甲州街道四十四次 9

さて、いつの日かと・・

八王子駅で足止めしてましたが、5月18日(土)

再び老夫婦は八王子駅に降り立ちました。

5月ながら今日は真夏日の予報。

水切れ注意で歩かなければね。

前回日野宿から歩いてきて八王子へ入り、この交差点で右手に街道は曲がりますが、

街道歩きは正式にはここで足止めし、直進して八王子駅へ向かってました。

駅から再び街道へ復帰し、赤い鳥居の見える左手方向へ足をすすめます。

赤い鳥居は市守大鳥神社

街道書には、この神社前が八王子j宿の江戸口(東口)で木戸があった、とある。

(前回通った新町の枡形付近が江戸口との一説もある)

 市守稲荷とも呼び、創建時祭神は倉稲魂命、江戸期に天日鷲命が配神され、

市の守護神であり、11月の酉の日には、境内や甲州街道沿いに熊手などを売る店が

並び、大変な賑わいになるという。

国道20号(現旧甲州街道)を北西へ向かいます。

歩道常にところどころ日影帯があり商店も結構多いが、駅付近は混雑といってよいくらいの人波だったが、国道沿いはぐ~んと人通りは少ないな~。

あの人波はどこへ流れてるんでしょう。

そういえばデパートが無かったような、駅風辺でもみかけなかった気がする。

20号で45kmか・・

市守大島神社前から400m程、八王子横山町交差点。

交差点左手の角、横山町郵便局あたりが「川口脇本陣跡」など、この付近が八王子宿の中心街で、本陣、脇本陣問屋場などが軒を連ねていた、と街道穂にあるが、

それらしき風情、痕跡や案内板など示すものはひとつも無い。

もっとも、八王子は大火やあの大戦の大空襲などで、多大な被害を受けたたためだが、

なにか史跡を示すものがあってもいいのかな。

交差点を右手に数分ゆくと、左手に八幡八雲神社があった。

街道書には、

中世に多摩丘陵一常から相模に勢力を張った横山氏(武蔵七党のひとつ)の居館跡で、横山党の守護神、八王子の総鎮守、とある。

神社由緒略記には、

八幡八雲神社は、八幡神社( 誉田別尊応神天皇)と、八雲神社素盞鳴尊)を祭神

として合祀している。

八幡神社は延長二年(924年)小野隆泰が武蔵の国司の時石清水八幡宮をまつり、

その長子義孝は武蔵七党の横山氏の始祖になった。

八雲神社は大伴妙行が延喜十六年(916年)深沢山(城山の古称)に奉斎後、

慶長三年(1598年)八幡神社に奉遷して長く当地の氏神となった。

とあった。

合肥を示す神社拝殿の屋根、ご神殿も二つ、灯篭も.。

20号(街道)に戻り街道左手は八日町(八日市宿)にかわり、10分程行くと

夢美術館東交差点。

渡った先に八日市宿跡碑がありました。
街道書には「八日市宿に新野本陣、山上脇本陣があった、とあるが、

示すものはなく宿跡碑のみ。

交差点を右手に折れて100m程行くと左手に禅東院。

街道書には、

飢餓の際に唐辛子を内藤新宿の問屋に卸し救われたことから、祈願の際に唐辛子を

供える「とうがらし地蔵」が祀られている、とある。

とうがらし地蔵

左右の吊り飾りは唐辛子か、と思ったら千羽鶴だった。

街道へもどり5分ほどでっ八幡町交差点で先は八幡町。
右手から国道16号が20号に合流し左折、八日町交差点で右折して南下して行く。

交差点を左手に渡り、そのまま南へ歩きJR中央線を渡った左手に念仏院がある。

念仏院には元禄12年(1699)八日市名主新野与五右衛門を中心に村の協力で鋳造された時の鐘が残っていて、昭和初期まで明け六つ(午前6時)、

暮れ六つ(午後6時)に、八王子宿内にに時を告げていた。  と街道書にあった。

念仏院をあとに踏切を渡り線路沿いを西へ。

300m程を右へ折れた左手に産千代稲荷神社があり、鳥居左手に江戸初期に家康に

仕えた大久保石見守長安の陣屋跡の碑がある。

街道書には、

