歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第14回)    碓氷峠頂上~沓掛 後編

*ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです。*

 

>左へ進めば20分くらいで軽井沢駅
中山道は右手の道へと進みます。 旅の後編

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左足指にテーピングし、軽井沢宿から1里5町(4.5Km)19番目、沓掛宿

向かいます。

昼食を済ませ、「離山通り」と呼ばれている街道を進みます。

すぐ左手に大型バスが出入りしている専用駐車場が有り、

入口看板後ろの木陰に、馬頭観音が有りまが、よく探さないと気が付きませんね。

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 点々とおしゃれなレストランや別荘がある通りを進むと、

6本の道が交差する円形の六本辻交差点の道路標識が建ってます。

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この交差点は円形(ロータリー)化されており、信号機が有りません。

侵入する車は右手よりを確認して入り、反時計回りですすんで

目的方面出口で左折してゆく方式です。

前にスイスへ行ったとき、郊外の幹線道などの交差点がこの方式でしたね。

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街道はほぼ対面に続く道で、交差点侵入の車の途絶えを確認し、左回りに回って

向かいます。

交差する道の入口に、浅間の湧水を堰き止めた「雲場池」の大きな看板が有りました。

池周りは高級別荘地帯で、秋の紅葉の人気スポット。

11月のシーズンはこの辺は渋滞になるほどです。

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六本辻交差点からは会社の保養所やリゾートホテルやペンションなどが

唐松林の中に点在する静かな街道を進みます。

右手に建築中のリゾートホテルの塀越しに、お椀を伏せたような離山が見えてます。

この山は周囲の山から独立した(離れた)独立峰で、浅間山の寄生火山の1つです。

ここ軽井沢自体が標高1,000メートルのところにあるので、低い山のようですが

標高は1256mもあります。

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避暑地・軽井沢に相応しい、お洒落なリゾートホテル過ぎ、すぐ先右手に、

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庚申塔道祖神などの石仏群があり、街道らしい素朴な風景に出会います。

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その先すぐの離山交差点で国道18号線に合流し、 

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右手、広大な森の中には、「歴史民族資料館」やその先に「市村記念館」がある。

ほかに「旧雨宮邸」(軽井沢を唐松林に変えた明治の実業家)とか「新座敷」と掲記された別荘などが何軒か建ってます。

市村記念館は元は、大正初期のアメリカ式洋館で旧近衛文麿別荘でした。
後に市村今朝蔵(元早大教授・政治学者、雨宮の甥)が購入し、
平成9年に軽井沢町に寄贈され、現在地に移築されたもの。
近衛文麿は“、五摂家の1つ近衞家の第30代目当主で、後陽成天皇の12世孫に
なるそうです。
昭和初期の激動の時代に、3度にわたり内閣総理大臣に指名され、
終戦時の戦犯指名にて自決した公家であり政治家ですね。

 

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広大な敷地内に点在してるので、覗いただけで街道へ戻ります。

市村記念館の先で、中山道は国道から左斜め前方に、しなの鉄道(旧信越線)を斜めに横切っていたのですが線路にて分断され失われています。
すぐ先の<軽井沢中学前>信号で18号を横断、更に”しなの鉄道”の踏切を渡ると

右手へ曲がるのが旧中山道への復帰への道。

 

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踏切を渡り右手へ続く旧道周囲は、静かな住宅街で、緩く坂道を上る感じで続きます。

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ログハウス(売り物件でした)の先を曲がると、

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坂の左手に雄大な浅間山が見えてます。

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中山道でこの付近だけで見られる「左浅間」とは、ここから眺めた浅間なんですね。

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左手の湯川を前沢橋で渡ると、そば畑の先は二股で、左手は中軽井沢駅裏手。

右手に曲がると、しなの鉄道の鉄橋をくぐります。

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左手に坂道を上ると、中軽井沢の駅裏に出ます。

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江戸時代初期の古旧中山道は「中軽井沢駅」の駅裏あたりを通っていたといわれ、

上って左手に「宮之前一里塚」がありました。

江戸の日本橋を出てから38里目の一里塚です。

安永2年(1773年)、沓掛宿が大火に遭い、その際に宿場まるごと移転しましたが、

一里塚だけがこの場所に取り残され、今は石碑が残るのみですね。

(一里塚は移転しなかったのでしょうかね)

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坂道を下って戻り左折すると、湯川に架かるしなの鉄道の鉄橋をくぐります。

ちょうど電車がやってきました。

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鉄橋を過ぎすぐの土手道を上がると、国道18号に当たります。

道路の向こう側の木の下に沓掛宿石柱が建ってます。

ここが江戸方の沓掛宿入り口だったのですね。 

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沓掛宿は江戸から数えて19番目の宿場で、現在の長野県、軽井沢町軽井沢

天保14年(1843年)の記録によると、宿内家数は166軒、本陣1軒、脇本陣3軒、

旅籠17軒で、宿内人口は502人であったそうです。

草津温泉に向かう街道との追分(分岐地点)でもあり、大いに賑わったと言われます。

甲府藩や小諸藩の領有を経て、徳川吉宗が8代将軍となった享保元年(1716年)以後は、天領として徳川幕府の直轄地でした。

「沓掛」の名称は、旅人が草鞋(わらじ)や馬の沓(くつ)を捧げて、旅の平穏を祈った

ことに由来するとも、草鞋(わらじ)を履き替える場所であったからであるとも

言われています。

宿内は5町88間(約668メートル)。

しかし昭和26年(1951年)の大火で町の殆どを焼失し、往時の様子を伝えるものは

殆ど残っていません。

その後は昭和31年(1956年)に沓掛駅が中軽井沢駅と改称したのを機に、

地名も中軽井沢と改称、以後別荘地や避暑地として発展していまが、「沓掛」は

地名としても残されていないそうです。

中山道が整備された当初、中山道は現在の“しなの鉄道線”の線路の南側に

沿うように通り、沓掛宿も最初は一里塚跡が有ったように、現在の中軽井沢駅

南側に作られていたのですが、安永2年(1773年)の大火により、

宿全体が現在の場所に移っています。

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栄泉画 沓掛宿

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国道を石柱側へ渡った先に鳥居が有り、湯川に赤い橋が架かっていて、

