歩いて再び京の都へ 旧中山道69次夫婦歩き旅  第32回 大湫宿~御嵩宿 (一)

*ひょいと歩き出した東海道五十三次
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらもカミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです*

 

10月19、20日の街道旅、

旅の最後に思いがけない激しい雷雨。
アンハッピーの〆になるところでしたが、温かな人情に触れ合った、
なんとも心がほわ~とした、いい旅路の終わりになりました。
重ね重ね、ありがとうございました、嬉しかったです!!
また、いつの日か旅の続きは大湫から、訪れるのが楽しみです”

と、第31回の旅が終わっています。

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11月に入ってすぐに、9日(金)の午後から11日(日)にかけて都合がつき、

天気もよさそう。

うまい具合に金、土の宿も空きを見つけ予約も入れたが、なんとその後

歩く10日に雨マークが・・・・

様子見と宿はキャンセルしないでいたら、田舎の高校同級生二人の訃報。

「元気なうちに、歩けるうちにでしょう、小雨くらいだったら行きましょう」

とカミさんが宣い、予定とおり雨でも今回は行くぞ~と大決心?・・

  ”旅立ち決定!!”

 日がたつにつれて、10日は嬉しいことに雨マークがなくなり、

曇りから晴れ、降水確率0%に。 

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 9日(金)、カミさんの午前のパート仕事を終えて、時折の小雨降る中央高速で

一路岐阜県土岐市のホテルへ走り投宿。

開けて10日、ホテルの窓からみえる周辺の山並みは濃霧の中。

地元TV天気予報は終日の快晴、気温は高くなりそう。

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 ホテルの朝食をしっかりいただき、土岐駅から釜戸駅へ。

釜戸駅には、事前に配車頼み済のタクシーがすでに待機していて、

山道を上り、突然の大雷雨に襲われ、慌ただしかった前回足止めの、

杉の緑と銀杏の黄に彩られた大湫・神明神社前到着。

 

 11月10日(土)AM8:37、32回 中山道歩き旅立ち。 

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あらためて参拝し旅の無事をお願いして、芳名録にも記入させていただきました。

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樹齢1300年といわれる県指定天然記念物「大湫神明神社の大杉」の神々しい

までの姿を、あらためてじっくりと見上げます。

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こちらの案内では、幹回り約10m、直径約3.2mとある。推定60mだった樹高は

3度の雷にあい40mとなり、落雷の傷跡が残ったような柱の梢の姿となってます。
「杉」が大きすぎてカメラにゃ収まらない!

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鳥居の横に「文化四年(1807)」の文字が見える灯篭があり、
大杉の根本には、水不足の際に掘って水が湧き出たという二つの泉があります。

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神社隣の、前回の旅の終わりに大変親切にしていただいた方の家に向かって、
ありがとうございました、と心のあいさつをして足を進めます。

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神社の向い左手に、屋根に覆いをかけてたのが旧森川善章家住宅(通称:新森)で、

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向かい右手、が西森川家(通称:西森)で、 前回立ち寄った大湫宿の観光案内所、

お休み処のとして活用している、「旧森川訓行家住宅(通称:丸森)」と新森との

本家になるそうです。

 

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前回立ち寄った、通称:丸森 大湫宿の観光案内所

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西森川家(通称:西森)についての大湫宿資料によれば、

「森川家は、江戸時代の天保年間には名字帯刀を許された家柄で、幕末からは大湫

 宿領主のひとつである千村家の御用商人として酒造りや販売を行うほか、塩の

 専売も行って発展した。現在、母屋は取り壊されていますが、離れや複数の土蔵

 が残されており、これらの建物は、幕末から明治、大正時代までに建てられたも

 のとみられ、旧大湫宿の歴史的な景観を伝えています。
 今はひっそりしたこの街道と、この大湫に活気を取り戻そうと、地元では
 いろいろな取り組みが始められている。
 その一環として、「丸森」の整備を行い、今はこの西森川家住宅(通称:西森)

 と 旧小木曽家住宅(通称:米屋)の活用方法などの活用事業を始めてる。
 また、特産物づくり、女性による企業グループの育成、高齢者による土産物づく

 り、都市生活者とのふれあい等々も始まっている。」とあります。

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神明神社から約20m歩くと、左側に山車蔵が建っていました。