長安は元は武田家臣であったが、主家滅亡によって徳川家に仕えた。

慶長年間(1596~1615)関東代官頭となった大久保長安が八王子に陣屋を設けた際、

鬼門除けの守護神として産千代稲荷神社を奉斎したことに始まる。

才能を買われて金山奉行となり、石見・佐渡金山開発などに功ががあり八王子3万石を与えられた。

幕府の代官頭として八王子宿を開設し、八王子千人同心を組織し陣屋を置いた。

産千代稲荷神社は陣屋の陣屋内社。

境内は「大久保石見守長安陣屋跡」として八王子市の史跡に指定されている。

とある。

陣屋当時の井戸も残されていた。

境内では数種類の紫陽花が色づきだしていた。

神社を後に北へ街道へ戻ります。

銭湯があった。

街道へ戻り西へ。

本郷横丁交差点角に堂々たる風格の石造蔵の店舗。

雑貨屋さんだそうで今日はお休みのようだ。

500m程行くとY字路の変則4差路の追分交差点。

ここで甲州街道陣場街道(案下道)と分岐します。

Y字路を左手へ行くのが甲州街道で右手行くのが陣場街道。

追分交差には遠回りしなけりゃ横断歩道がなく、長い階段上りの歩道橋!

ありがたや、今はエレベーターがありました。

(少しでも足腰負担を減らすため、なんて言い訳しながら使わせてもらいました)

歩道橋を渡り右手に折れて再びエレベーター使用で街道に戻ると、

左手に追分道標が建っていた。

この道標は文化8年(1811年)に江戸の清八という足袋職人が、高野山に銅製の五重塔

奉納した記念に、江戸から高尾山までの甲州街道内藤新宿、八王子追分、高尾山麓小名路の3ヶ所に立てた道標の一つです。

「左甲州道中高尾小道」、「右あんげ道」と彫られている。

戦中の八王子空襲で4つに折れ、一部は行方不明になってしまいました。

現在の道標は最近になって復元されたものですが、2段目と4段目は当時のままのもので、それ以外は新しく石を補充して復元したもです。

と、側に建つ案内板にある。

あんげ道とは、陣馬街道のことで、案下川、案下峠を経由して相模国津久井郡

佐野川に至る古道で、案下峠を通ることから案下道(あんげみち)と呼ばれたそうです。

街道書には八王子千人同心屋敷記念碑が同じ場s所に記されてるが見つけられない。

再確認すると、Y地道の右手、陣馬街道側に建っていた。
 八王子千人同心は、江戸時代にこのあたりに住んでいた半士半農の武士集団で、武田家滅亡後、徳川家康が武田家旧臣を召し抱え甲州口の抑えとして八王子に配置。

10名の頭の下に、それぞれ100人の平同心を配し、最初は江戸の西口の防備、

その後日光東照宮の警備を担当した。

と街道書にある。

そして街道の町並みは千人町。

甲州街道の両側には立派なイチョウ並木が続き日影を提供有難い。

イチョウ並木は多摩御陵造営記念に植えられたもので、次の並木町、多摩御陵参道入口と続き、800本弱のイチョウがJR高尾駅の少し手前まで4Km近くも続いているという。

4,5分先き右手に日蓮宗了法寺

参道を入って右手に、なんだこりゃ?の超今風アニメチックイラスト。

街道書には千人同心の墓がある、とだけ記されてたが、

調べてみたら、若い方に人気で『萌え寺』として有名な寺院なんだそうです。

延徳元年(1489年)に開山されたという歴史のある寺院ですが、ここを一躍有名にした

のが入口の少女の アニメチックイラスト看板。

このイラストが話題となり、テレビ番組などでも取り上げられたことから『萌え寺』と呼ばれるようになり若い方々の参拝客が急増したという。

若い人ね~

まずはお寺になじんでもらう、有りでしょね。

そういえば、車も門横の自販機もアニメチックイラスとだった。

了法寺から約500m、西八王子駅西交差点。

駅そばのコンビニ、イートインコーナーで昼食兼足休め。

側の一角に大きな鉢植えで大きなユリの花、カサブランカかな?

