予報は曇りだが、雨は大丈夫、行ちゃいましょう、で5月26日(日)、
先週に続いて甲州街道へ。
電車を乗り継ぎ前回足止めした中央線高尾駅。
AM10:30 甲州街道10回目の旅立ち。
JR高尾駅
この駅舎は新宿御苑に造られた大葬用仮停車場の用材を使用し、現位置に建てられたと言われていて、文化財的価値のある建築

(デジカメが不具合が起き、明るさなどの調整が機能しなくなってしまった。
ISOなど調整しながらなんとか撮影なので見苦しいです。)
駅前を下ってすぐに国道20号(現旧甲州街道)
右手銀杏並木は八王子からの来し道。

旅は左手、小仏方面へ。


通り道の生垣、斑入り葉の柘植の生垣。
花が真っ盛りで、小さなかわいい桜型。

日本橋から51km、まだまだ先は長い。

路肩に咲く大きな赤い花は、もうタチアオイだね、
早い開花のような気がずるが、咲き上がりてっぺんまで咲くと梅雨が明けると
いわれてる。
梅雨入りも近いんだ。

駅前から15分ほど、南浅川を両界橋で渡り、中央線高架下をくぐります。
川は高架下を通り抜けて右から高架向側の左手へ流れています。
この両界橋は南浅川に架かる橋で、江戸時代から橋が架けられていたという。
この両界橋のすぐ上流で、高尾山の北側を流れてきた小仏川と南側を流れてきた
案内川が合流して南浅川となるので、両界橋と名付けられた、と街道書にあった。

ガード下に石仏。
付近の工事などで移転されたのかな、街道書には石地蔵とだけあった。


おつ、強いね~

5分ほど行き、西浅川交差点から国道20号線と分かれ右折して行くのが
東京都道・神奈川県道となる都県道516号・浅川相模湖線で旧甲州街道。
この道は神奈川県相模原市緑区の底沢橋付近の国道20号線に至る。
都県境の小仏峠を挟んだ前後の区間は山道になっていて、自動車の通行はできません。

ここからは左に小仏川、右にJR中央本線に挟まれた緩い登りの道となり、旧街道らしい雰囲気の漂う道に変わります。道路の両側には住宅が建ち並んでいるが、
前回同様杖は持参、一歩一歩行っくりと足を進めます。
「八王子市 高尾駒木野庭園」の文字が書かれた幟が立っています。
この高尾駒木野庭園は、隣にある駒木野病院の前身である小林病院の住居兼医院としての利用されていたもので、その後市に寄贈され平成24年4月に開園したという。
敷地面積2,900平方メートル(約880坪)の庭園は、池泉回遊式庭園と枯山水庭園、
露地(茶庭)から構成されている。
トイレ拝借を兼ねてちょいと一回り、ゆっくり腰を落ちtけて眺めたい庭園でした。


駒木野という文字が出てきましたが、このあたりが駒木野宿の江戸方(東口)と、
街道書に書かれていた。
庭園を後に、右手に続く駒木野病院の緩い上り道を前を10分ほど行くと
左手に新旧の地蔵尊。
道路を改修する時に、このあたりの旧甲州街道沿いに立っていたお地蔵さんを集めて
祀ったものではないかと思われる。


右端の石仏は庚申さんかな。

すぐ右手の更地に街道書には記載のない、令和4年に建てられた
『旧小仏関所番 川村家住居跡」の案内板があった。
川村家はこの地に関所が移転した当初、一人で関番を務め、その後も代々関番を務めた
と・・・とある。

駒木野橋を渡ります。

左手に橋の架け替えで旧橋が無くなったため、橋に嵌め込まれていた
橋の名前の表札が、記念に石碑に埋め込まれて保存されていました。

通りを挟んで向かい側は小仏関所の跡で、国史跡「小仏関跡」です。
甲州道中でもっとも堅固と言われた関所です。徳川幕府が甲州街道で重要視した
関所だったといわれるそうです。
小仏関所は武蔵国と相模国の国境、高尾山の小仏峠周辺に設けられ、
東海道の箱根関所、中山道の碓氷関所とともに「関東の三関所」とも言われました。
北条氏滅亡後の天正18年(1590年)に関東の地に入った徳川家康によって、
元和2年(1616年)現在地に移設され整備されたといわれています。


旅人は通行手形を「手形石」に並べ手付き石」に手を置いて待つ、という。
手形石、手付き石

敷地内に「甲州街道駒木野宿」と刻まれた大きな石碑のが立っていた。
天保14年宿村大概要によれば、
家数73軒、人口355人、本陣1.脇本陣1,問屋場3、旅籠12軒。
小仏宿と合宿で問屋業務を務めた、とあり、小仏関所の移転により併設された宿場で
あったようだ。
上宿・中宿・下宿に分かれ、甲州街道に沿って約10町(約1.1km)に渡って続いていた。
来る途中に通って来た小名路あたりが下宿、関所周辺が中宿で、これから通る
摺指(するさし)が上宿。本陣は関所の東隣にあり、脇本陣もその隣にあった、
ともある。
先の大戦における八王子大空襲より宿場はあらかた消失してしまい、
今は跡を示す案内板なども全くありません。
わずかに旧宿場の面影を残すのみになっています。

遠くに圏央道の陸橋が見えてきます。
道はますます細くなりますが、今日は日曜とあって、小仏峠行のバスや車の往来が
頻繁にあり、要注意です。
バスなどはすれ違いが困難なところが多く、時間を合わせてところどころで待機すれ違いをしてるようです。

緩い坂道を5分ほどの左手に地蔵尊や青面金剛像などの石仏石塔などが並んでます。

昔、鬼が住んでいて人々を襲っていたが、あるとき襲った老婆に持っていた念珠の
紐が切れ念珠が飛び散った。飛び散った念珠に鬼は足を取られ、坂下転げて大穴に
落ちてしまい、再び鬼は現れなくなった。と街道書にはあったが、大きな穴はどこだ?

