春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (完)

東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、
20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ,
と、出かけたドライブも、群馬県に入り埼玉の自宅へ向かって、
寄り道しながら帰ります。

 

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群馬県高崎市の高崎白衣観音を後に山を下り、国道17号に出て南下し、

途中から、県道13号、国道254号とかって良く走った一般道を行き、

県境となる神流川を渡ると、群馬から埼玉県入り。

向かうは、埼玉県の北西部に位置し、源平合戦で名を馳せた武蔵武士児玉党の地、

児玉(現本庄市児玉町)の真言宗豊山派の平等山宝金剛寺成身院の境内にある、

百体観音堂です。

 お堂は成身院の境内から少し離れた山上にあり、拝観にあたっては、

裾にある本庄市観光農業センターで手続きをするようになっているので、

成身院には寄らずに、車を直接センター駐車場へ入れます。

ここて拝観手続き、百体観音の由来などの解説があり、拝観料300円を収め、

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裏手の階段を登り、さざえ堂へ向かいます。

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市の 案内文によると、
「百体観音堂は、1783(天明3)年におきた浅間山の大噴火と飢饉よる死者を弔う
 ために建立され、観外観的には2層ですが、内部は3層で「栄螺堂(さざえどう)」

 と呼ばれる二重らせん 構造回廊式の特殊な建物になっています。

 堂内は階層ごとに霊場が異なり、1階は秩父三十四観音霊場で、2階は坂東三十三 

 観音霊場、そして3階は西国三十三観音霊場となっており、各寺院の本尊が

「移り本尊」として祀られ、全部で百の本尊が安置されていることから百体観音と

 呼ばれています。 
 江戸時代に建てられた当初の百体観音堂明治21年に火災で焼失し、明治21年(1888)の火災で観音堂を焼失して、観音像は全て溶けてしまいましたが、
明治43年(1910)に再建され、安置された観音像は60体だけでした。
その後も本堂が全焼したり、太平洋戦争中に梵鐘と大灯篭を供出したりしたが、

多くの方の善意と努力により一体一体寄進され、観音像を失ってから100年の時を

経て、再び100体すべてが安置された、とも記されてます。

会津若松の旧正宗寺三匝堂(円通三匝堂)、群馬県太田市の曹源寺本堂と並び、

拝観できるさざえ堂としては日本三大さざえ堂の 一つと言われている」

 とあります。

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「唐銅造(からかねづくり)大日如来像」は、本庄市指定文化財です。

右手後ろに見える寛政7年(1795)に鋳造されたといわれる「大鰐口」は、

直径1.8mで日本最大だそうで、これも本庄市の指定文化財です。

お堂には見事な彫刻も施されています。

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入り口はお堂の東側で、鉄板の重たい引き戸を開けて入ると、

堂内は右周り(時計廻り)の一方通行で参拝する構造で、参拝しているうちに

最上階の三層に到着し、同じ通路を通らずに出入口へと出てくる構造です。

お堂に入ると、まずは1階の南側です。 

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会津若松市の「円通三匝堂」には、桜巡りで回った時に寄りましたが、

中の回廊だけでなく建物自体も渦巻き状です。
群馬県太田市の「祥寿山曹源寺」は、立ち寄ったことは在りませんが、

建物は普通の2層建築で中の回廊が渦巻き状だそうです。
百体観音堂は、建物は普通の2層建築で内側が平らなフロア3層になってます。

各層は階段と言うより、急傾斜の梯子段で結ばれていますが

、同じフロア、階段を通ることはありません。

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近年寄進された仏像ではありますが、それぞれのお姿は大変美しく、一つひとつ

足を止めて対話するように回ります。

1層は秩父三十四観音札所のご本尊が並んでいます。

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 直立に感じる上り梯子状階段は、もし下りなら後ろ向きでしか降りられないな~。f:id:hansui:20200331114437j:plain

2層には、坂東三十三観音が並んでいます。

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2層目の中央の部屋は青が施され、一際美しいく厳かな雰囲気だ漂ってますね。

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右側には、「三仏堂」に祀られていた「三仏」が安置されています。
左側の「薬師如来像」は寛正7年(1466)、中央の「阿弥陀如来像」と

右の「釈迦如来像」は応永12年(1405)のものとのことで、観音堂よりも

350~400年くらい古い室町時代(1400年代)造立の仏様だそうです。

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左に階段から上がってきて時計回りに回り、正面の壁画のところ右手から3層目に

