春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (2)

 東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、

20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ。

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山梨大月の猿の架橋、長野・松本城と立寄って、車を中信から東信、上田方面へ

走らせる道は、十数年前のカーナビ無しのマツダ・デミオに乗っていたころ、

上高地の帰りに通った国道を選んで走ることにし、敢えて安曇野を通り、

峠山道となる国道143号へと取り車を走らせます。

1890年に長野県道として全通した歴史の古い道路だそうで、明治時代の建設当初は

馬車交通を想定し、急峻な山岳地帯を通過する割には緩勾配の道です。 
今は1976年に国道254号・三才山有料道路が開通し脇間道のようになってます。

青木村松本市四賀村間では二つの峠越えがあり、この区間では

ほとんどが1車線から1.5車線の狭隘路で、大型車は通らないようです。

渓流沿い、谷あいの道、これでもか!と曲がりくねる峠道。

好んでは方々も多いそうで、走行に山道走行のそれなりの注意は必要ですね。

まだ春の芽吹きも見られない山道行きで約2時間走らせて、二つ目の峠を下ると

青木村の里へ下り急に住宅街へ戻ってきます。

里の入り口には初めて走ってきたときに、ホッと一息ついた「道の駅・青木」が

待ってます。

そのとき見たのが、なんと「スズメバチの焼酎漬け」。

道の駅はすっかり装いも新たに見違えるように広く建物群もモダンになて

ましたね。スズメバチの焼酎漬けは、無かった。

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 雲が広がりだし、陽が陰るとまだ信州はスウーット寒くなってきますね。

風も少し強くなってきたようです。

しばらく行き、幹線道路の国道18号に入り上田市内を通って東へ向かいます。

上田は真田家の上田城があり、城下町で北國街道の宿場町でもある。

上田城址へは春秋、二度ほど立ち寄りしてるので先へ車を走らせます。

お目当ては上田から15分ほど東の、これも北國街道の宿場町、海野宿です。

国道に「海野宿入り口」と記された信号機があり、なんどか目にしながら

まだ、一度も立ち寄ったことがありませんでした。

信号機を目にして海野宿への坂道を下りますが、なんと昨年の洪水復旧工事のため

通行止め。

すれ違いも困難な細い道をくねくね回ってるうちに、ポンと時代をスピリットした

江戸風情の海野宿の街並みへ出てしまいました。

左手を見ると駐車場への案内看板が・・いや~いいね~

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100mほど南へ下るとあり、、トイレも設置された広い駐車場がありました。

楽しみに保存地域へ向かうと、再び東西に広がる街並みへと出てきます。

(西側の街並み)

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(東側の街並)

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 寛永2年(1625年)に、北国街道の宿駅として江戸幕府により開設された「海野宿」。

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北国街道は、北国脇往還善光寺街道などとも呼ばれ、中山道日本橋から20番目の

追分宿の追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津北陸道に合流する、

中山道北陸道を結ぶ重要な街道でした。

佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で

善光寺への参詣客も多くありました。

中山道を江戸から軽井沢、沓掛と来て、追分宿の分岐、「追分の分去れ」で

 右手に行く道が 北國街道。 中山道の旅で2017年9月に通りました)

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海野宿は 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、

本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを

呈していました。

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 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。

 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には

「日本の道百選」、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を

 受けています。

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伝統的な建造物の意匠、「うだつ」も多く、 「本うだつ」は江戸時代のもの、

「袖うだつ」は明治時代のものだそうです。

どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。

このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れていますね。

(本うだつ)

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(袖うだつ)

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「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、長短2本づつ交互に

組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。

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2階の出格子に見られます。

「出桁」は江戸時代の旅籠屋造りのものが多いですね。

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二階屋根の上に見られる「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴です。

茅葺き屋根の被屋根も立派な「気抜き」が設けてありますね。

 

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 海野宿の産土神である白鳥神社

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御神木のけやきは、樹齢7百年を超えていると記されてます。

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毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれ、 11月第1日曜日には海野宿ふれあい祭が開催され、時代仮装行列や、

人力車も繰りだし往時の宿場の賑わいが甦るそうです。

 

 海野宿、道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸の美しい家並みなど

江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の(被せ)建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの

建物とがよく調和して、伝統的な家並みを残し、歴史のふる里を想わせる

静かなたたずまいを感じさせてくれました。

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来てよかったね~・・

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さあ、夕暮れ迫る海野宿を後に、今度は高速・上信越道を東へ走り、

関越道へ入って北上。

なんど出入りしたことかの沼田ICを出て日本ロマンチック街道を東へ向かいます。

そして、マツダ・デミオ時代の18年前に、谷川岳への帰り道に峠越え、

尾瀬への入り口片品村へ経て、遠回りしてたどり着いた、初めての車中泊地、

道の駅・白沢へ夕闇の中到着。

道の駅は駐車場もかなり広くなっていて、トイレも新しく増設さてていた。

ざと見回しても50台近い車中泊組が到着してる様子です。

温泉併設の道の駅でしたが、こんかいは利用せずの選択。

まずは、カンパイ、かんぱい、乾杯!!

狭いながらも楽しい車中泊、そして最後の車中泊、おやすみなさい。

続く、