その先には、天長年間(824年~834年)に創建されたといわれる、

長倉神社が有ります。

平安時代の文献である「延喜式」にもその名が残るほどの由緒ある神社です。

結構広い境内を持ち、入口周辺には「石碑」や「庚申塔」なども集められていて、

奥に本殿があります。

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長倉神社の境内の裏手に「沓掛時次郎の碑」があります。

碑には

「千両万両枉(ま)げない意地も 人情絡めば弱くなる 

          浅間三筋の煙の下で  男 沓掛時次郎」
という名セリフが刻まれています。

唯一「沓掛」として残っているものはこの「沓掛時次郎の碑」くらいとか。

沓掛の地名を一躍全国的に有名にしたのが「沓掛時次郎」だそうで、

劇作家・長谷川伸さんが書き上げた戯曲『沓掛時次郎』の主人公ですね。

あくまでも架空の人物なのですが、数度にわたり映画化されたことで

全国的に有名になり、また、何度もテレビドラマ化もされ、歌謡曲でも歌われてますね。

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そういえば昔のTVドラマで「木枯し紋次郎」とかが有りましたね。

(関係はないですね~)

神社から街道に戻り、少し南下するところ左手に「旅館岳南荘 升屋本店」と

書かれた旅館の跡があります。

沓掛宿脇本陣の1つ、増寿屋(升屋)でした。

旅館としても既に廃業してしまっているようで、残念ながら草ぼうぼうの

荒れた跡地となってます。

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足を進めると中軽井沢の信号。

左折すると“しなの鉄道”の中軽井沢駅があります。

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進んで中軽井沢交差点のすぐ先にある、八十二銀行の支店の駐車場の奥に

脇本陣蔦屋跡碑」が建てられていました。(赤丸内)

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先の右手の広い敷地の立派な家が、当時「本陣」を勤めていた土屋家で、

今も表札に「本陣」という文字が書かれた表札が掲げられています。

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とここまで来たところで、足の指の痛みが再び強く感じられるようになったため、

大事をとって旅はここまでとし、中軽井沢駅からしなの鉄道軽井沢へ戻ります。

中軽井沢駅明治43年(1910年)、国鉄信越本線の「沓掛駅」として開業しました。

1956年、中軽井沢駅に駅名を改称。

国鉄の民営化に伴い、JR東日本に移管され、平成9年(1997年)、

北陸新幹線(当時は長野新幹線)の開業に伴い、JR東日本から

第三セクターの“しなの鉄道”に移管されました。

現在の駅舎は平成24年(2012年)に完成したもので、さすがは日本有数の別荘地・軽井沢にある駅ですね。

駅は軽井沢町地域交流施設である「くつかけテラス」、さらには軽井沢町立の

軽井沢図書館も併設されてます。f:id:hansui:20170922174748j:plain

軽井沢駅

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足指のアクシデントのため、碓氷峠頂上の熊野神社から約9kmと短い旅でしたが、

歩けた!の充実感は十分。

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帰宅したらすぐに足指のケアをして、さあ、この次はいつの日かな?

さすが軽井沢は高地、駅近くの街路樹は紅葉も始まってましたね。

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PM3:30、軽井沢を出、少し高速の渋滞は有りましたが、

PM6:00、帰宅、再開旅1回目を無事に終えました。

 思いがけなく病で中断した、旧中山道歩き旅。
思い切って連続継ぎ旅は吹っ切って再開「夫婦で楽しむ歩き旅」。

さあ、足指のケアをしっかりして、どんどん進めるぞ!

と、終わり。

真っ赤に実っていた「ハマナス」の実。

甘いかな~

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歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第14回)   碓氷峠頂上~沓掛 前編

*ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです。*

 

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(坂本宿~軽井沢宿に立ちはだかる碓氷峠は、いつの日にかはチャレンジ)

 

思いがけなく病で中断した、旧中山道歩き旅。

思い切って連続継ぎ旅は、吹っ切って

「夫婦で楽しむ歩き旅」で再開。

2017年9月10日、思い立ったが吉日とマイカーを走らせ

AM8:30、信濃国(長野県)軽井沢へ。

駅近くの駐車場へ車を置いて、碓氷峠頂上にある熊野神社へ行く

軽井沢赤バスの乗り場へ。

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軽井沢の静かな森を走る通称「赤バス
万平ホテル・旧軽井沢を経由して旧中仙道(明治天皇巡行時整備)を登り、

碓氷峠頂上熊野神社、「見晴台」まで走行している季節限定の路線バスです。

バスは9時ちょうどに走り出し、20分ほで標高1200m近く、

碓氷峠熊野神社前到着。

本来なら峠下の坂本宿から山を登って、この碓氷峠頂上へだった。

(右の山道を下れば群馬・坂本宿)登ってきたつもり・・・

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碓氷峠頂上は上野国(群馬)信濃国(長野)の国境。

頂上には熊野神社が祀られており、、碓氷峠を通った諸大名が必ず参拝に

立ち寄ったと言われます。

熊野神社を参拝して再開の旅、スタートです。

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鳥居の両脇の一対の狛犬(こまいぬ)」は、なかなか愛嬌のある顔をしています。

長野県内で1番古く、室町時代中期(1400年頃)に造られたそうです。、

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神社は上野国群馬県)と信濃国(長野県)の国境上に建っており、

参道と本宮の中央が国(県)境。

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社宮は3つあり、

本宮は伊邪那美命(いざなみのみこと)、日本武尊(やまとたけるのみこと)。

長野県側の那智宮は事解男命(ことさかのおのみこと)、

群馬県側の新宮は速玉男命(はやたまおのみこと)。

あれっ!本宮のお採算箱や鈴が二つ有る。

そうなんですね、本宮も国(県)境上に有り、大戦後に宗教法人法によって、

ひとつの神社でありながら県境を挟んで、長野県側が熊野皇大神社

群馬県側が熊野神社という別々の宗教法人となったためだそうです。

今日は信濃国入りのスタート。

碓氷峠の登りをまだしてないので、上野国群馬県)はまだ完歩してないため、

長野県側、熊野皇大神社をお参り。

いつの日か碓氷峠を登って群馬県側、熊野神社へもお参りできるよう願いました。

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参拝を済ませ、街道へ出た神社対面には「元祖力餅 しげの屋」。
地面に引かれた赤いラインが県境で店の中も通っているそうです。