上がります。

左を見ると、2層目が外側の建物と離れていることが分かります。

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三層目には美しい色彩に彩られた部屋となっており、

天井の中央に天女が描かれた大きく描かれ、古い時代ものではありませんが

色合いも鮮やかで美しい天井画です。

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 いままさに満開の桜。 

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寄ってよかったわね~のカミさんの呟きを聴きながら山を下り家路へと。

児玉付近は近くの鬼石の冬桜、長泉寺の樹齢650年といわれる、骨波田

藤(ムラサキナガフジ)、神流川沿いの氷瀑・早滝など、何度かマイカー訪れた地。

そんな思い出を語りながら、今日は懐かしの国道254などを走り家路へ向かい

約700kmの最後のドライブが終わりました。

(鬼石の冬桜)

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(骨波田の藤)

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[完}

























 

 

 

 

 

 

 

 

春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (5)

東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、
20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ,

と、出かけたドライブも、群馬県に入り埼玉の自宅へ向かって、

寄り道しながら帰ります。

高崎市・慈眼寺)

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高崎市東部の慈眼寺を後に、西へ走り市街地を横断し和田橋で烏川を渡って、

標高200m前後の観音山丘陵に立つ高崎市のシンボル、白衣大観音へ向かいます。

 

 

2016年9月に歩き始めた旧中山道の歩き旅。

12月3日に高崎宿を通った時に、高層ビルの高崎市役所展望所から西に見えていた

巨大な観音像。

幾たびか高崎は通っていたが、なかなか立ち寄る機会がなかった観音様でした。

 

2016年、高崎市役所よりの眺め。

(バックの雪山は、信州、甲州の国境に連なる百名山八ヶ岳連山の硫黄岳2760m)

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 山道を上がり、標高190mほどの駐車場に車を止めて、緩い坂の参道を

上がってゆくと、ちょとユーモラスな仁王像が迎えてくれます。

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曲がりくねった参道からは、観音様はなかなか姿を拝めません。

おや、山ツツジがもう咲いている。

シャガも咲きだしてる尾根下の道を何度か回り込むと、ようやくお姿を拝めます。

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白衣大観音は、こちらも高野山真言宗のお寺、慈眼寺院の境内に祀られています。

寺記によると、慈眼院はもともと高野山金剛峯寺塔頭寺院のひとつだったそうで、

昭和初期まで高野山にあったが、高崎白衣大観音建立後、昭和16(1941)年に

高野山より別格本山として高崎への移転した。
創建は、鎌倉中期で、執権北条義時の三男、相州極楽寺入道重時と伝えられ、

続紀風土記には、本尊の聖観世音菩薩は鎌倉坂下村の安左衛門という文人

鎌倉の由比ヶ浜で漁をしたときに網にかかった尊像と、ありました。

海で網に、どかで聞いた話だと思ったら、鎌倉の古刹、長谷寺の観音様も神奈川の

三浦半島に流れ着き、鎌倉に安置されたとの逸話がありますね。

山頂に立つ観音様は、鉄筋コンクリート造り、高さ41.8m、重さ約6,000トンの

巨大な観音様で、建設当時は東洋一の大きさを誇ったといわれます。

1936年(昭和11年)に完成で、私より4年先輩の観音様です。

(慈眼院本堂)

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本堂から眺める観音像、さすがに大きいですね~

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胎内めぐりができるんですが、ここもコロナ騒動で中止になってました。

 

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う~ん、失礼少し欠けてしまった・・

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昨年、筑波実験植物園へ行った帰りに茨城県牛久の牛久大仏に寄ったことがあった。

牛久大仏は120m、観音様より一回り大きかったね。

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高崎中心街の眺め。

左手の薄く浮かぶ山は赤城山、中央の高層ビルが高崎市役所です。

県庁が前橋にとられた?、よ~し、県内最高層はこっちだ!

