歩いて再び京の都へ、旅の大〆は都三条大橋へ 後編 三条大橋到着 

平安神宮を後にし、

東海道中山道三条通りへ戻り西へ。

20分ほど進むと、

懐かしき都三条大橋

東海道53次を3年掛りで歩き踏みしめた三条大橋

(2016年6月18日、)

2022年4月7日、歩き始めて6年目の「歩いて再び京の都へ 中山道69次の旅」、

無事にフィーナーレを迎えことが出来きました。

広重画 京都三条大橋

しばし弥次喜多像前で旅の余韻に浸り一休み。

あれこれと旅の思い出語りながら、八社神社を経て知恩院へお礼参りへ。

三条大橋を渡り返し、祇園白川を通って向かいます。

わたし、ま~つわ・・歌の文句じゃないけれど・・・(あおさぎ)

四条通へ出て東へ、左手突き当りに観光スポットとしてパンフなどで見る、

八坂神社の「西楼門」が見えてきた。

右手に見ええるのは南座、歌舞伎発祥地の京都に最古の歴史を持つ劇場。

観光パンフなどを読むと、

 「八坂神社は、全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする約2300の神社の

 総本社で、地元の方からは「祇園さん」の愛称でも親しまれている。

 元は「祇園神社」「祇園社」と呼ばれていましたが、明治の神仏分離令の頃から

 「八坂神社」と改名されました。

  創設については諸説ありますが、有力説としては、656年に新羅国の牛頭山に

 座していたスサノオノミコトを、山城国(現日本)愛宕郡八坂郷に奉納したことが

 始まりとされています。

 平安遷都が行われた794年よりも前から京都の地に祀られていた

 そうです。」と紹介されている。

石段の上にそびえる朱塗りの西楼門は、国の重要文化財にも指定されています。

西楼門を守るのはブロンズ製の狛犬

角のある方が狛犬、無い方は狛獅子なんだそうです。

西楼門より入ると正面に鎮座するのが国重文の疫神社で蘇民将来を祀ります。。

その隣は太田神社は猿田彦神と天天鈿女命を祀ります。

両側に並んでいる屋台を見ながら本堂へ向かいます。

左手に(国重文)大国主神

過ぎて石段を上がると、
広い神域境内へ出、右手に八坂神社正門の南楼門が有り、一旦門外へ出て入り直し。

南楼門前には石の大鳥居(国重文)

鳥居奥正面に南楼門(国重文)、

門を入ると正面の大きな建物が舞殿(ぶでん)。

舞殿では一年を通して様々な行事が行われ、2月の節分祭では舞妓・芸妓による

舞踊奉納、中秋の名月の日に行われる観月祭では琴や雅楽舞楽がそれぞれ奉納

されうという。

舞殿の奥には平安時代の建築様式のまま受け継がれたといわれる、国宝・本殿。

本殿と拝殿(礼堂)が大屋根ひとつで覆われ、1つの建物として建築されていて、

祇園造と呼ばれる八坂神社独自の建築様式という。。

現在の本殿は1654年に四代徳川将軍の家綱が再建したものです。

八坂神社といえば7月に1か月間行われ重要無形民俗文化財に指定の「祇園祭」。

見には来たいが京の夏は暑いというし・・・今年は開催されるかな。

八坂神社の東の隣にはある“祇園の夜桜”として有名な枝垂桜の円山公園

枝垂桜はピークは過ぎてるが、満開時をほうふつさせる姿を見せていた。

丸山公園内は、さすがに花見宴会風景は見られないが、名残桜を楽しむ大勢の方々で

賑わていた。
北へ歩き公園を抜けると、知恩院へ入る南門があった。

門を入ると右手に大きな門が見え、浄土宗総本山 知恩院の国宝・三門です。

知恩院パンフによれば

「高さ24m・横幅50m・屋根瓦約7万枚と、日本最大級の規模を誇る木造の門。

1621年、徳川2代将軍秀忠公の命で建立されました。

非公開の楼上内部は仏堂となっており、重要文化財の仏像が安置。天井や柱・壁などには迦陵頻伽(かりょうびんが)や天女、飛龍が極彩色で描かれています。

華頂山 知恩教院  大谷寺。開基は法然上人です。

最上部に掲げられている「華頂山」の額の大きさは畳2畳以上です」とある。

手摺のない一段50cmはあろうかと思われる急な石段の男坂

ちょっと迷ったが、桜の下を登りたいと登りだし、カミさんは勾配の緩い女坂の

脇石段を上がって、御影堂のある境内へ。

(三門前から御影堂前まで運行している無料シャトルバスもあるという)