お嬢さんたちが、いえ~!と県境をまたいでお遊びショット。

ははは若いっていいですね~

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熊野神社から下ってすぐ左手に「見晴らし台」の案内板があり、寄り道。

見晴らし台にも県境のモニュメントが建っていて、目の前に群馬の奇峰

妙義山(裏妙義)、右手奥に山頂に雲をかぶった浅間山の絶景。

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碓氷峠から軽井沢へ下るのには、3本の道が有りました。

明治11年(1878年)9月の明治天皇の北陸東海御巡幸の際に開削された、

県道133号旧軽井沢軽井沢停車場線(赤バスが走った車道)。

最近作られた見晴台入口から下る遊歩道。

そして、谷底に下りていく感じで谷間を通る“旧中山道

神社から下って突き当りに駐車場が有り、県道は右へ曲って下って行き、

駐車場左手、石積脇を下る細い踏み跡が旧中山道

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すぐに一旦車道にで、少し右手に車道を戻ったところのガードの切れ目から

再び谷間を通り、谷底に下りていく感じで“旧中山道”を進みます。

長い間忘れ去られた街道だったんでしょうね。
近年になり、今旅人が歩いただろう踏み跡で、辛うじて道が保たれててる感じです

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崩れかけた急勾配の道を降りていきます。

3か所ほどの小さな「中山道」の木道標が、辛うじてこの道が旧中山道であると

確認し下ります。 

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ロープ下りも二か所

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30分ほど下ると道が広くなって、周辺は別荘地帯に入ってきます。

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さらにしばらく下ると峠からの舗装車道に出、遊歩道も合流して、

矢ヶ崎川に架かる「二手橋」に着きました。

軽井沢宿の飯盛女が客をここまで見送り、東西に別れたことから「二手橋」

この橋を渡った先からが、信濃国(長野)最初の宿場である軽井沢宿。

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浅間の火山岩でしょうか、「上信越高原国立公園 碓氷峠」の大きな石碑があり、

瀟洒なトイレもあって小休憩。

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二手橋までは多くの観光客も足を伸ばしてくるようです。

橋を渡って旧中山道、18番目の軽井沢宿へと入って行きます。

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天保14年(1843年)の記録によると、軽井沢宿の人口は451人、家数は119軒、

本陣1、脇本陣4、旅籠21軒。

中山道有数の難所、碓氷峠の西の入口にあたり、峠越えを控えた旅人で

たいそう賑わった宿場だったのだそうで、最盛期には100軒近くの旅籠があったと言われてます。(街道浮世絵はなぜか、寂しい感じ)

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急に人が多くなり二手橋を渡ったすぐ右手に、

アレキサンダー・クロフト・ショーの胸像と教会が建っています。

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明治17年(1884年)に碓氷新道(現在の国道18号線)が開通すると、

宿は急速に衰退してゆきます。

明治19年(1886年)、布教の途中で偶然軽井沢を通りがかった、

英国国教会の宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーと友人。

彼等は軽井沢の涼しい自然環境に、祖国の風景を思い出し感動し、

既に休業状態に陥っていた旅籠『亀屋』を訪れて、ひと夏滞在しました。

アレキサンダー軽井沢のことを大変気に入ったようで、その後も毎年夏には

避暑に訪れるようになり、明治21年(1888年)には別荘を建て、

友人や日本の知識人達に絶好の保養地であるとアピール。

そして外国人、財界、文人、芸術家達の別荘が増え、西洋文化の香り漂う

高級別荘地・軽井沢の形が作られたようです。

旅籠『亀屋』の主人、万平は明治27年(1894年)、旅籠の一部を洋風に改装し、

『亀屋ホテル』となり、さらに、その翌年の明治28年(1895年)、

良く知られた「万平ホテル」と名称を改め、今に至っています。

(拝借写真、万平ホテル)

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 二手橋を渡るとすぐに松尾芭蕉の句碑が有り、その先に文人が滞在したことで

知られる、江戸時代初期の創業の旅籠「鶴屋」(現つるや旅館)があります。

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このあたりから軽井沢宿の中心部、現在は「旧軽井沢銀座(旧軽銀座)」と称し、

休日には多くの人が足を運ぶ、お洒落な観光散策街となっていて、

宿場時代の面影は、全く感じることは有りませんね。

新しい洒脱な街造りが最優先されたようで、史蹟旧跡の案内解説板などは全く

見ることは有りません。

観光会館でいただいた街案内図にも宿場時代の案内は全く記載なし。

街道の旅人としては、ちょっぴり寂しいですね。

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かろうじて、「脇本陣 江戸屋」と、軽井沢宿らしく“脇本陣”の名称の付いた

カフェが小路奥にありました。江戸時代は脇本陣が有ったのかな。

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日曜とあって銀座通りは大変な人の波。

人気店なのか、何軒かの店先は人が列を作ってます。

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先へ3~4分行くと、三笠通りとの交差点で軽井沢の宿場(旧軽井沢銀座)も

終わります。

江戸時代にはここに、クランクのように直角に折れ曲がった

「京側枡形道」があったそうです。

左へ進めば20分くらいで軽井沢駅

中山道は右手の道へと進みます。

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時刻はお昼少し前。

有名店なんでしょうね~・・長蛇の待ち人々。

蕎麦屋でした)

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朝が高速のPAで持参のカップ蕎麦を食したので、

側にあったお店で、パンで昼食、足休め。

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二手橋へ着いた頃から、左足中指に軽い痛みを感じてました。

念のため持参の絆創膏でテーピング。

軽井沢は何回か訪れたり通ったりてますが、中軽井沢、南軽井沢方面ばかりで、

軽井沢駅旧軽井沢銀座方面へ来たのは初めてでした。

続きます・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅 嬉しい旅の再開へ プロローグ

*ひょいと歩き出した東海道五十三次

途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。

勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。

またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。

挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え

旅の再開。

そんな、じじばば道中ブログです。*

 

>2016年12月17日(土)PM1:47 

  旧中山道69次、武蔵、上野国、17宿を通り抜け、坂本宿、上の木戸跡(京口)着

次回は最大の難所と言われる碓氷峠を越えて、軽井沢宿・信濃の国へ入ります。<

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2017年、新たな年が明け、雪解けを待って碓氷峠越へと思いを