と建てたとの噂話があるんだとか。ほんとかな~・・。

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と、景色を堪能し山を下り、南へ埼玉へと向かいます。

続く。

 

 

 

 

春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (4)

東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、
20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ。

 

最初と最後になった道の駅・白沢での車中泊を終えて、

快晴の春の里を下り、前橋の嶺公園で水芭蕉カタクリを愛でて、

さらに南へと走ります。

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寄り道は枝垂れ桜、赤城山を下り前橋市内を通って高崎市の慈眼寺へ。

山門より南方に参道が伸びており、表門(石門)から北へ参道を行くと山門です。
参道両脇にはかつて九ヶ寺が塔頭寺院としてあった由。

その名残を示す両脇の石垣には、現在では松や百日紅ツツジ等が植えられていて、
参道西側には墓所が広がるり、ひろい駐車場が設けられてます。

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1250年の歴史を持つ、高野山真言宗のお寺
慈眼寺は正式には「華敷山補陀落院慈眼寺」といい、慈眼(じげん)は、観音様の慈悲の目が凡ての人々の上にそそがれるようにとの願いが所以です。

華敷 (けふ)は、春の庭に垂れた枝に咲き競う桜の華が、地面までも敷きつめる姿を。

そして補陀落は、観音様の浄土を表しています。

 しだれ桜はエドヒガンザクラの変種で、柳の枝のように下がった枝が特徴。同寺のしだれ桜は今から600年以上前、南北朝時代に植え始められたそうです。

(「滝の慈眼寺」と記されてますが、滝らしきものは在りませんでしたね。
  場所が高崎市下滝町に位置するからでしょうか?)

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山門は文政元(1818)年、36世良恵代に造立。

格天井には、平成5年に奉納された天井絵画が描かれてます。

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山門を入ると、左手に鐘楼、正面に本堂があります。

現在の本堂は昭和58年、52世良雄代に落慶した。間口11,5間、奥行8間、92坪。
本尊は中興開山乗弘大徳により南方の古墳より見出された1寸2分の聖観音
平成18年に修理が為されている、前仏はこれまで観音堂に納められていた聖観音

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彼岸桜系統のしだれ桜約50本。うち樹齢250年を越える少将桜は享保の頃

前橋城主酒井阿波守遺愛の桜で今も花をつけている。(早咲きと遅咲きがある)

どの枝垂れなのかな?花札は見当たらないので全部がそうだ、と愛でてゆきます。

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鐘楼と仁王像。

鐘楼は天保12(1841)年、37世覚信代に造営で、梵鐘は昭和19年に応召され、

昭和50年に再鋳されたもの。

仁王像は比較的新しく、再建造されたようです。

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一部修復恋路中の本堂。

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境内の一部にいろんな椿が植えられた椿園があり、まだきれいな椿を

楽しむことができましたね。

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おっ、春だね・・冬越ししたの?早春の誕生かな?

すこし翅は傷んでるが・・

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慈眼寺を後に、西へ車を走らせて・・・

続きます。

慈眼寺の総本山、高野山へは2016年初夏に訪れたことがあり、

旅ブログです。

hansui.hatenadiary.jp



















 




 

春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (3)

東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、
20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ。

(長野県上田地域の北國街道・海野宿)

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 夕暮れ迫る海野宿を後に、今度は高速・上信越道を東へ走り、
関越道へ入って北上し道の駅・白沢へ夕闇の中到着。

18年ほど前から始めた、車中泊の初めての泊地、白沢
思い出道の駅で、最後の車中泊
まずは、カンパイ、かんぱい、乾杯!!
狭いながらも楽しい車中泊、そして最後の車中泊、おやすみなさい。
続きです。

2020年3月21日

道の駅、白沢での夜明け

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奥日光方面から日が昇り、

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上越境に連なる谷川岳連峰

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一山手間の武尊連山

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お湯を沸かし、朝食をとって最後の車中泊を終えて、道の駅・白沢を後にします。

日本ロマンチック街道を西進、沼田市内を抜けて越後、関東を結ぶ国道17号を南下。

渋川で国道353へ入り、赤城山山腹へ上って東へと走ります。

国道353は、群馬桐生ー新潟柏崎を結ぶ一般国道で、この地区では

「東国文化歴史街道」との名がついているそうです。
前橋市地区へ入り、国道から右折するとすぐにあるのが、前橋嶺公園。

公園は、赤城山南面の美しい自然に恵まれた景勝地にあり、

77.9ヘクタールの山地に豊かな自然を生かし、併せて市民墓地を備え、

市民の憩いの場として、春夏秋冬それぞれの四季に応じた自然とのふれあいを

楽しめる公園です。(市案内文より)

 