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大湫から今日の足止め予定地「御嵩宿」までは約18kmと長距離のうえ、
中間に適当な鉄道接続駅がなく、この時期の日の短さもあって、日のある内に

たどりつけるかで、我ら亀足旅人にとっては難所の一つなんですが、今日の旅は

秋雨後の快晴の空の下、いい旅のなりそうです。f:id:hansui:20181112100416j:plain

真っ赤な紅葉の 右手に上がる石段があり、台上に大湫観音堂がありました。

街道書には、道中安全、病気全快ご利益などと信仰され「大湫に過ぎたるもの

二つあり、神明社の大杉と観音層と謳われた」とあります。

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古記録には、

「かつては東方に所在する神明神社の境内に観音堂が建てられていたこと、

享保6年(1721年)に現在地へ移されたこと、文政7年(1824年)の大火で焼失した

こと、弘化4年(1847年)に再建されたことなど」が記されているそうです。

案内板には、

「弘化4年の観音堂が再建された際に、恵那郡付知村(現・中津川市)出身の画人

 で、美濃・飛騨をはじめ尾張三河信濃など広範囲にわたって活躍した

 三尾暁峰が絵を描いた」とありますが、外が明るすぎるため光がガラスに

 反射し、 薄暗い天井の絵柄はよく見えません。

 お盆の時期には、人数限定だそうですが、扉が開かれ見ることできるようです。

 (パンフから拝借では、こんな絵だそうです)

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境内にはたくさんの石仏石塔が立ち並び、芭蕉句碑も文字は風化して読めませんが、

   「花ざかり 山は日ごろのあさぼらけ」とあるそうです。

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観音堂のすぐ先右側には、平成10年に歴史の道整備事業の一環として往時の姿が

再現された高札場が建ち、大湫宿の出入り西口(京方)になります。

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(尚、現存する10枚の本物の札は宿内の市役所大湫連絡所に掲げてあるそうです)

 AM8:56、美濃国中最高所の宿場でもある大湫宿を離れ、次の宿場町

 「細久手宿」1里18町(6.5km) へ足を進めます。

 

 高札場の先でY字路分岐になり「琵琶峠・1.4km」と記された東海道標が建ち、

街道は右方向に向かい、左手は前回タクシー利用で山を下って向かった釜戸駅

続きます。

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分岐から少し進んだ左側に、「嘉永7年(1854)に土橋から石橋に架替えられた」

と記された標柱と、道の両側に石の欄干のみの「紅葉洞の石橋」が一部が残されて

いました。

なんの由来かと思ったら、皇女和宮もここから紅葉を愛でたという、

紅葉の綺麗いな所だったうですが・・紅葉はいずこ?

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 紅葉洞の石橋から約10m先の左側に、二つの大石の上それぞれに

「小坂の馬頭様」が祀られてます。

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先で道は県道を少しだけそれて右手に入ると、

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先には四阿のある休憩所があり、「中山道大湫宿 大洞・小坂」と刻まれた碑、

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右手は木々の奥に「大洞の馬頭様」が祀られてます。

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中山道大湫宿 大洞・小坂」の碑には、

安藤広重画木曽街道六十九次の大湫宿の絵はここから東方を描いたものである」

 と刻まれている。 

浮世絵の左手に描かれているのは、「大湫の二つ岩」でこの休息広場の少し先に

あります。

(昔は大久手と書いたのでしょうか。「湫」、「久手」とは低湿地の意味の

 ようです)

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その先に大湫の二つ岩があります。

安藤広重の絵にも描かれた、手前が母衣岩(ほろいわ)、先にあるのが烏帽子岩

(えぼしいわ)の順で並び、間に太田南畝「壬戌紀行」描写の石碑が建ってます。

資料によると、

「道の左にたてる大きなる石二つあり 一つを烏帽子石といふ 高さ二丈ばかり幅は三丈にあまれり また母衣石といふは高さはひとしけれど幅はこれに倍せり いづれもその名の形に似て 石のしましまに松その外の草生ひたり まことに目を驚す見もの也 大田南畝 壬戊紀行」と記されてるそうです。
 また岩の形から「夫婦岩(陰陽岩)」とも呼ばれ、中山道で有名だったそうな。