馳せていましたが、春が過ぎ夏が去って、はや初秋。

年明けからの下腹部の変調で、思いがけないヘルニアの発症。

定期健診での腹部大動脈瘤の変化診断。

さらに二か所の心臓動脈硬化の処置必要の診断。

精密検査入院、ヘルニア手術の入院、続いて腹部大動脈瘤へのステント設置

入院、最後が心臓ステント留置処置入院と医大での施術が続き、

半年は入退院の繰り返し生活。

猛暑の夏、やっと7月中にすべて無事終了。

すっかり劣えた足腰。

猛暑で足慣らしは朝夕にそろりそろり。

ただ有りがたいことに車運転は支障なしで、日常生活は元通り。

足の衰えは有ってもマイカーでの遠出はできる。

すこし足慣らしした後の8月初めはは天気の様子を見ながら、

秋田の竿燈祭り、盛岡のさんさ踊りへ遠征。

8月3日 秋田竿燈祭り

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8月4日 盛岡さんさ踊り・パレード

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 中旬には山を見たくなって、久しぶりの車中泊で、白馬五竜高山植物園、

乗鞍岳、2700m畳平のご来光へ。

高所でも心臓は大丈夫、登りはヒーヒーでしたが、標高差100mは有ったかな。

白馬五竜高山植物園(標高1515m)

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 乗鞍岳・畳平(2700m)

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そして8月も末になって、前々から行ってみたかったが、

大混雑と聞いてて、二の足踏んでた、「富山越中八尾おわら風の盆」。

20日から30日に参加旧町が、本番に向けた練習を兼ねた町流しを

前夜祭として開催、と聞いて急ぎ宿を探して行ってきました。

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宿泊したホテルは少し高台にあって、富山平野を挟んで、立山連峰は一望。

翌朝には剣岳もくっきりとした、日の出が見られましたね。

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なんと8月中に3っ度も遠出。

そんなうちに、天候不順だった8月も去って、

9月の入りは、一気に秋の気配で幕開け。

彼岸花も咲き始め、さっそく朝の足慣らし散歩も少し距離を伸ばして再開。

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 9日の早朝散歩の休憩時に、

碓氷峠越えは、すこし旅をしてみて自信が持てたらチャレンジ。

思い切って歩き旅へ一歩踏み出しても、大丈夫じゃない。
<続き歩き>にこだわらないで、「二人で歩き旅」を楽しむで、如何?」

とカミさんの意見。

そうでしたね。

中山道の旅。

継ぎ足しでも「一筆書きでつないで旅を、」についこだわってましたね。

峠越えの山登りにはまだ自信がなく、つい旅の再開を延び延びにしてましたが、

「よ~し、思い切って再開するか」

吹っ切れたら、「思い立ったが吉日!」とばかり翌10日に街道旅再開へチャレンジ。

まずは足慣らしで短い距離で・・・

中山道夫婦歩き旅の再開・・・

ということで、長い間中断していた旅のブログも再開です。

旅へ・・

 

 

 

 

 

 

思い出旅 おのぼりさん歩 旧東海道夫婦歩き旅 第2歩

2013年2月23日、夫婦は旧東海道五十三次の旅第一歩へ。

旅の続きを綴ってゆきます。

 

先週、第一歩を踏み出した、東海道五十三次「おのぼりさん歩」
3月下旬まで、二人でかける事が出来る事になりました。

歩き続けるのに、一番大切なシューズ。
第一回めは、スイスへ行った時に買った、歩きやすい
タウンシューズでした。
タウン散策には問題が無かったですが、長丁場には・・と疑問が残りました。

ちょうど、某スポーツ店の大処分市が有って、
さっそく、一歩を踏み出した翌日に、探しに行きました。
ある街道旅されてる方のHPで、選び方で紹介されていたシューズを見つけて、
散々試し歩き。

足指の部分(黄線部分)が、くしゃとの曲らない仕様が適している由。

これは歩き易いと、カミさんも気に入って、ペアで購入です。

(なんとこの靴は、東海道完歩し、いま中山道を京へ向かって歩いてますよ!)

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2013年3月3日(日)第二歩へ。

今日の目安は、日本橋から第一番目の「品川宿」から 二番目の「川崎宿」への

川渡し「六郷橋」までですがあくまでも予定。

夜明け前に家を出立。いつもの場所に車を止めて駅へ。
乗り込んだ電車は、13年振りの「AM 6:01」発の電車でした。
現役の頃に12年ほど通勤で利用したダイヤ、ん?と言う事は

25年前から休日関係なく「6:01」発は続いてる!!

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当時から、半の出勤は家を5:30出。
カミさんは「低血圧症」で早い朝起きがつらそうだったので、朝食の準備は免除!
おかげで、早朝営業の駅構内の立ち食い店は、いろんな駅で体験してきました。
な〜んて、車中はサラリーマン時代の思い出話で、AM7:05 JR品川駅着。
構内のCaf&eacute;でモーニングセット朝食を済ませ、前回足止め

品川宿」入口へ。

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AM7:50 まだ朝寝坊中の底冷えの品川宿へと足を進めます。

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品川宿は、江戸をでて東海道の1番目の宿です。

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当時の品川宿は、現在の京浜急行北品川駅」から「青物横丁駅」辺りまで、

続く町です。

いまは埋め立てで海は遠くなってしまいましたが、当時の南側は家屋の裏は

江戸前の海。

旅人のみならず見送りや迎えの人でも大いに賑わっていたと言われます。

現代は、当時の面影を残すものはほとんど残ってはいませんが、

町会が、随所に道標案内、説明掲示板、史跡案内なを整備し、

かっての「品川宿」を守り保存をしています。

宿を進むと、まだ開店前の商店ばかりですが、
逆に、浮世絵や江戸風情など、旧街道にマッチした楽しい「シャッターアート」が

迎えてくれました。

舗装も色分けされて、かっては旧街道宿場町であったことをしのばせる、

ゆるーくカーブしたりの幅の狭い道。

品川宿」を楽しむだけでも、是非のお薦めの街ですね。

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宿へ入ってすぐに三代家光と沢庵禅師と掛け合い問答「問答河岸跡碑」

三代将軍家光が、漬物の “たくわん” に名を残す沢庵和尚を訪ねて、この地に到り

問答をしたと伝えられる。

その問答は「海近くして何がこれ東(遠)海寺?」(家光)、

「大軍を指揮して将(小)軍というが如し」(沢庵)というものだった。

沢庵和尚は請われて、品川宿近くの東海寺の住職になり、現在も東海寺には

沢庵和尚の墓がある。(東海寺には寄ってません)

 

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続いて現れるのは、高杉晋作所縁の高級大妓楼として知られた

土蔵相模屋跡(現在はマンション)。

外壁が土蔵のような、なまこ壁の旅館「相模屋」があった。

幕末の頃、御殿山にイギリス公使館を作る幕府に反対した
高杉晋作らがここで公使館を焼き討ちを密議し、歴史の舞台となった所だ。

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おっ、定食屋さんかな?