何度か走った国道353で、公園のことは知っていましたが寄ったことが

ありませんでした。

この公園へ寄ったのは、早い時期に水芭蕉が咲くことを思い出したからでした。

木道の架けられた谷間の流れのある湿地には、早咲きの水芭蕉が咲き始めてます。

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お会いした、毎年水芭蕉の様子を見に来てるというご婦人の話では、

今年の暖冬の影響を受け、花より早くに、葉が大きく茂りだしてるそうです。

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水芭蕉の大群生へは、長野市鬼無里村の 奥裾花自然園へ行ったのが初めてで、

すっかり魅せられて、尾瀬をはじめいろんな群生地を訪れてたな~、

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水芭蕉とともに咲く、リュウキンカ

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春蘭も咲いている。

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 木漏れ日の差し込む山林の中には、カタクリの花も迎えてくれます。

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今年の春は、 水芭蕉カタクリの群生地へ出かけることはない~・・
と思てましたが、最後のマイカードライブでいい出会いができました。

農業用水ダム湖かな。

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お、琥珀色だ!!

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公園を後に赤城山を下り南へと向かいます。

続く、

春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (2)

 東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。
彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。
イカー無しで過ごしていたが、定年後に30年ぶりに運転再開。
高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分
未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、コロナ騒動の中ではあるが、

20日、夜明けとともに、思い出道へ最後の一走りへ。

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山梨大月の猿の架橋、長野・松本城と立寄って、車を中信から東信、上田方面へ

走らせる道は、十数年前のカーナビ無しのマツダ・デミオに乗っていたころ、

上高地の帰りに通った国道を選んで走ることにし、敢えて安曇野を通り、

峠山道となる国道143号へと取り車を走らせます。

1890年に長野県道として全通した歴史の古い道路だそうで、明治時代の建設当初は

馬車交通を想定し、急峻な山岳地帯を通過する割には緩勾配の道です。 
今は1976年に国道254号・三才山有料道路が開通し脇間道のようになってます。

青木村松本市四賀村間では二つの峠越えがあり、この区間では

ほとんどが1車線から1.5車線の狭隘路で、大型車は通らないようです。

渓流沿い、谷あいの道、これでもか!と曲がりくねる峠道。

好んでは方々も多いそうで、走行に山道走行のそれなりの注意は必要ですね。

まだ春の芽吹きも見られない山道行きで約2時間走らせて、二つ目の峠を下ると

青木村の里へ下り急に住宅街へ戻ってきます。

里の入り口には初めて走ってきたときに、ホッと一息ついた「道の駅・青木」が

待ってます。

そのとき見たのが、なんと「スズメバチの焼酎漬け」。

道の駅はすっかり装いも新たに見違えるように広く建物群もモダンになて

ましたね。スズメバチの焼酎漬けは、無かった。

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 雲が広がりだし、陽が陰るとまだ信州はスウーット寒くなってきますね。

風も少し強くなってきたようです。

しばらく行き、幹線道路の国道18号に入り上田市内を通って東へ向かいます。

上田は真田家の上田城があり、城下町で北國街道の宿場町でもある。

上田城址へは春秋、二度ほど立ち寄りしてるので先へ車を走らせます。

お目当ては上田から15分ほど東の、これも北國街道の宿場町、海野宿です。

国道に「海野宿入り口」と記された信号機があり、なんどか目にしながら

まだ、一度も立ち寄ったことがありませんでした。

信号機を目にして海野宿への坂道を下りますが、なんと昨年の洪水復旧工事のため

通行止め。

すれ違いも困難な細い道をくねくね回ってるうちに、ポンと時代をスピリットした

江戸風情の海野宿の街並みへ出てしまいました。

左手を見ると駐車場への案内看板が・・いや~いいね~

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100mほど南へ下るとあり、、トイレも設置された広い駐車場がありました。

楽しみに保存地域へ向かうと、再び東西に広がる街並みへと出てきます。

(西側の街並み)

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(東側の街並)

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 寛永2年(1625年)に、北国街道の宿駅として江戸幕府により開設された「海野宿」。

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北国街道は、北国脇往還善光寺街道などとも呼ばれ、中山道日本橋から20番目の

追分宿の追分で中山道と分かれ、善光寺を経て直江津北陸道に合流する、

中山道北陸道を結ぶ重要な街道でした。

佐渡で採れた金の輸送、北陸の諸大名の参勤交代のほか、江戸との交通も頻繁で

善光寺への参詣客も多くありました。

中山道を江戸から軽井沢、沓掛と来て、追分宿の分岐、「追分の分去れ」で

 右手に行く道が 北國街道。 中山道の旅で2017年9月に通りました)

