忍者、赤い衣装は観光客の乙女)

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忍者屋敷見学を楽しんだ後は、伊賀上野城(再建)もカメラに納め、

伊賀上野を後に40分ほど走り、

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今夜の宿は奈良県境の名張市のホテルへ。
当日は丁度名張市の花火大会の日、どうりでホテルが満室だった訳です。
部屋が上層階だったので照明を落として、少し離れてはいましたが、

今や伊賀随一と言われる見事な花火を久しぶりに堪能できた夜でした。

 

7月31日(土)、朝食を済ませホテル発。

すぐに奈良県入りにて、高野山へ向かう前に奈良県宇陀市の山間、

室生寺(むろうじ)へ。

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室生寺手前に鎮座するのが、室生寺よりも古い歴史をもち、

水の神「龍神」を祀る「室生龍穴神社」へ立ち寄り。f:id:hansui:20190224121120j:plain

 

奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、
室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある由。

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龍穴神社からすぐに室生寺があります。

真言密教の根本道場である高野山が、厳しく女人を禁制したのに対し、

室生寺は女人にも開かれた道場『女人高野』と呼び親しまれる寺です。

宇陀川の支流、室生川の北岸にある室生山の山麓から、中腹に堂塔が散在する

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室生寺は、修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が創建し、

空海が中興(再び盛り立てること)したといわれています。

日本書紀にも、「奈良時代末期にこの地で桓武天皇の病気平癒祈祷が行われ、

無事に病気が治った記念として創建された」という記述があり、

千年以上の歴史を持っている。
室生山の麓から中腹にかけて伽藍が展開されており、

今のような状態に堂宇が整ったのは9世紀前半と推測されています。

創建当時から興福寺とつながりが深く、長い間法相宗の寺院でした。

それが江戸時代になると、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の力添えで、

興福寺から独立して真言宗の寺院となります。

1964年には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派大本山になりました。」

(パンフより)

朱塗の太鼓橋を渡り境内へ足を進めます。

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仁王門

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鎧坂

急石段「鎧坂」を登りきると、向かって右手に「天神社拝殿」、正面には「金堂」、

左手には「弥勒堂」がある。

(奈良随一のシャクナゲの名所で、毎年4月上旬には美しく境内を彩ります)

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国宝の『金堂』

解説書によれば、
平安時代前期建立にて、
釈迦如来立像(国宝)、薬師如来像(重文)、地蔵菩薩像(重文)、

文殊菩薩像(重文)、十一面観音菩薩像(国宝)、十二神像(重文)が安置され、

板壁には帝釈天曼荼羅図(国宝)描かれています

平安の建立であるが、江戸時代に増築もされており、「金堂」の屋根を

横から見ると、内陣に安置された仏像を拝むためのスペースが追加されている

ことがよく分かります。

平安初期の山寺の仏堂としては日本唯一のもので、非常に貴重な建築物として

高く評価されている。

 内陣には、向かって右から地蔵菩薩立像、薬師如来立像、釈迦如来立像(本尊)、

文殊菩薩立像、十一面観音菩薩立像の五尊像が並び、その手前には

十二神将が安置されている。

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(パンフ拝借フォット)

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金堂前庭の左手にある三間四方のこの堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える

弥勒堂(重文)。

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鎌倉時代の建築で、元は南向きであったのを室町時代に東向きとし、

江戸初期にも改造されているそうです。

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弥勒菩薩立像(重文)、衣文の美しい釈迦如来坐像(国宝)を安置する。

右、 「弥勒菩薩立像」は、室生寺の仏像の中で最も古く、

奈良時代から平安時代にかけての仏像で、榧(かや)の一本造。

本体はもちろん、蓮華座の上半分と両手・天衣・飾りまで含め、すべて一つの

木材から彫り出されている。

左 国宝「釈迦如来坐像」は、平安時代前期に造られている。

頭部には螺髪がなく、これは昔、この仏像が撫で仏として信仰されていた

ことによるという。

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「天神社拝殿」拝殿の奥には天神社

 

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天神社拝殿」の脇にある巨岩に彫られている、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)

(パンフ拝借フォット)

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金堂の仏像を拝観し、

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シャクナゲ茂る参道をさらに登ると、

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 室生寺の本堂である国宝「潅頂堂(かんじょうどう)」

建立は鎌倉時代・延慶元年(1308年)

安置されている貞観如意輪観音坐像は、日本三如意輪の一つに数えられる。

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石段の上方に目をやると、国宝「五重塔」が緑の木立に囲まれ堂々と建っているのが

見える。

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石段を最後まで登りきり、塔の全貌を見ると、石段下から見た印象に比べ

小さいことに驚く。

五重塔(国宝)は高さ16.1m。屋外に建つ最小の塔で、相輪の上部は水煙では

なく宝瓶を置き、その上に天蓋をもうけている。

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五重塔右手には、織田信長の次男、織田信雄を弔う五輪塔

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こうして見上げるスラリとした美しい姿は、2倍にも3倍にも大きく見えます。

f:id:hansui:20170306181244j:plainこの背後から奥の院、御影堂(重文)へ通じるとびきり急勾配の石段が

始まりますが、ここで山を後に何度か振り返りながら参道を下ります。

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再び仁王門をくぐり

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太鼓橋を渡って室生寺を後にしました。

春には石楠花で覆われ、花のお寺とても知られてます。
まだ朝の時刻なので参拝客も少なく、ゆっくりと
国宝や重文の建造物や仏像、日本最小の五重塔などなど観賞、いい時を過ごすことができました。

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 次の寄り道は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)です。

水分と書いて「みくまり」と読むんです。

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宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある

大和朝廷が飛鳥に置かれたころ、勅命により水の守り神を祀ったと伝わる古社です。

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拝殿 

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天水分神速秋津比古神国水分神を祀る三殿は国宝で、

元応2年(1320年)建築と言われ実に美しい社殿です。

右から末社宗像神社本殿(重文)、末社春日神社本殿(重文)

本殿第一・第二・第三殿

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国宝・御本殿 右から、第一殿・第二殿・第三殿

同じ形をした春日造の三棟の本殿は、棟木に1320年(元応2年)の墨書があり、

隅木入春日造で、建立年代の明らかなものとしては日本最古のものと言われている。

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水の神だけあって、凛としたたたずまいの中にも柔らかな優しさを感じる

美しい神社でした。

立ち寄りして良かったね。

参拝を終えて奈良の桜井市長谷寺を右手に見て通り和歌山県入り。
西高野街道(480号線)を2時間30分、一路高野山へ向かいます。

 

続く