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今旅人向けに設けられてる「お休み処」は、まだ開店前。

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その先、品海公園のところが、日本橋から二里で、品川一里塚跡と言われています。

ただし江戸中期にはすでに1番、2番の一里塚は無かったとの説がある。

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過ぎて

ここ法禅寺の堂宇に、明治7年公立小学校・品川学校開校。

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足を進めると左手一帯がいまは公園とになった、品川本陣跡でした。

本陣は北品川と南品川の二軒あったが、江戸中期にはこの北品川一軒になった。

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本陣跡を過ぎて山手通りを渡り、5~60m歩くと品川宿交流館が建ってますが、

まだ朝の8時半なのでシャッターが降りてます。

開かれていれば観光物産とともに、東海道品川宿「まち歩きマップ」が販売されて

いるそうです。

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間もなく目黒川に架かる品川橋。渡れば南品川です。

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品川宿内には東海道つながりで、何ヶ所かの宿場から送られた松が植えられてます。

これは浜松宿からですね。

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少し先の交差点付近から青物横丁。右手青物横丁商店街を行くと京浜急行の駅。

交差点には「えんどう豆」の形をした街灯立っている。

江戸時代に付近の農民が、野菜や山菜を持ってきて市が立ったから

青物横丁って呼ばれてるそうです。

 

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 しばらく進むと右手に「品川寺(ほんせんじ)」。

参道入口には大仏様のように大きな江戸六地蔵の第1番が鎮座してます。

作られたのは宝永五年(1708)
六地蔵は浅草の東禅寺、新宿の大宗寺、巣鴨の真性寺、白河の霊巌寺が現存します。

江戸三十三観音霊場 第三十一番札所になってます。

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山門を入った右手には、推定樹齢600年の大イチョウが高く聳えています。

袂には大きな石碑があり、脇には庚申塔もありました。

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品川寺を後にして旧東海道を進んでいくと、右側に禅、曹洞宗にて

「江戸三十三観音霊場番外札所 千體荒神 海雲山」の表札が掛かる山門あります。

山門の前には「開運 千體荒神霊場」と刻まれた石柱が立っていました。

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境内へ入っていくと その奥正面にに千躰荒神の社で、鎮守として

千躰三宝荒神王を祀っている

海雲寺の本堂はその右隣りにありました。

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「千躰荒神王」というのは火と水の神様で台所の神様だそうです。

九州佐賀藩鍋島家の高輪二本榎木の別荘に遷座しお祀りしてありましたものを、

因縁あって、昭和7年に当寺に勧請したと言われます。

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千躰荒神堂には夥しい奉納された「千躰荒神堂奉納扁額」があります。

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 境内にあった平蔵地蔵。(あの長谷川平蔵とは全く無関係ですよ。

「鬼の平蔵」ならぬ「正直者の平蔵」を供養です)

「江戸時代の末期、鈴が森刑場の番人をしていた三人の乞食がいた。その乞食の一人平蔵さんはある日大金を拾い正直にその大金を落とし主に返し、お礼にくれたお金も、当たり前のことをしただけと受け取りませんでした。その話を聞いた二人の仲間は、お金を返さなければ三人とも乞食をやめられたのにと怒り、平蔵さんを自分たちの小屋から追い出し、凍え死にさせてしまいました。それを聞いた落とし主の仙台屋敷の若いお侍さんは悲しんで平蔵さんの遺体を引き取り、青物横丁の松並木のところに手厚く葬り、上にお地蔵さんを置いて供養しました。あいにく明治になって京浜電車が開通する頃、お地蔵さんの土地に線路が架かってしまったので、この海雲寺の住職が、お地蔵さんを引き取ってここに大切に供養した」とのいわれです。

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その隣に、怖い顔をして電球を持って立っている、電燈講とかかれた荒神石造。
電燈講って??

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青物横丁を少し過ぎたところに右に入る道があり、曲がって左手に「岩倉具視墓所

の石碑が建ってます。

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100mほど入り京急の高架下を越すと、第一京浜国道が横切っており

第一京浜越に海晏寺(かいあんじ)が見えます。

以前は旧東海道近くまで海晏寺だったといいますから当時の勢力がうかがえます。
 執権北条時頼が、鎌倉建長寺蘭渓道隆を迎えて開山したと伝える。

墓地には、幕末の福井藩松平春嶽土佐藩主山内豊信、それに岩倉具視などの

墓があるが、一般の参拝は認められていない。

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街道に戻り少し進み交差点までが南品川で品川宿京口かな。

あっちへ寄り道こっちへ道草と歩を進め、品川宿を抜けました。

交差点を渡ると鮫洲・東大井一丁目の鮫洲商店街です。

東海道中膝栗毛弥次さん喜多さんが、ここについて詠んだん句。

「海辺をばなどしな川といふやらん さればさみづのあるにまかせて」

弥次さんが、海辺なのに何故しな川なんだ、と謎をかける。
喜多さんが、その心は、さみず(真水)。

鮫洲(さめず)にかけたんだね。

鮫洲は古くから漁師街で御林町と呼ばれ、目の前の海岸でここで採れた魚は将軍に献上さてたと言われます。

鮫洲は懐かしい地名です。

左海側にへの道を行くと「鮫洲運転免許試験場」があり、まだ独身の頃に

免許更新で何度か来たことが有るんですが、街並みなどは全く思い出せません

でした。(今は地元警察署で更新ができるので楽ですね)

