(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)
今夜の宿泊、宿坊は平安時代に創建された「総持院」。
前は壇上伽藍境内、お隣は金剛峯寺でメイン通りより
一本山側の閑静な所にありました。
門を入っての前庭に、樹齢千数百年と言われる白藤棚が大きく枝を広げてます。
花の時期は素晴らしいでしょうね。
(写真左 藤棚)
主玄関から入ると右手に、見事が貝細工を施した家具調度品が置かれた談話室を兼ねた、応接室が有り、
冷たい抹茶とお菓子の接待でを受けました。
リニューアルされたと聞いてる宿坊内は、たいへん綺麗に整理整頓され隅々まで清掃も行きとどいた感じで、清潔感あふれる宿泊施設ですね。
部屋も今風の和風旅館と変わらぬ設備で、
昔乍らの,襖で仕切られた宿坊風情を楽しみたい方には,
物足りないかもしれませんね。
お茶とコーヒーが有ります。
案内してくれた、若いお坊さん。
囲碁の対局や金剛峯寺で行われた将棋名人戦の、羽生名人や対局者な宿泊した
そうです。
大浴場で汗を流し、さっぱりとして精進料理の夕食へ。
正座や胡坐が苦手の旨伝えると、障壁画や襖絵の見事な大広間を仕切った部屋を
用意してあり、椅子席にてゆっくり精進料理を頂くことができました。
温かいものは温かく、季節に合わせた冷たい料理は
冷たい内にと、若いお坊さんが料理を運んでくれ、
並べ終わると料理の説明をしてくれました。
精進料理でよく言われる、見た目、肉やお刺身そっくりに料理されたもの
はほとんどありませね。
色々な野菜、根菜、穀物などそれぞれの素材をいかし、
だしは昆布やシイタケなどでとるそうで、精進懐石料理ですね。
英訳では(ベジタリアン・クッキング)
高野山宿坊として代表的なのが、各宿坊独特に造られる「ごま豆腐」なんだそうです。
もちもちとした思ったよりも濃厚な味、美味しかったです。
(左上 ごま豆腐)
高野と言えば「高野豆腐」がすぐ思い浮かびます。
高野山は、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になるとか。
この厳しい寒さが800年ほど前に、俗に言われる「高野豆腐」を生みだした
と言われます。
私が育った北海道の町でも、この乾燥した豆腐は馴染みの豆腐でした。
ただ、高野豆腐ではなく、「凍み豆腐(しみどうふ)」と呼んでいましたね。
町は東北仙台藩の分家の開拓地で、祖母の話では、かなり昔からあったけど、
特に戦国時代伊達正宗公が戦時携帯食料品として造らせた、て言ってました。
高野豆腐の名称は、大人になってから知ったと思います。
ラガービールで喉を潤し(ははは・・生は御禁制?)、
辛口の般若湯(冷酒)を頂きながら箸を進めました。
そうそう、高野豆腐は夕食には出なかったと思います。
実はジュンサイ
そして締めくくりは、冷やした桃のゼリーと葡萄でした。
外国の方にお坊さんが「ベジタリアン・クッキング」と
説明してたね。
8月1日(月)
宿坊での一夜が明け、早朝勤行に参加するため、本堂に入りました。
本堂内はたいへん広く、ご本尊は阿弥陀如来様です。
用意いされていた椅子に落ち着き、近くに有る高野山6時の鐘が時を告げると、
4人の僧による読経が始まりました。
聞きなれている葬儀や法要の読経と違い、ゆっくりと綺麗な低音で読経は始まります。
時折、低くなが〜く打ち鳴らされるシンバルのような楽器、(にょうはち)の響が
読経に調和して独特の雰囲気に包まれます。
なにか自然に無心になり目を瞑り手を併せてます。
一番前の列に腰かけている、欧米系の男女が二組も神妙に手を合わせ祈りをささげて
ましたね。
やがて読経のトーンがすこし高くなり、リズミカルになって
そして、しだいにゆったりとした読経となってゆき、朝の勤行は終わりました。
朝の涼しい空気のなか、心が洗われたような清々しい気持ちになりました。
そのあと住職の法話、お坊さんの案内で本堂内を拝観して朝食となりました。
(朝食膳には高野豆腐が一品出されてました)
まだ朝の日差しが柔らかい内に、仏教界の聖地とも言われている、高野山奥の院を
お参りします。
車は宿坊に置かせていただいて、朝の散歩がてら歩いて奥の院へ向かいました。
朝の街中は、日本人より外国の方々が多く行き来してましたね。
アジア系の方々はほとんど見かけなかったかな。
ぶらぶらとお寺をのぞかせていただいたりしながら、
30分程で奥の院入口の一の橋へ着きました。
高野山の最高の霊域、神聖地。
そして今は、世界的に知られた観光霊域地となっている。
続きます・・