歩いて再び京の都へ 中山道69次、夫婦歩き旅 第38回 2日目 後編(完歩編)

2日目後編。

いよいよ草津へ入ります。

左手から鉄道の高架が近寄って、街道は途切れてしまいます。

左折して高架下を通り、さらに線路下のトンネル、さらに低いトンネルを潜り抜け、

抜けたところで右折して線路わきの進むと、街道に復活です。 

おっ、今風自販機、なんて5分ほど進むと県道2号高架。

高架下を潜り約50m歩くと、左に見ええ来た壮は、

伊砂砂(いささ)神社」の鎮守の杜。

創立年代不詳ですが、古くは「天大大将軍之宮」と称され、明治2年(1869年)にご祭神の「石長比売命・寒川比古命・寒川比売命」の頭文字から付けら現社号に

改めています。
応仁2年(1468年)建立の「本殿」は、元禄4年(1691年)に

修理された一間社流造り、檜皮葺・蟇股に宝相華唐草文様の透し彫りが施され、

室町時代の建築作法を伝えていて、国の重要文化財に指定されている。

ご本殿(国重文)

可愛い?狛犬

右に左に3寺院を見送り、伊砂砂神社から約300m程行くと、

左側の建屋の中に祠が祀られ、街道書に南無地蔵大菩薩とあるが、詳しい由来由緒

などは調べても不明。

地蔵大菩薩から約10分ほど行くとJR草津駅入口の交差点の左手中央分離帯

江戸から129番目の草津一里塚跡を示す、小さな案内板がある、と街道書にはあるが、何度見渡しても残念ながらついに見つけられなかった。

その先は街道書や先人の紀行文に記された、アーケード街のきたなか商店街に

なり、・・・が、アーケードが無い!

5分ほど進むとアーケードは有ったが、数十メートルの取り残されたような

アーケード。

それもそのはずで、帰宅後調べてみると、草津資料の中に、

「時代が進み、郊外の大規模店などに人が流れるようになった事もあり、
2000年代からは商店街エリア付近での再開発が盛んになります。

その流れの中で、設備の老朽化もあってアーケードを取り壊す商店街が増え、
2021年(令和3年)現在、残すは「中ノ町商店街」のみとなりました。」

とありアーケードは消えていた。

写真は今も残る「中ノ町商店街」のアーケード。

アーケード入口の建てられていた草津歴史路案内板。

一里塚が記されてた。

アーケード中ほどに立つ乙女の像は解説も無い。

約100m歩くと懐かしい光景は「まんぼ」と呼ばれる「草津川トンネル」

(隧道)が現れました。

スイと潜れば中山道東海道との追分で、中山道の京側起点で、

先は京都三条大橋までの、東海道との併用街道。

草津川は、土砂の流入で川底が上がり、江戸時代に急速に屋根より高い天井川化し、

次第に堤も高くなったため、街道は堤を登り、通常は木橋の仮橋、増水時は舟渡しで

渡っていたという。

明治19年に「草津川マンポ」と呼ばれる隧道(トンネル)が掘られ、今は天井川

下をくぐれるようになっています。

堤上には明治期に桜の木が1kmに渡って植えられ、民の憩いの場になったという。

平成14年に新草津川が完成し、草津川は廃川となっている。

ということで、旧道を辿る道筋への、隧道(まんぼう)手前を右に曲がり

堤防の上えと向かいます。

堤防には広い石段が授けられ、現代風にエレベーターまで設置されていたる。

2016年5月21日、東海道53次 草津宿到着の記録では、

草津川は天井川で、平成14年(2002年)草津川放水路が開削され、

 下流域の旧河道は廃川になり水無し川、「旧草津川」と呼ばれてます。
 広大な空間が生まれ、現在も草津川跡地の整備を 大々的に進めており、

 完成図の大きな看板も建ち、 旧草津川橋から見ると工事車両が多数入って

 工事の真最中。」  と記してました。

(2016年5月21日)

川としての役目を終え、平成29年4月に草津川跡地公園として生まれ変わて

いました。

河川跡の公園を横断して草津j宿東海道中山道の追分への道筋石段を下ります。

2022年(令和4年)4月6日 PM4:00

中山道、江戸から68番目、129里11町 約508km。

東海道53次では、江戸より数えて52番目、118里32丁(466.9Km))

文化13年(1816)建立の、「右東海道いせみち」「左中山道美のぢ」と刻まれ

常夜灯式の道標の建つT字路。

ここが中山道の起点、草津宿の東の入口であり、

東海道中山道の合流点・草津の追分。

中山道、京方出発地、江戸から到着地に、東海道53次時と併せ二度目の到着が

出来ました。

野を越え山越の中山道

通りかかった方にお願いして、写していただきました。

 厳密にいえば中山道の道筋は、「中山道69番目(東海道53番目)大津宿を経て、

京の三条大橋へ」なのでしょうが、すでに先の京への道は、東海道53次の旅で

歩み済なので、わたしたちの中山道の歩き旅はこの「草津追分」をもって

中山道の旅の完歩しました。

(明日7日、家の宗派総本山・知恩院参りを予定しており、街道道筋の蹴上から

 足を進めて、京都三条大橋をに立つ予定です)

 日暮れまではまだ時間がある、と記憶を思い起こしながら足を進め、

 草津宿外れの立木神社へお参りに。

 

(田中本陣跡)

太田道灌所縁の太田酒造)

追分から20分、立木神社は創建が767年という古刹。

東海道筋にあり厄除開運・交通安全の神社として昔から多くの信仰を集めていたそ

うです。諸国の大名が参勤交代のおりに、必ずこの神社に道中安全を祈願したと

伝わっているという。

ご祭神が白鹿に乗って旅へ出た、由来から狛鹿

狛犬も守りしています)

中山道、旅の終わり御礼参りをし、神社を後にPM5:00、

宿の有る近江八幡への電車へ乗り中山道の旅は終わりました。

(明日は三条大橋で旅の大〆、セレモニー)