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右手京浜鮫洲駅隣りには、鮫洲八幡神社がありました。

創立の年代はさだかではないが、寛文の頃(1661~1672)には、すでにあったと

されています。

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ちょと愛嬌もん顔の狛犬君も社殿を守ってます。

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街道に戻り500mほど進むと右手に、安政三年(1856年)の創業で

幕末には坂本龍馬山岡鉄舟も立ち寄ったと言われる蕎麦の老舗「吉田屋」

が今も商いをしています。お昼の時間であれば寄っていたでしょうね。

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そば処吉田から約300m歩くと京急立会川駅入口。

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右折して進むと、駅手前の右側公園に坂本龍馬像が建ってます。

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江戸時代、旧東海道から海沿いの地域に土佐藩の鮫洲抱屋敷のあった。

土佐藩は黒船来航時、防衛のため屋敷内に砲台を築き、剣術修行で江戸へ出ていた

龍馬が砲台要員として加わったと言われます。

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旧街道に戻り右折して先に進むと、立会川に架かる、なみだ橋として有名な浜川橋。

この先の鈴ヶ森処刑場へ曳かれる罪人と家族の別れ橋。

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橋を渡り先の十字路を左へ海側へ行くと、大井競馬場があります。

浜松町から羽田空港へ向かうときに右手に見えますね。

先ほど渡った、なみだ橋(浜川橋)のいわれももう一つの説は、この大井競馬場にまつわるんです。

大井競馬場へ行くにはこの橋を、当たり馬券をを夢見て渡り、はずれ馬券を握りしめ

しょんぼり渡る涙橋」ははは・・なみだ橋だ!!
競馬場から駅までの道をオケラ街道といって、ものすごく安く飲める露店がたくさんあるとか。

そこから南側一帯に、東西に長~い「しながわ区民公園」が広がっているようで、

左に入口を過ぎて、150mほど行くと国道15号(第一京浜)と合流。

合流手前の小さな森一角は・・・・  
火炙り刑の「八百屋お七」!刺殺刑の「丸橋忠弥」!そしてご落胤騒動「天一坊」。

そうなんです、怨霊漂う「鈴が森刑場跡」

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鈴が森刑場のすぐ先は、旧道と国道の合流点。

この先はしばらく国道歩きですが・・・・・

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先ほど通って来た「しながわ区民公園」入口で、

あら!「しながわ水族館」が有るよ!!
「寄ってみようようよ!!」の言葉が有って
予定は川崎宿へ渡る「六郷橋」まででしたが、なんと旅は中断、

まだ午前11時だけど・・まあ、いいや〜・・・・・・

 

鈴ヶ森刑場跡から国道を少し進むと「水族館」入口。

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少しお腹がすいたね〜で、水族館レストランでサラダバーで小腹を見たし

まずは館内へ。

水族館は楽しいですね。神秘的な「クラゲ」更に巨大な鮫やウミガメ。

日曜とあって、お子さん連れの家族で大賑わい。

カミさんも半も童心に還って・・・・・

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アシカショーも楽しんで時計を見ると、もうPM1:00が過ぎている。

所用のため帰宅へのタシムリミットが有るので、名残惜しいけど水族館を後に。

京浜急行大森海岸駅」側の牛丼屋で、新めて遅めの昼食。
二人でこの手のお店に入るのは初めてで、何故か?いただいたのは「豚丼」。

すっかりカミさんがお気に入り、また機会が有ればこれにしようね、て。

京浜急行「大森海岸」PM 1:53発にて帰宅へ。

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電車を乗り継ぎAM4:00、地元駅帰着。

買い物をすませてPM5:00、時間内に無事帰宅、

第二歩、旧東海道・おのぼりさん歩を終えました。

 

またいつの日か旅へ・・続きます。

思い出旅 おのぼりさん歩 旧東海道夫婦歩き旅 旅立ち

某新聞社が配布した安藤広重の額絵「東海道五十三次」。

そして、ポン友が歩いた道中話。

 

ふっと、口にした何時ものセリフ。

「行ってみるかな〜、やってみるかな〜 」  

        「 いいよ〜・・」

思いついたが旅立ち、てことで歩く事にしました。

3月にはいると、暫くは二人で家を空けるのは難しくなります。

よ〜し、まずは第一歩!!と意気込んだら、旅立ち直前にキャンセル待ちで

申し込んでいたツアーにキャンセルが出て蔵王2日間のツアーへ。

ツアーから帰ってきて、気持ちも新たに仕切り直し。

歩ける日の制約があるので年に何回歩けるか・・
でも思いは遠大?に、4年計画です。

4年後は、半は喜寿、カミさんは古希を迎えます。
最終目的地は「京都 三条大橋」、祝美酒乾杯を迎えたい!!

2013年2月23日(土)

穏やかな天気に恵まれて、第一歩を踏み出します。

駅近くの公園脇道に車を止め(土日祭は駐車OK)、頬を刺す冷気もなんのその、

朝日に見送られて駅へ。

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電車を乗り継ぎ新装なった東京駅丸の内口へ。

通路をくぐって八重洲北口、

AM8:00過ぎに日本橋に立ちました。
まあ、先は長~い、のんびりゆっくり夫婦旅。

いざ出立!!

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お江戸日本橋、七つ立ち・・・(今だと午前四時かな)とはゆきませんが

2月23日(土)午前9時、かっての大江戸の中心地、日本橋の旅立ち。

まずは2里18町(9.8Km)先、第一番の宿場・品川宿へ向かいます。

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現在はあの東京オリンピック時に、突貫工事の首都改造では橋上を高速道が走り

江戸情緒風情は全く無し。

とはいえ、橋の道路真ん中には「日本国道路元標」が埋め込まれており、

ここが今も日本の道路の起点であることを実感しますね。

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日本橋は、徳川家康江戸幕府を開いた慶長8年(1603年)の架設と言われ、

幕府は東海道をはじめ重要五街道の起点と定めています。

橋詰には高札場や、関東大震災後に築地に移転するまで魚河岸があり、

まさに江戸の中心として賑わったと言われます。

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日本橋は幾度か架け替えられ、現在の橋は明治44年(1911年)にかけられてます。