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海野宿は 寛保2年の大洪水によって隣接する田中宿が被害を受け、

本陣が海野宿へ移されてからは、伝馬屋敷59軒、旅籠23軒と、たいへんな賑わいを

呈していました。

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 明治に入り宿場機能が失われてからは、養蚕の村へと移り変わりました。

 海野宿は伝統的な家並みが現在まで保存されていることから、昭和61年には

「日本の道百選」、62年には「重要伝統的建造物群保存地区」に選定を

 受けています。

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伝統的な建造物の意匠、「うだつ」も多く、 「本うだつ」は江戸時代のもの、

「袖うだつ」は明治時代のものだそうです。

どちらも富裕な家でなければできるものではありませんでした。

このようなところから「うだつがあがらぬ」という言葉も生れていますね。

(本うだつ)

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(袖うだつ)

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「海野格子」と呼ばれている格子は江戸時代のもので、長短2本づつ交互に

組み込まれ、海野宿特有の美しい模様を織りなしています。

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2階の出格子に見られます。

「出桁」は江戸時代の旅籠屋造りのものが多いですね。

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二階屋根の上に見られる「気抜き」は明治時代の蚕室造りの象徴です。

茅葺き屋根の被屋根も立派な「気抜き」が設けてありますね。

 

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 海野宿の産土神である白鳥神社

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御神木のけやきは、樹齢7百年を超えていると記されてます。

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毎年4月の例祭には街道に12本の大のぼりが立ち並ぶなど、昔ながらの風習が今も受け継がれ、 11月第1日曜日には海野宿ふれあい祭が開催され、時代仮装行列や、

人力車も繰りだし往時の宿場の賑わいが甦るそうです。

 

 海野宿、道の中央を流れる用水、その両側に立ち並ぶ格子戸の美しい家並みなど

江戸時代の旅籠屋造りや茅葺き屋根の(被せ)建物と、明治以降の堅牢な蚕室造りの

建物とがよく調和して、伝統的な家並みを残し、歴史のふる里を想わせる

静かなたたずまいを感じさせてくれました。

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来てよかったね~・・

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さあ、夕暮れ迫る海野宿を後に、今度は高速・上信越道を東へ走り、

関越道へ入って北上。

なんど出入りしたことかの沼田ICを出て日本ロマンチック街道を東へ向かいます。

そして、マツダ・デミオ時代の18年前に、谷川岳への帰り道に峠越え、

尾瀬への入り口片品村へ経て、遠回りしてたどり着いた、初めての車中泊地、

道の駅・白沢へ夕闇の中到着。

道の駅は駐車場もかなり広くなっていて、トイレも新しく増設さてていた。

ざと見回しても50台近い車中泊組が到着してる様子です。

温泉併設の道の駅でしたが、こんかいは利用せずの選択。

まずは、カンパイ、かんぱい、乾杯!!

狭いながらも楽しい車中泊、そして最後の車中泊、おやすみなさい。

続く、

春は弥生の3月、車中泊1泊での最後の長距離ドライブ (1) 甲斐の猿橋 松本城

 東京に桜咲いた、の宣言がでたら雪が降ったりの弥生三月。

彼岸の21日は遂に傘寿、80才到達。

20代に取得し、札幌勤務時代に社用車に乗っていたが、

東京勤務となって運転の機会がなく、マイカー無しで過ごし、定年後に諸事情で

イカー購入で、30年ぶりに運転再開。

以来2台目マイカーとなって乗り続いて15年。

春3月は車検と運転免許の更新期限。

そして自分は年を重ねて、傘寿の80才到来。

すでに高齢者講習、検査を受けながら免許更新をし、まだまだの気は十分

未練あれど、事故を起こしてからでは「後悔先に立たず」。
カミさんとの約束もあって、年初に春には免許返上、マイカーの廃車とを決めていた。

廃車時期がいよいよ迫り、「カミさんの最後のドライブはいかが」の声がかかり

コロナ騒動の中ではあるが、かってよく走った思い出道のドライブへ。

宿は、初めて車中泊した群馬県沼田の道の駅「白沢」とし、

20日、夜明けとともに、最後の一走りへ。

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コースは高速道、圏央道、中央道を走り埼玉から東京都、神奈川県をかすって