街道に戻りさらに10分程ゆくと長房団地入口交差点。

右折してすぐ左折する「枡形道路」のその角に、大きな石の道標が建っています。

道標には、「右髙尾山 左真覚寺 」と書かれている。
真覚寺は南方600m位にあって、「芭蕉蛙塚の碑」があるという。

枡形になった道標の横を左折のここが旧甲州街道で、板塀の大きな民家があったり、

往時の佇まいがほんの少し残っています。

静かな雰囲気の街道を10分ほど行くと国道と合流し、左手に、曽洞宗長安寺。

参道の石はかって八王子市内を走っていた路面電車の敷石。

境内には、寛延3年(1750年)、安永5年(1777年)造立の地蔵尊がある。

と街道書にあった。

境内には何体かの古石仏があったので、どれなのかは判然としない。

すぐ先左手の八王子市役所横山事務所内にあるのがオオツクバネガシの木で、

側に解説板も建っていて、王子市天然記念物、と街道書にあった。

(逆光なので写りが悪い)

一見、一里塚のように見えるが、オツクバネガシの木の東側に江戸の日本橋から

12里目の「散田の一里塚」があったともいわれるが、現在はその位置は不明と

あった。

さらに銀杏並木の続く街道を西へ進みます。

はや柏葉紫陽花が咲きだし、西洋バイカウツギが甘い香りを漂らせています。

横山事務所から15分ほど多摩御陵入口交差点で右手に見事なケヤキの並木の参道が

続いている。この参道は850m位あるという。

御陵参道の入口の右側には「武蔵凌墓地参道」、左側には「多摩御陵参道」の石碑が

建っています。この奥には「大正天皇多摩凌」「貞明皇后多摩東凌」「昭和天皇武蔵野凌」「香淳皇后武蔵野東凌」がある。

多摩御陵入口交差点の1つ先の信号で、国道20号線から右に分かれる細い道路があり、ここが慶長9年(1604年)に開通した旧甲州街道で、黒塀の家がちらほらと残る旧街道らしい風情が残っている。

5,6分っほど左手に、ご祭神は大山咋命(おおやまくいのみこと)の東浅川山王社。

東浅川山王社にある「子育て地蔵尊」です。この子育て地蔵尊は“松姫地蔵尊”とも

呼ばれる。武田信玄の四女である松姫は武田家滅亡後八王子に移り、三人の娘を育て、

千人同心たちの心の支えであった、と街道書にはあった。

すぐ先右手に小さくて顔の可愛い石地蔵が置かれています。

その石地蔵の横から北に延びる細い道路は昔の鎌倉街道の1つで、八王子城に通じていたという。
  

すぐ先で旧甲州街道は、通称「高尾街道」にぶち当たり、「高尾街道」の

中央分離帯のフェンスで遮断されているので、左手へ曲がり町田街道入口交差点で

国道20号線に合流し、横断歩道橋で国道20号線を左手へ渡ります。

歩道橋を降りて左側にあるのが天正元年(1573年)八王子城主・北条氏照が再建したと伝わる、熊野神社

街道書には、

熊野神社の境内にあるこの大木はケヤキ(欅)とカシ(樫)の木が根元から一緒になって

成長した「相生木」で「縁結びの木」と呼ばれている。

この木の根元に自分の名前と思いを寄せる人の名前を書いた小石を2つ置くと、

願いが叶うといわれる、とあった。

たしかに根元は一緒だね。

熊野神社から約10分、高尾駅前交差点。

 

交差点を左に折れて、PM3:30 今日の歩き旅はお仕舞に。

持参の杖は有効のようで、今のところ足腰は大丈夫、といっても歩いたのは

6km強、杖を頼りいに~♬~・・そんな歌あったな~。

JR高尾駅は寺院風建物で何年ぶりだろう。

昔、高尾山へ何度も登ったことがあった。

駅前や電車内は大勢のハイカーなどで混雑気味。

半分近くは海外の方で、すでにコロナ前に戻ってるね。

さあ、いよいよ難所小仏峠も近いが・・峠越えは難しいか・・・・・またいつかに。

 終わり。