すっかりライフワークの街道歩き旅だが、年と共に足腰の衰えは如何ともしがたく
歩き旅続けられるかな・・・と思いながらも
「前にさえ足を出せれば、よたよたでも旅は続けられる。 旅立ってしまえば、
なんとかなるさ」と、気合いいをいれて令和5年1月4日(水)に
歩きはじめた甲州街道歩き旅。
今年6月にはふらふら左右にぶなれながらも 駒野木宿を経て
甲斐国と武蔵国・相模国を結ぶ小仏峠(標高約550m)の山斜面にへばりつく
急登手前で峠越えは 今の足腰では無理と判断 残念ながら足止め。

歩きは疲れてくると不調になると2年ほど前から感じていて
結果は 確定は出来ないが運動能力に障害がでる難病を発症する
可能性あり で当面経過観察通院となった。
可能な限り日常では体を動かし ライフワークとなって旧街道の歩き旅も
無理のないよう注意しつつも続けてくださいとのことたったが
こりゃ大難題!!
猛暑の夏 さすがに街道歩きご無沙汰でしたが 早朝散歩に切り替えて
少しは足腰の訓練?
ようやく秋風も立「そろそろいかが」とカミさんの声に押されて
令和6年10月15日(火) やってみるかと甲州街道歩きへ腰を上げました。
すこし早めに家を出て電車を乗り継ぎ 中央線で県堺は小仏トンネルで越えて
駅前よりバスにゆられて国道20号を東京(江戸)方面へ2km10分ほど戻り
底沢バス停へ下車。
下車した国道20号(現甲州街道)バス停の直ぐ先に 左手山側から小仏峠を
越えてきた旧甲州街道が合流するので 峠越えをしたつもりで出発。


今日は少しは助けになるかとステッキ使用。
相変わらず左右に揺れ おぼつかない足取りだが ゆくり国道20号を北へ。
底沢橋を渡ると、「大月へ31km、相模湖へ1km」の道路標識があり
先に国道20号で東京より63kmの表示。
まだまだ先は長いね・・・



「甲州街道小原宿 これより2町半」と書かれた木製の標柱があるそうですが
どこ?

300mほど行く国道の右側 道を隔てて「相模原市 小原の郷」の看板、
その隣に甲州道中歴史案内板が建っている。
この施設は資料館として小原宿や相模湖地区の歴史が知ることができる
諸々の展示がされていて、休憩所としても利用されていそうだが まだ開館前の様子で
立ち寄り無し。
この小原の郷のある場所は小原宿の東端の位置にあたり東口(江戸)という。


街道書によれば
「相模湖町内には甲州街道が東西に通っていて、江戸より13遍目小原宿と
14番目の与瀬宿 2つの宿場が置かれていた。
江戸時代の小原宿は難所である小仏峠の甲府側に位置するため、重要な宿場だった。
天保14年(1843年)の記録によると
人口275名、総家数61軒、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋7軒。
宿場の規模は小さいため、隣の与瀬宿と2つで1つという宿場だった。
この宿場を利用できるのは江戸方面から甲府方面に向かう旅人や荷物だけだった。
明治28年(1895年)の大火で家並みは灰塵の来した」
とある。
小原の郷会館から道路両側に 11月開催の「小原宿本陣祭り」の幟が連立して
ました。
民家の壁に掲示されてた祭りポスター


小原の郷から50mほど 国道右手に幟がはためき手入れされた生垣の
大きな屋敷が現れ
歩いてる国道左手歩道脇には案内板も。

向かいのお屋敷は 甲州街道に3ヶ所残っている本陣建物の一つで、
「小原宿本陣(旧清水家住宅) 」。
大きな屋敷門を構え「甲州街道 小原宿本陣」の大きな石碑が置かれてます。
右手に建つのはこ高札場。
街道書によれば
「現在の本陣は、往時と変わりなく4層のカブト造りの入母屋風の建物。
資料によれば 「20年ほど前まで清水家の子孫が住んでいましたが、
かっての「ふるさと創生一億円事業」で町が買い取って保存することになった。
この小原宿本陣は、本陣特有の座敷構えを示すとともに、このあたりの津久井郡の
典型的な大型養蚕民家の構造もしていて 平成8年に神奈川県の重要文化財に
指定されている。」
(公開されてますが 開門前?今日は休館? 残念ながら立ち寄らず)