甲州山梨県へぬけ、信州を経て、群馬で車中泊し、赤城山山麓を走り、

途中、立ち寄りしながら埼玉へ帰宅。

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 山越しに真っ白い頭を覗かせた富士山を目にしながら、かなり北風の強い、

圏央道、中央道を走り、上野原ICで降りて、まず立ち寄ったのは、

「岩国の錦帯橋」「木曽の棧(かけはし)」と並ぶ日本三奇橋のひとつで、

広重の「甲陽猿橋之図」や十返舎一九の「諸国道中金之草鞋」などにその珍しい

構造が描かれている「甲斐の猿橋」へ。

三大奇橋の内、山口県「岩国の錦帯橋」へは、2014年11月、

「山陰山陽ドライブ旅」でレンタカーで走った折りに、安芸の宮島の後に

山口県へも掠ったように立寄り。

こちらは有名な観光地ですね。

(遠くに再建された岩国城が見えてました)

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 信州「木曽の棧(かけはし)跡」は、「歩いて再び京の都へ・旧中山道夫婦歩き旅」の木曽路で2018年5月に通ってますね。

桟(かけはし)とは、けわしい崖に橋をかけ、わずかに通路を開いたもので、
昔はけわしい岩の壁に丸太と板を組み、藤づる等でゆわえた桟であったが、
後に尾張藩が、長さ56間(102m)中央に八間(14.5m)木橋をかけた石積みを

完成し、そのごも何度かの大改修ななされていたが、残されていた木橋

明治44年(1911)には、国鉄中央線工事のため取り除かれてしまい、
現在、石垣積みの部分は、国道19号線の下になって面影を残しています。
(長野県指定史跡)

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猿橋は深い渓谷に架けられた 長さ31m、幅3.3mのさして大きくない

木橋ですが、橋脚がたてられないため、橋脚を使わずに両岸から張り出した

四層のはね木によって橋を支る珍しい構造をしています。

猿橋は橋と周囲の自然景観との調和の見事なことから、昭和7年に国の名勝に

指定されました。 

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猿橋の珍しい構造の起源は定かではないですが、西暦600年ごろ、百済からやって来た造園博士の志羅呼(シラコ)がなかなかうまくいかず難航していた橋の建設の最中に、沢山の猿がつながりあって対岸へと渡っていく姿からヒントを得、ついに橋を架けるのに成功したと言われています。

猿橋の名前の由来もそんなところからつけられたそうです。

(史跡案内文)

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江戸時代 徳川幕府により開設された五街道の一つが甲州街道で、現大月市内には

甲州45宿の内12宿があり、多くの旅人が猿橋を渡っていったんですね。

橋畔にある猿王を祭る山王宮の小祠

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大月ICで再び中央道へ入り、PAなどへ寄りながら甲府盆地へ入ります。

甲府盆地は桃の花。

早咲きの花桃が咲き始めてます。 

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埼玉県と山梨県の県境に連なる 奥秩父の山々はクッキリと姿を見せてますが、 

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 北アルプス方向の峰々は雲に覆われ、姿を見せてません。

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 南アルプスの中で、一番魅かれる名峰・甲斐駒ヶ岳も頂上は雲の中。

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長野道へ入り、塩尻のPAで早めの昼食をとり、 松本ICげ降りて車を止めて

向かうは松本城

初めて歩く女鳥羽川沿いに鎮座する、縁結びの神様、四柱神社の拝殿と参集殿。

 

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門前町は、若い方々が多い縄手通り商店街。

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おっ、鮭?

作り物ではない、千年鮭?とも違うような・・

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お城造り・・

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 国宝・松本城へはこれで5回目かな。

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コロナ騒動で、城内へ入れますが、

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天守閣へは閉鎖されてましたね。

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大手門を入ってすぐの一角に植えてあるのが「宇宙ツツジ」。