日本橋からは国道15号中央通り、京橋、銀座、新橋と日本一の繁華街が続きます。

右手に八重洲中央口への道を見送り進むと、日本橋と同じ時期に架けられ、

いまは埋め立てられて名だけ残る京橋です。

付近は江戸歌舞伎発祥の地、でもあるんですね。

橋の擬宝珠を模した交番が風情を添えてます。

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京橋を過ぎると、江戸時代に設立された銀貨幣の鋳造所が由来の銀座通り。

すっかり足が遠のいてしまったが、札幌から転勤で来た勤務先が東銀座だったので、

この界隈は懐かしい。

カミさんと、四十年ぶりかの銀ブラになりました。

四丁目から、ちょっぴり足を延ばして思い出寄り道小道。

まもなくこけら落しの新歌舞伎座

(勤務は歌舞伎座の近くでした)

あなたを待ってば、雨が~降る~・・・昔は日劇の有った有楽町。

ははは・・久しぶりに腕を組んでの銀ブラでした。

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当時から超人気の有楽町宝くじ売り場、

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街道(銀座通り)へ戻ると汽笛一斉新橋。

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40年の空白はまさに今浦島。

行く手を遮るように大きなガードが現れます。

これはゆりかもめの新橋駅が国道の上にあり、ゆりかもめに乗ると

レインボーブリッジを越えお台場や国際展示場へ行けます。

 

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大きく変貌した汐留、新交通のゆりかもめ

ちょっぴり風情を残していた、新橋駅そばの東海道線ガード街を見て

抜けるとそこは芝。

ここの東海道は、国道1号ではなくって第一京浜と言う名前の国道15号。

右手奥に芝居などで知られる「め組の喧嘩」由縁の芝大明神。

ちょうど神前結婚式は始まるところでした。

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 いいですね~、なにかほわっとした幸せをいただいた感じ。

お幸せに!!

左手浜松町駅入口。

右手は芝大門

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門をくぐって真っすぐ進むと、600余年の暦を持つ、浄土宗の七大本山の一つ、

徳川将軍家菩提寺「三縁山広度院 増上寺」の惣門(三解脱門)は国重文。

国宝の指定を受けていたが戦災で焼失の二代将軍秀忠、六代家宣、七代家継などの

御霊屋があり、6人の将軍と皇女和宮などが埋葬されています。

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わが家の宗派本山でもあるので、旅の無事を願いお参り。

広大な境内を前景に聳え立つ東京タワー。

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東京タワーは昭和32年6月の着工で翌年33年12月竣工ですから、

工期1年半と猛烈なスピード建築ですね。

受験で上京した折、国電から鉄骨組のタワーが見えていた記憶が・・・

学生時代には展望台まで歩いて昇ったこともあったな~

(今は大展望台までも歩いて昇れるようです)

カミさんに聞いたら昇ったことは有るはずだけど・・・

で、高いところ大好き夫婦は足を延ばします。

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のんびり銀ブラを楽しんだり、あちこち寄り道で、タワーから街道へ戻ると

もうお昼です。

増上寺への参道沿いのCaféで昼食に。

店内は圧倒的に外国の観光客が多く賑わってましたね。

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大門に戻り浜松町を西へ進みます。

浜松町は江戸時代初期は門前町でしたが、遠州浜松出の権兵衛が名主となって、

浜松町と改められたとか。

少し進むと首都高が頭上を横切る金杉橋。

橋下を覗けば屋形船が所狭しとばかり並んでいます。

南へ古川を下ればすぐに日の出桟橋などの有る東京湾
昔は江戸前の海で、カレイや黒鯛が採れる漁村でした。
金杉橋と言えば思い浮かんだのは、平岩弓枝さんの小説「御宿かわせみ」ですね。

島送りになる罪人の様子が描かれた中に、

大罪を犯し遠島へ流され二度と江戸の地を踏めないものは永代橋から船が出て、

罪が軽く江戸に帰ってこられる罪人を乗せた船はここ金杉橋から出た

とありました。

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橋を渡って、「えっ、まだ一里か!!」

そういえば一里塚は?ですが江戸より1番目の金杉一里塚は跡形も無しで

位置不明なんだとか。

まだ江戸府内、高輪大木戸の内側になるので、設置されてないとの説がありますが、

それの方が正しいかもしれませんね。

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 芝4郵便局を過ぎると、道路左側近代的ビルの一角は元薩摩藩蔵屋敷跡。

江戸城無血開城に導いた西郷・勝の江戸開城会見之屋敷で碑が建てられてます。

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左手に田町駅をみて先の歩道橋の有る交差点が元札ノ辻。

後の高輪大木戸に移されるまで高札場が有ったと言われます。

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しばらく歩むと江戸府内外の境、高輪大木戸跡。

今でも幅5.4メートル、長さ7.3メートル、高さ3.6メートルの

巨大な東側の石垣だけが残されている。
付近は風光明媚な海岸線で茶屋も多く立ち並び、旅立ち見送り、迎えの人々で

賑わっていた。

当時は、明け方六ツ(朝6時)に開き、暮れ六ツ(夕方6時)に閉じて、治安の維持と交通規制の役割を果たしていました。

 

 

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後で大木戸跡碑を思い出しましたが、気が付きませんでした。

(道を回り込まないとみられないようでしたね)

~高輪夜明けて提灯消す こちゃえー こちゃえー」 と謳われ昔はこの辺で

夜明けを迎えたようですね。

ということは茶屋なども早朝営業だたのでしょうか?

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大木戸跡を後にして江戸を離れたが、全く旅の感慨に浸るもの無し。

交通量激しいビル街をたんたんと進み、街道から右へ200mくらい入ると泉岳寺

 

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泉岳寺といえばご存じ、超有名な赤穂浪士の打ち入り。

「のおのがた、討ち入りでござる!!」

むか~し、修学旅行の時にフリータイム時に寄った記憶が??定かではなし。

カミさんは初めてというので、お参りに。

四十七士のお墓があることで、参拝のお焼香の煙が絶えません。

「桶から柄杓でぐい~と一気飲み、さあさあ韋駄天、高田馬場へ・・・」

ご存じ安兵衛、高田馬場の決闘・・でしたが、ずいぶん後になるまで安兵衛が

赤穂藩に仕え、四十七志に名を連ねたとは知りませんでした。

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 再び街道(第一京浜)に戻り約1kmほど進み、信号で南側にわたると、

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左手は港区にありながら、駅南口の大変貌をした品川駅。

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品川駅から京急の高架内沿って緩く坂道を進むと、街道は国道15号(第一京浜