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 「大湫の二つ岩」を過ぎると左手が大湫病院で、右手の使用されてないような

建屋の前に、うん??福沢諭吉・・

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右手の雑木林の岩石は、スッパと切り取ったような巨大な一枚岩のように

見えました。

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ゆるい坂道を行くと、

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この先ので、新しそうな「琵琶峠」パネルや道標が建つ石畳の上り道が

右に分岐し、これが中山道「琵琶峠」の東上り口です。

(ウォーキングイベントが催されるのか、赤い道表示パネルやパラソルの下に

 数字のスタンプが置かれ、その後も何か所かで見かけましたが、それらしき方に

 は 会いませんでしたね。 終わった?明日かな? )

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「琵琶峠は標高558m、全長約1km、高低差は西側83m、東側53mで、

中山道の難所の一つに数えられていました。
峠からの眺望は良く、太田南畝(おおたなんぽ)の「壬戌紀行」や他の多くの

文献にも書かれています」と街道書にあります。

 石畳に入ると、琵琶峠石碑があり、石碑を挟んで文化11年(1814年)に

建立された「馬頭観音」「-身代わり観音」が祀られています。

瑞浪市資料には、「身代わり観音は、大垣の大店の娘が、琵琶峠を通った時、

山賊に襲われそのとき身代わりに なって斬られ娘を救ってくれた。 その話を

聞いた娘の父が、もう一体寄進し、斬られた観音は傷跡を補修して 二体ならんで

祀られている」とあります。

昔は山賊の出るような峠だったんですね。

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手前に琵琶峠の解説パネルもたてられてます。

「約730メートル続く石畳は日本一長いといわれており、往時の面影を残す

 道標・石仏・一里塚も現存しています。

昭和45年には江戸時代の石畳が約500メートルにわたり確認され、

平成9年度~12年度に「八瀬沢一里塚」などとともに整備が行われ、江戸時代

の姿に復元されています」など記されてます。

「琵琶峠」の名前は、昔、京都へ琵琶の修業に出ていた法師が、
修業がままならず、失意のうちに帰国する際、この峠に吹いて
いた松風の音で奥義を悟った事に由来するとか。

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石畳は平たく実に歩きやすいが、登り坂、雨後でもあり滑らぬように一歩一歩、

足を進めると、すぐに汗ばむくらいになり上着を外します。

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 しばらく登ると、ベンチが置かれた休息所がありました。

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もうしばらく足を進めると、石畳道は右手に切通しを抜けて行き、峠の頂に

差し掛かったようです。

左手に道標を兼ねた標柱が建ち、琵琶峠見晴らし台へを示してます。

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 街道を離れ見晴らし台へ上がる途中右手に文学石碑があり、資料によると碑は
中山道琵琶嶺 千戌紀行 木曽路名所図会 秋 里離島 著
中山道琵琶峠 新撰美濃志 岡田文園 著 1830~1860年
中山道琵琶坂 打出浜記 烏丸光栄 卿 1746年
の三基だそうです。f:id:hansui:20181112203659j:plain

 琵琶峠の見晴らし台は、樹木が茂り遠くは霞がかかっていて望遠は利きません。

周りをさっと見渡して、文学碑を右手に回り込んで別道で琵琶峠へ下ります。

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峠頂上へ下ると、ちょうど細久手・大黒屋へ宿泊したという、欧米系ハイカーに

出会い、峠には宝暦13年(1763年)に建立された馬頭観音像と、
皇女和宮の歌碑、
「 住みなれし都路出でてけふいくひ いそぐもつらさ東路のたび」

    があり道はここから下り坂の石畳道となってゆきます。

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下り坂の前方に見えていた丸い小山は、瑞浪市の史跡に指定されている

江戸へ91里、京都へ43里の「八瀬沢一里塚」、「琵琶峠の一里塚」とも

呼ばれ、両塚を残しています。

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一里塚のあるこの琵琶峠は、けわしい反面景色にも恵まれ、江戸時代の旅日記にも

峠からのことが多く書かれて中山道の名所の一つにも数えられていました。

瑞浪市には、八瀬沢一里塚のほか、通ってきた権現山一里塚、この先にある
奥之田一里塚、鴨ノ巣一里塚と連続して4つの一里塚が往時の姿で残っている。

(歴史の道案内板記載)