花咲きは5~6月のようですが、お城に寄ったのはこのツツジを見たかったんです。

群馬県館林市出身の「宇宙飛行士向井千秋さん」が、平成6年にアメリカの

スペースシャトル・コロンビアで宇宙へ行った際に持ち込んだ、ツツジの種子を

帰還後に東大理学部附属植物園などで育て開花したものを株分けしたようです。

ヤマツツジなど3種の種子約28㌘が宇宙へ行き、14日17時間55分の宇宙滞在の後戻ってきました。

館林市では開花したツツジを平成11年に「宇宙ツツジ」として商標登録し、
 その後各地に株分けされ各地で宇宙の花を咲かせてるようです。

松本城のは「宇宙ツツジ認定26号」と標識に書いてありました。

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天守は文禄2~3(1593~4)年築造と考えられ、五重六階の天守が現存している
日本最古の城といわれ、姫路城、彦根城犬山城松江城とともに国宝に指定され、

今は国内のみならず外国の方々にもよく知られた、松本城ですね。

 

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いま欧米系の方々に人気の、旧街道中山道木曽路歩き旅の方がも、

旅の終点としているお城でもあるそうです。

 

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 彼岸の三連休の中、思ったより訪れている方は多いとはいえ、

海外の方はほとんど見かけることはなかったです。

松本のシンボルとして親しまれている伝統民芸品「松本てまり」の

デザインマンホール蓋。

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松本を後に、まだカーンナビを付けなかった車で、15年ほど前に上田方面へ

抜けたことがあった思い出山越え道を、今回はナビを設定して走ります。

R143で旧四賀村から青木峠を越える道は、曲がりに曲がる1.5~1.8車線

くらいしかない狭い山道がそのまま残されているワインディングロードでした。

峠を里へ下りると信州上田、佐久の東信へと入ってきます。

続く・・・

 

 













 

 

 


 

 

 

 

春は弥生の3月

春!の陽気でスタートした3月だが、ちょっと不安定な日が続いてる。

春嵐のような強い東風も収まった6日、花の様子見に立ち寄り。

多門院の庭ではシラネアオイが芽生え、葉を広げだしていた。

いや、あれは!とデジカメをズームしてみると、

咲き始めてる!シラネアオイ 一株。

例年3月下旬ころに開花を見かけるので、今年は早い開花です。

キンポウゲ科 シラネアオイ

北海道から本州中部以北の深山や亜高山、高山帯下部の林縁に生える多年草

1科1属1種。

最近ではタネから育てた株が流通し、白花や、株分けでふやした多くの変化花や

斑入り葉のものも流通し始めているそうだ。

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庭では、原種系のチューリプや、

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カタクリも葉が出始め、咲きだすのももうすぐの様子。

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カタクリの葉の側では、キクザキイチゲの白花も八重咲きで咲いている。

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遅れていた雪割草もようやく株数が増えてきた。

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明けて7日(土)には例年市内の公民館で、市雪割草愛好会の

雪割草展示会があるのだが、こんかいはコロナ騒動で、直前になって開催中止。

明け方までも雨もやみ、午後からは日差しが戻ってきたので、

雪割草展は中止になったが、昔し一度寄ったこと記憶のあるお寺へ足を向けてみる。

思ったよりたくさんの雪割草が咲き乱れてる。

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雪割草の様子はデジブックアルバムへ。

デジブックアルバム(無料ですが登録は必要です)

 

 

しばし楽しんで、そうだもう少し足を延ばしてカタクリの様子を見に行こう。

と車を30分ほど走らせて、お隣の瑞穂町のカタクリ園へ。

圓の山は昨年の大型台風時に山崩れを起こしたが、ようやく復旧した様子。

まだカタクリは一輪も見かけなかったが、葉の姿はかなり見られたので

お楽しみは残してと途中トイレ休憩で、庭に山野草咲く町の施設「耕心館」へ

立ち寄り帰宅。

耕心館の庭では、ミヤマキケマン(早咲きのようなので)が一株咲いている。

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帰り際に地面を這うように広がる葉の間に、白い花。

横の札には「ショウジョウバカマ」とあった。

 ショウジョウバカマの白花とは区別される、シロバナショウジョウバカマ

(コチョウショウジョウバカマ)という近縁種もあるようだが、葉の様子から

ショウジョウバカマ」の白花のようだ。

ただ咲き始めは「シロバナショウジョウバカマ」の方が早いそうですが。

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庭園内の藏で、今の時期は「吊るし雛飾り」が見られるが、こちらもコロナ騒動で、

狭い藏内へは入らないように扉は占められていた。

ガラス戸越しにパチリ。

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コロナ騒動も収まりそうになく、宿も予約してる街道歩き旅の予定も、

持病を持つ老老身であれば、残念ながら中止もやむを得ないんだろう・・・・な~。