国道20沿いには 当時の建物はないが旧宿場らしい歴史を感じさせる建物が
残っていて 当時の屋号を記した札が掲げられてます。
小原宿には旅籠が7軒あったという。
旅籠菊屋(跡)

大きな建屋は小松屋(跡)。
街道書には 小松屋は「ひかえ宿小松勇右衛門」本陣 脇本陣の控えだった
とある。

足を進めて「甲州道中 小手沢」の木札標柱が立っているところで、
左側に下る坂道へ。(木札標柱は幟り左)ここまでが小原宿で甲州口。
下りたところはグラウンドで、そのグラウンドの周囲に沿ってがかつての
甲州街道という。


グラウンドを出ると右折して坂道を登ります。


坂道を登りきった平野という名の集落のところで国道20号線と交差し、
ここには横断歩道がないので、先にある横断歩道を使って国道20号線を渡り
再び坂道を上ります。



坂の途中 ゆるいカーブのところに 街道書に目印として記されてる水道店があり
ました。

カーブを曲がりさらに坂道を登りきったところのイヌサフランが咲いている。

登り切ったところ 街道書では右手の段上に天明7年(1787)造立の地蔵尊と小社が
それぞれの祠に安置されているとあるが 花にひかれて見落としたようだ。
そのさきで道は二手別れ さてどっち?

ちょうど通りかかった方が 左手へ下る坂が街道書にある「えんどう坂」と
教えていただき やれやれようやく下り坂だ。
坂の途中 一段高いところに庚申塔等の石塔・石仏群が集められて祀られている と
街道書には記載があたのをまたも見逃してしまいました。
ゆっくり坂を下ると右側に「与瀬宿」と書かれた標識がある階段があり右へ下ります。


階段を下り終えた先もドンドン坂道を下っていきます。
(鉄路はJR中央線)


そのまま道なりに進み四つ辻にでると 左手フェンスの中に「与瀬下宿」の標識。
国道20号街道書には記載のない標識だが と街道書を確認すると
「少し進むと国道20号に突き当り右折 角に「甲州道中 与瀬宿」の標柱が立っていて 右折したあたりが与瀬宿の江戸方(東口)ならる。」とあった。
あっ もっと先だよ と声を出したが 勘違いしたカミさんがさっさと右折して
先え行ってしまった。

まあ いいかこれも愛嬌だね と後追いで線路沿いをゆくと すぐにJR相模湖駅。

バス停脇のトイレへ寄って 駅前をから20m程南下すると国道20号で
通りは甲州街道 14遍目 与瀬宿。

相模湖駅前交差点を右折します。ここからしばらく国道20号線与瀬宿を歩きます。
付近は「与瀬上宿」。
街道書によれば
「与瀬宿は甲州街道の相州4ヶ宿 (小原宿、与瀬宿、吉野宿、関野宿) の1つ
日本橋から16里4町58間(63.4km)、
東西約750mほどの規模で、宿内家数は114軒、本陣1軒、脇本陣なし、問屋1軒、
旅籠6軒で、宿内人口は568人。
甲州街道の宿場は他の街道に比べて利用者が少ないことからどこも貧しく、
宿駅の決まりである人足、馬疋を1つの宿場で負担するのは困難のため
与瀬宿と東隣の小原宿は同じ与瀬村で互いに合宿を組んだ」 とある。 
しばらく行くと右手に石段 上った先に石の 門柱。その右側の門柱には『旧本陣』と
記され 屋敷跡らしいのが街道書にある「坂本本陣跡」で
坂本家は名主、問屋も兼務していたという。
かなり規模の大きな本陣だったようだが 本陣らしき建物は何一つ残されてない。
一段高くなった木立の中に「明治天皇小休所址碑」の碑が建っていた。