さらに5分程行くと、右手の石垣の上はみどり幼児園(誤字ではありません)で、
元は小学校の分校があった、と街道書にある。

すぐ先街道左脇には小仏川の清流が流れていて川端の一角の祠に、付近から集められたかのように、石仏石塔が収められてます。
一番左手は青面金剛像(庚申塔)で、宝永3年(1706年)建立と街道書にあった。


緩い上り坂道が続き、

先ほど遠目に見えていた圏央道が近づいてきました。
付近は中央道と圏央道が交差する八王子ジャンクションでしょう。
マイカー時代は何度も利用していたジャンクション。
こんな高いところだったんだ。


さらに5分程、左手川沿いに古そうな平屋の建物は「蛇滝茶屋」で、
「旅籠ふじや新兵衛」と街道書にあり、高尾山の蛇滝信仰修行者の宿だったという。
軒下には無数の蛇滝信仰の講中の「講札」が掲げられていた。


すぐ先左手、川を渡る小道脇に。高尾山山中ある蛇滝への道標があり、判別しずらいが街道書では
「上行講 是よ蛇滝まで八丁」とあるようです。

茶屋の対面側には「いのはなトンネル列車銃撃慰霊碑」への案内碑です。
坂を登り進んだ奥に、第二次世界大戦末期、旧国鉄中央線いのはなトンネルに差し
掛かった列車が米軍機の銃撃空襲を受け、疎開の児童など52人以上が死亡、133人が
負傷した悲劇的な事件だの慰霊碑と街道書にありました。

高速高架真下に「高尾梅の郷まちの広場」があります。
一角の自然石の一つには「高尾梅郷」とありました。
小仏川沿いに点々と梅林がありましたが、まとめて高尾梅郷とよばれるそうです。


広場にはベンチやトイレ施設もあり、コンビニサンドで昼食足休め。
なんと1時間半でまだ2.5km、

ゆくり40分程足休めし再び街道へ。
広場の端に左手に川へ下る小道があり、道端には道標。
大きい道標は享和3年(1803年)建立で「是より高尾山道」と刻まれ、
小さのには蛇滝水行道場入口とあるそうです。

そういえば先ほどの広場にも小仏川を渡って対岸の高尾山の中腹(ケーブルカー
終点付近)に続く道が延びているそうで、多くのハイカーの行き来があった。
右手高く高架の高速道と家々が続き、左手下は小仏川、挟んで盛り上がる山は高尾山。
この辺りからも高尾山の中腹に続く道が延びている、と街道書に。


よく甲州街道旅記などのも出てくる峰尾豆腐店。
寄せ豆腐やおからドーナツで人気だそうだが、定休日だった。

上空には何羽ものトンビが輪を描く街道。

石塀の上の盆栽風に仕上げた花は、セッコクでした。

右手のお寺は曹洞宗常林寺と街道書にある。
境内に板碑があると記されてたが、石碑は見かけたがわからなかった。


川沿い草わらに? ブロンズ像の展示には見えないが・・??
川沿いの緩急の坂道が続き付近の地名は裏高尾。

緩い坂道を上ると街道書には小山神社とあるが、わからないまま通り過ぎたようだ。
足休めからゆっくり登て来て30分ほど、左手に浅川国際マス釣場があり、
けっこう大勢の釣り人が楽しんでいた。

右手から流れ下って小仏川に合流の木下沢を渡ります。
「きのした」はなく「こげさわ」と呼ぶんだね。

木下沢から右へ、道は大きくカーブの先端左手に、細い道が分岐せていて道標が建っていて、
「右小仏峠景信山」「左日影沢高尾山」とあった。

5分ほどで中央線のレンガ造りガードをくぐると先は。

駒木野宿と次の小原宿の間の、間の宿小仏宿です。

小仏宿に入って10分ほど、右手の民家前の小さな社は街道書にある稲荷社かな?
街道書にも社側にも何も示すのは無く,由来は不明のまま。

街道書には先き右手に甲府さんど飛脚の定宿・三度屋跡とあるがこの付近なのか?

隣の石垣上の屋敷は、旅籠屋「鈴木藤右衛門」跡のようです。
街道書にある「明治天皇御小休所」の石碑が葉陰になりながらかろうじて確認。
(手前の石ではなくフェンスの内側)

通り過ぎてすぐ右手がバス発着所で、高尾駅からのバス終点停留所。
「まもなく発車しま~す」のアナウンスが聞こえ、小走りにもならない走り方で
何とか間に合い乗車、歩き旅は足止めに。
初夏のシーズンの日曜日ともあって、バスは2台で運行。
なんとか座れてバスに揺られて高尾駅へ。

高尾駅から5km、まだ午後の2時と時間は早かったが、気温も上がり、
まあ、今の我々にはちょうど良い按配かな。
バス、電車と乗り継いで、夕4時半には帰宅。
先は一つ目の難所、小仏峠越え。
登山道並みの山道が続くようなので、どうするか思案のしどろです。