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石畳を下っていくと、右手から岩清水が石の小さな水受けに流れ落ちてます。

水場?動物の水場かな・・

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すぐ先で左手にトイレが設置された舗装道路と交差し、石畳が埋め込まれた道を

横断します。

脇の苔むした石に「中山道案内図」「解説文」や「木曽路名所図会」の琵琶峠を

写した金属板が貼り付けられてます。

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 下りると大きな石の石畳はざれ道に替わり、さらに下ると前方が明るく民家が

見えてきます。

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立場であった旧やせ沢村(八瀬沢集落)に入り、民家の庭先を通り過ぎると

道標が建ち、その先車道への合流地に石碑が建ち「中山道・琵琶峠西上り口」と

あり、碑には琵琶峠に関係したらしい三首の句が刻まれていました。

* 琵琶峠 足の調子は あわれなり

* ゆく春の うしろ姿や 琵琶峠

* 雲の峯 加えつ 四っの 糸にしき

 (街道資料より)

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中山道の美濃・近江両国のうちで一番高い峠は終わり、道路両側の田圃の緑が

美しい県道65号に合流して、緩いアップダウンはあるもののほぼ平坦な道となる。

おや、ソバの花、違うかな?

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 八瀬沢集落を抜けて行くと、遠くの林の方から「あれ、鶏の鳴き声!」

だんだん県道65号は山道へ入って行くと、けたたましい大合唱。養鶏場が右手に

ありました。

時の声?腹減った?・・カミさんは、「腹減った!」に・・

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 少し先で変則四差路があり左手に道標、右手に北野坂の廻国記念塔と記された

標柱が建ち、木々の奥に日本全国66カ国を巡礼し、1国1カ所の霊場法華経

1部ずつ納める行脚僧、廻国行者「六十六部」の安永6年(1777年)建立の

記念塔がありました。 八瀬沢集落に行者が住んでいたのでしょうか?

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変則四差路は道標に従って左手に道を取り進むと、開けた両側にログハウス風の

「国際警察犬訓練所」というのがあり、ドスの利いた何匹もの大型犬の吠え声が

 鳴り響いてます。

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 枝垂れサクラの立つ北野バス停を過ぎ、道標を見ながら登ると、

右手に一っ家茶屋跡の標識だけが建ってました。一軒だけ茶屋があったそうな。

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さらに5分ほど明るい道を行くと天神前バス停があり、木造のバスの待合所脇に

享保13年(1728年)建立の「天神辻の地蔵尊」がありました。

街道書にによると「浄信妙清信女」と刻まれているそうです。

戒名を持ったお地蔵さん?

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気持ちのいい焼坂と呼ばれる街道を、しばらく淡々と進みます。

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坂を登り切った右手に、三面六臂の「焼坂の馬頭観音像」が祀られていました。

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ほぼ平坦な雑木林の明るい街道を、木々の秋を楽しみながら足取り軽く進みます。

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右手からの東海自然道を合わせ、その先左手に天神坂標柱標柱を見送り、

ゆるゆる坂を下ります。

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坂を下りきると大きく開けて、右手街道脇に池が現れます。

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案内板には「弁財天の池」とあり、

「山丘でありながら、いつも水をたたえているこの池は、古くから旅人にも

 愛されていました。

 蜀山人も「左の方に小さき池あり、杜若生い茂れり、池の中に 弁財天の宮あり」

 とその旅日記に書いています。」とあり、丘陵にありながら

 いつも水をたたえ、カキツバタジュンサイの自生地でもあるようです。

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池には小島へ石橋が架かり、天保7年(1836年)に再建されたという石祠内に

天文5年(1536年)建立の弁財天像が安置されています。

通常は琵琶を持った弁財天だが、なんと、祀られtるのは

「一面八臂(はっぴ)の弁財天」でした。

一面八臂(はっぴ)の弁財天は、東京上野の不忍池にお祀りされてるのが、

よく知られてますね。

年に一度しかご開帳がなく、なかなか拝顔できないそうですが。

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池傍の紅葉のしたで、水分補給で小休憩。 

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続きへ、