本陣跡横の右折坂道が旧甲州街道で 右折前に国道左手のコンビニで昼食の仕入れて
国道20号から右折し坂道を上ります。

50m程上ると突き当りは一段高くなった中央高速道 手前で道は変則3差路で
街道は左折します。
斜め上へ車道は高速道の山側へ抜ける道の様で 高速道土手下沿いに車両通行止めの
道は 相模湖駅への近道になってる様でした:

駅への近道分岐にお休みベンチがあり 足休めを兼ねてお昼タイム。

街道書には高速道を越えた山側に「高野山真言宗 金峰山 慈眼寺」と横には日本武尊を祭る「與瀬(与瀬)神社」が記載されてます。
お寺や神社は石段を登り さらに60段ほどの長い階段で中央自動車道を越えて
ゆくようです。
街道書によれば
慈眼寺は高野山真言宗 「虫封じの寺」として広く知られ
與瀬神社は創建時期は不明とのことですが、「与瀬の権現様」として
広く知られてた とある。
慈眼寺参道

高速道の向こう 慈眼寺 手前が階段橋。

與瀬神社参道 鳥居 さらに高速道越え階段。

中央高速道土手下に沿って10分ほど行くと 旧道はすぐに中央自動車道に行く手を 遮られ ガード下を国道20号が通ってます。
街道書では
「旧街道は少し階段を降り中央自動車道の高架の下を細い歩道で潜りぬけて
階段を登って旧甲州街道に戻り 中央自動車道の傍を縫うように林の中を進み
貝沢橋を渡る 」とあるが 道は未整備で危ないと多くの説にある。
先程の休憩時にも「分かりにくく危ない」と地元の方に教えていtだいたので、
現状の体力では無理は禁物と高速道をいったん階段で国道へ下る迂回路を行きます。



階段を下り国道20号に沿って進み 国道は大きく左カーブし再び高速道を潜り返してます。

高速道ガードを越えたところで 右手に分岐する坂道へ進みます。

高速道に沿って緩い坂道をしばらく行き 再び高速道ガードを潜り
右手山側へ道は上て行きます。

急坂を5分ほど 高度が上り高速道は左下 そしてさらに下方には相模湖が
見えてきました。

さらに上ると右手山側から歩くのを避けた甲州古道旧道が下ってきて合流。


先き右手に「甲州道中 横道」の標柱立っていてた。
ここは横道という地名の集落のようです。


左眼下に中央道 相模湖を見ながら 山裾の道をさらに上って行くと


右手斜面の畑地に鳥居が見えました。
鳥居は竹で作られた鳥居で街道書では秋葉神社とあった。
拝殿まではかなり上る様子で寄らずに足を進めます。

その秋葉神社の竹の鳥居の横に 可愛らしいお地蔵さんや二十三夜塔などの
石塔石仏群が集められて祀られています。
二十三夜塔は月待塔、庚申講と同じく民間信仰のひとつです。


すこし先の茂みの中にも石塔が。
左手のは首の欠けてしまった地蔵尊と街道書にはあった。

さらり上り左てへ曲がった右手に

廃寺となったお寺があったのだそうで 二十三夜塔など石塔石仏群が集められて
祀られています。

さらに左右に曲がるゆるい上り坂が続き 左手に久しぶりに馬頭観音が
祀られてました。


馬頭観音から5分ほど 右手山へ分け入る石段道があり
「県立陣馬相模湖自然公園」との案内柱と、「甲州道中 橋沢」道標が立っています。
多くのハイカーが歩く 高尾山からの縦走路にもつながってようです。

右手山の林の中に石仏を見つけた。
街道書には記載がないが観音様にも見えるが馬頭観音?
この辺から街道はようやく下り坂。


左手に曲がった先は三叉路で 街道は左手の道へ下って行く。
「甲州古道 子の入」と書かれた道標が立っていて 付近は「子の入」という集落で
吉野宿の子宿といわれた天奈宿という様です。