と左手に別れ、京急線路と平行にJR線の跨架橋(八ツ山橋)を渡ります。

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八ツ山橋を渡って下るとすぐ右手の道へ分かれ、進むとすぐに

京浜急行の踏切。

踏切を渡って先が第一番宿場町・品川宿と続いてゆきますが、・・

私達の旧東海道五十三次、第一歩はここで足止まりです。

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(緑線が品川宿

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まだまだ先は長~~い・・・・

ゆっくりのんびり、歩ける内に歩けるときに・・

 おのぼりさん歩、第一歩でした。

またいつの日か、旅は続きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出旅 おのぼりさん歩 旧東海道 プロローグ

ただ黙々と周りの人々の流れに合わせるように
橋を渡り切り、京都三条大橋西詰親柱に到着です。

橋の左手で東海道の主役「弥次さん・喜多さん」像が
迎えてくれてます。

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「歩けた〜〜・・」「よかったわね、歩けたわね・・・」
おもわず手を取り合って、無事の完歩を喜びあいました。!

一時は諦めていた旧東海道五十三次、夫婦歩き旅。

3年4か月を掛けて、日本橋から126里余(約495キロ)、

53の宿場町を通り、2016年6月18日、午後2時51分、
京の都へ無事到着することができました。

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東海道を歩いてみようと思い立ったきっかけは、2012年に某新聞社が読者へ

配布した、歌川広重の浮世絵「東海道五十三次」の額絵でした。
年が明けて1月の中頃、コピー機でスキャンし、デジブックアルバムを

作成しながら、ポン友が、3年ほど前に通しで歩いた話を思い出してました。
「しんどかったけど、とても素晴らしい旅だった、お前も歩いたら・・」

て勧められてました。

東海道か~・・歩いてみようかな・・・・
カミさんに話したら「いいよ〜面白そうね・・・」て。

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よ~し!思い立ったが・・・・動ける内に歩ける内に・・と早速下準備。

2月9日を旅立ちの日に、・・

と決めていたら、キャンセル待ちで1月の中頃に申し込んでいたツアーに

キャンセルが出て、なんと急遽ツアー参加へ。

昨年夏にスイス旅をしてから、なんどか山を眺めに乗鞍、白馬八方、白馬栂池

などへ行っていましたが、雪山へも行きたくなって申し込んでいた冬の蔵王ツアー

でした。

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そしてツアーから帰って仕切り直し。

3月にはいると、暫くは二人で家を空けるのは難しくなります。

よ〜し、まずは第一歩!!と、綿密な計画は無しに、2月23日に日本橋を出立へ。

歩ける日の制約があるので年に何回・・でも思いは遠大?に、4年計画です。

4年後は、半は喜寿、カミさんは古希を迎えます。
そうなんです、最終目的地は「京都 三条大橋」で祝美酒乾杯を迎えたい!!

 

旅立ちへ・・

 

と、2013年2月~2016年6月の旧東海道夫婦歩き旅を中心として、

ちまちま綴ってゆきます。

2000年に第二の人生がスタートし、早17年。

間にはアットランダムに「思い出旅」も挟んでゆきたいと思います。

 

 

 

 

 

 

思い出旅・2012年 スイス エピローグ

2012年7月19日 AM7:55  成田空港 着
    AM12:30 無事に猛暑の街ちに帰って来ました。

 

スイス9日間の旅を終えて2週間。

何気なく見ていたTVの旅番組で映されていた、北アルプスの山並み。

急に山が恋しくなり、

少しは涼しいかな?久しぶりに上高地乗鞍岳へ行こうか!

となれば話は早い。

8月4日、車中泊の支度で早朝5時に出発し、上高地へのバス乗り場、沢渡へ。

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10分ほどの待ちでバスに乗車、上高地入り。

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終点手前の大正池で降りて、久しぶりの上高地散策へ。

驚くほどのお隣さんの国の言葉が飛び交っている。

大正池、焼岳

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雄大な穂高連峰に抱かれた、標高約1,500メートルの上高地

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おや、スイスよ!の声に見る立て看板。

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スイス・アルプスを思わせる赤い三角の屋根と丸太小屋風の建物、

上高地帝国ホテルでした。

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ラウンジもレストランも大勢の待ち客で、入りませんでしたが、

つい先日まで行っていたスイスの風情を思いだしましたね。

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久しぶりの上高地を後にし、沢渡から乗鞍高原へ向かいます。

乗鞍岳は現在はマイカー乗り入れ禁止です。

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登山バス発着所の、乗鞍高原観光センター前の駐車場で車中泊

f:id:hansui:20170314132222j:plain午前3時半発、ご来光バスに乗車して2700m、畳平へ上ります。

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九十九折りの急坂、右に左に大きく揺れながら、ぐんぐん高度が上がります。

森林限界を超えると深紅の地平線。

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標高2700m、畳平入口で下車、

10分程度の登りでご来光が見られる、大黒岳(2772m)へ登ります。

正面に穂高連山、左手に槍ヶ岳。連なる峰々は北アルプス

はるか遠くに望めるのはは白山かな?

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ご来光は八ヶ岳方面から昇ります。

夏とはいえ標高2700m、厳寒の夜明けです。

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朝陽に染まる、

左、三角の突起が、乗鞍岳主峰、標高3026mの剣ヶ峰

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朝陽に染まる魔王岳(2,763m)

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北アルプス穂高連山方面

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穂高連山(麓の雲海の下に上高地

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槍ヶ岳

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黄金の雲海

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向うへ下れば飛騨方面

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大黒岳山頂

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中は活火山、焼岳 右雲の下に上高地大正池

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来て良かった~の帰り道

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高山植物の女王・コマクサ

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この下に畳平のゲートが有る。(昔は午前7時開門でした)。

手前で2度ほど車中泊をしたっけね。

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中 主峰・剣が峰(3026m)5年ほど前に登ったね~

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左、富士見岳(2817m)右、摩利支天(2872m)

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標高2702mの畳平ターミナル

15年前にマイカーで初めて訪れた。

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畳平ターミナル

(熊騒動を思い出しますね)

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素晴らしいご来光に心も温まり、シャトルバスにて乗鞍高原へ下り、

再び猛暑の街へ帰ります。

 

END