山門を入ると視界が開け広がる境内。

左手の大伽藍は法然上人の御影をまつる国宝「御影堂」。

大修理を終え大殿とも呼ばれる知恩院の本堂です。

案内文によれば

「御影堂は寛永16年(1639)に徳川3代将軍家光公によって建立。

 間口45メートル、奥行き35メートル 幅3メートルの外縁をめぐらし、その壮大な

 伽藍は、お念仏の根本道場。

 浄土宗の開祖「法然上人」の御影(みえい)を祀ることから、

「御影堂(みえいどう)」と呼ばれています。

現在の御影堂は、1639年に徳川家光によって再建され、間口45m・奥行き35m・幅3mの外縁をめぐらした巨大な伽藍」ある。

御影堂の奥には広大な方丈建物が広がってます。

唐門は勅使門とも呼ばれる大きな門で、1641年の建立。

御影堂から東手に浄土宗の開祖「法然上人像」があり、像の脇長い石段を上ると、

法然上人が晩年を過ごした禅房があったという、知恩院発祥の地でもある「勢至堂」

にたどり着けます。

東手の山手には知恩院といえば日本三代名鐘の一つ。70トンで僧侶数十人が一緒に

なって鐘を打つ除夜の鐘で知られる大鐘楼もあります。


本堂(御影堂)からゆったりとした読経が流れてきて、時刻も夕4時でお勤めが

始まった様子。

私たちもお堂内へ入り、内陣へは入れませんが、形容しがたい荘厳にて低音の

数十人の僧の読経につつまれた本堂で、暫し手を合わせお参り。

まもなく閉山の時刻になります、と僧から声を掛けられ、お参りを終えて

知恩院を後にしました。

ライトアップを楽しむかの大勢の参拝客の八坂神社へくだり、四条通りを西へ。

当初は四条通り西へ鴨川を越えて、阪急河原町経由で京都駅へ行く予定だったが、

途中から左手折れて京都らしい雰囲気の色濃い花見小路通りを回り道して戻ることに。

観光パンフによれば、

花見小路通(はなみこうじどおり)は、三条通から四条通りをとおり、

 南は安井北門通まの約1キロで、四条通り南には由緒あるお茶屋・料理屋などが並ぶ

 伝統的なお茶屋街。

 2001年(平成13年)には電線などが地中化され、石畳が整備された。」とある。

左手には京都に春を呼ぶ風物詩といわれる「都おどりが」開演される

祇園甲部歌舞練場。

大正2年(1913年)に現在の場所に新築移転し、都をどりは毎年この歌舞練場で

100年以上の長きにわたり上演しているという。

平成13年(2001年)「有形文化財」の登録

(現在は耐震工事などで休館中だった)

20分ほど行くと花見小路の突き当りは建仁寺

拝観時間は過ぎてるので、右手に折れて

鴨川を渡り阪急四条河原町駅へ。

 

蹴上のインクラインから始まった旅の〆の一日。

三条大橋でのセレモニーと知恩院参りをすませて、中山道の旅は無事に終わることが

出来ました。

さあ、明日は歩き通した自分たちへの御褒美の都巡りは桜の花園・原谷園、金閣寺

竜安寺仁和寺へ。

そして旅の大詰めは念願の「桜咲く姫路城」。

「歩いて再び京の都へ」終わります。

東海道、中仙道 1000kmの旅を支えてくれた靴。

美濃路で一度底が剥がれ、応急処置で自分で貼り付けたが、今も現役)

群馬・坂本宿から長野・軽井沢宿の碓氷峠越えは登山靴でした。

今も日光街道を共に歩いてます。

「完」