坂道を200m下り中央自動車道を「天奈橋」という橋で渡って行きます。


さらに坂道は続き山間の中を下ってます。

200mほどで「甲州古道 赤坂」と書かれた道標が立っています。
街道書には 椚戸(くぐど)旧道江戸口とあるが?
(後で草道があったことがわかりました)

そのまま道なりに下ると右手に 街道書では左手にあるお寺の屋からが
見えてきて先で二股を右手にすると 街道書では左手のお寺観福寺前にでます。

千年以上といわれる極めて古い由緒のある寺院なのだそうですが
石柱 お堂などは建て替えらえて新しそうです。

さらに下って行くと左手木立の中から道が合流し
「 椚戸(くぐど)旧道諏訪口」と書かれた標柱も立ってます。
やはり前の「椚戸(くぐど)旧道江戸口」から分岐してる旧道があったようです。
街道書には線道で書かれていただけで ここも分岐を見逃したようです。

さらに道は下り 左曲がりの山すそに石仏石塔群がありました。
街道書によれば 馬頭観音や二十三夜塔などだそうです。

さらに下った先はY字路で 左手へさらに下ってゆきます。

左手の下り道を500mほど下り 中央自動車道相模湖インターチェンジの導入路に
架かる歩道橋(を渡った少し先に「吉野宿 高札場」の跡を示す標柱が立っています。
このあたりが吉野宿の江戸方(東の出入り口)でした。
その横には涎掛けをした六地蔵が祀られています。


高札場のところをさらに下った先で国道20号線と合流し、右折し吉野宿へ。

吉野宿の郷土資料館です。この郷土資料館は旧ふじや旅館の建物を利用したもので、
明治10年頃の吉野宿の歴史 家並みを再現した模型、農機具、生活用品などが展示されているという。
残念ながら今日は閉館でしたね。

天保14年(1843年)の記録によると、
吉野宿は本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠3軒と小さな宿場でした。小規模な宿場でしたが、江戸日本橋と甲府とのちょうど中間あたりに位置する宿場であったようです。

郷土資料館の前が吉野宿の本陣跡です。
街道書によれば
「吉野宿の本陣は名主の吉野家が務めていました。吉野家の由緒は鎌倉時代頃まで遡る
といい、幕末頃の本陣は木造五階建ての当時としては珍しい巨大な高層建築物で
あった」
明治天皇が行幸で立ち寄られたことを示す「聖蹟」と刻まれた大きな石碑が建てられています。
宿場のほとんどの建物が明治29年(1896年)の大火で消失してしまったという。



吉野宿は小規模の宿場で、この「吉野」のバス停の先あたりが諏訪方(西の出入り口)
という。

国道20号線を数分歩いた先の吉野橋のたもとに二十三夜塔などと並んます。




吉野橋を渡ると国道20号線から右に分岐し、また坂道を登っていきます。


おや 馬頭観音さん。

あら 白枇杷では?とカミさん。
「枇杷は濃いオレンジ色をしているが、白びわは白がほんのり混じったような
淡いオレンジ色をしていて 美味しいの」て。
カミさんの生まれた伊豆土肥地方で栽培されてることが多いそうですが さて?


藤野中学校の横を通ったところで再び国道20号線と合流します。

しばらく国道20号線を歩きます。

江戸の日本橋を出てから18里目の「藤野の一里塚」跡があります。

道路端に大きな岩 何という字が刻まれているのでしょうか?

ところどころ歩道ができてますが 国道沿いは歩道が少なく交通量も多いため
道端ぎりぎり注意しながら歩きます。

藤野総合事務所前交差点で右手上方から下ってきた道路552と合流します。
この道は通ってきた八王子から分岐してる甲州裏街道とも呼ばれてる
と街道書にあった。

すこし先で右折したところにあるのがJR藤野駅。



PM2:30 藤野駅 旅は足止め。

街道で約8km弱かな?
けっこうアップダウンの多かった街道だが
5時間ほどかけてなんとか目的駅へ着くことができた。
いまの歩き方から まあ 歩いた歩けたことに満足満足。
さて 次も歩けるか・・・が~んばろ~を~ ・・・