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歩いて再び京の都へ 旧中山道夫婦旅   (第12回) 安中宿駅から安中、松井田宿へ  後編

*300m程進んだ左手「安中上野尻郵便局」の駐車場隅にポツンと石碑が建ってます。近寄ってみると「安中大木戸跡」で、上ノ木戸跡(京口)かな。
AM11:10、江戸から15番目、安中宿を後にします。

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旅の後半へ入ります。

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右手奥に愛宕神社。この神社も前方後円墳の墳丘上に鎮座しています。

 御祭神は火産霊命で火伏せの神様。例祭のなかに鎮火祭(2月13日)があるそうです。

神社の街道沿いに常夜燈が建ってます。しばらく出会わなかったな~・・

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過ぎて道の南側に大きな石碑、板碑、矢印標識が案内する、安中宿では頻繁に

名前が出てくる新島譲の旧宅入り口。

側に弘化4年(1847年)建立の道祖神もありました。

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これでもかと思われるほどたくさんの案内に導かれて、何度か曲がり行くと、

萱葺屋根の家屋が見えてきます。

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新島襄旧宅、市指定史跡。

元は100mほど離れた場所にあった建物を移築している。

郊外ともいえるこの地に武家地があるのは、廃藩置県の時に江戸から引き上げた

藩士のために急遽用意されたためでした。

同志社大学の創始者の新島襄は、江戸神田一ツ橋の安中藩邸で生まれた。  

新島の両親が住み,彼自身も米国から帰国したあと3週間ほど住み、

布教などをしたという。

「あら、住んだのじゃなくって滞在したということね??」て、カミさん。

ははは・・そうだけど両親がいたんだから実家なんだな・・・・

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裏には,安中藩主板倉勝明が殖産興業策として、漆100万本を植えさせたと言う

ことを記念した「漆園の記」石碑がある。

事業はうまくゆかなかったとの説があるような。

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新島襄といへば、2013年の大河ドラマ「八重の桜」の主人公、

山本八重の夫ですね。当時は安中もフィバーしてたかな。

*八重の桜*HP

http://yae.taigadrama.org/

ちなみに来年の大河ドラマは「おんな城主 直虎」

こちらは高崎城主でもあった、井伊直政を勇猛な武将に育て上げた、

義母?はとこ?の物語。中山道つながりだね。

(このブログを作成していたら、「直虎」は男との新資料がでたそうな)

おっと、街道旅でした。

館で教えていただいた道筋を通り、中山道に戻ると県125は

県48となってました。

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まだ、2kmしか歩いてない!

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右手に安中総合学園高前交差点で、交差する国道18号を案内書のとおり横断し、

原市地区に入りました。

「あれ、史蹟天然記念物安中原市ノ松並木碑を見てないよね?」

「案内書は新島旧宅入口のすぐ先、迂回道で街道に出たので通り過ぎてたね」

松並木は枯れちゃったって、いう説があったからな・・

すこし風はあるが、歩きにはいい気温、どんどん快適に足を進めます。

庚申塔もないね・・・なくなったのよ~・・」

そのまま足を進めてると、「よさそうなお店がある、お昼にするか」

で、今日はイートンコーナーでなく「お食事処」

当たりね、おいしかったわ、てカミさんもご満足。

食後のコヒーもいただいて再び街道へ。

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前方に見え隠れする妙義山

「安中と言えば、ずーと昔、梅を見に来なかった?」

「安中秋間梅林に来たことあったな・・」

「帰りに妙義山山麓の日帰り温泉のも寄ったね」

あれ、道祖神も見逃したか?なんて言いながらトントンと足を進めてしまいます。

まだしばらく、変だな?と思いながらもおしゃべりしながらすすむと、

「あれ?あれは資料にある、旧碓氷本社の建物では?」

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これは国道18号の左側にあるんだぞ!

はい、国18号と交差したところからは右手斜めに県48へ行くのに、

なぜか国道18へ足を進めてしまってた。

しかも2km近くも気が付かないで・・・・

ふふふ・・江戸の旅人なら行倒れね、・・なんてカミさんは面白がってるけど、

まじめにそうでした、行倒れ供養塔が東海道でいっぱいあったな・・・

参*旧碓氷本社、群馬絹遺産HP*

http://www.silk-mulberry.com/gunmakinuisan_usuisha.html

右手に交通安全観音様とこけし仏?おおきな事故があったのかな?

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「歩いたのは現代中山道だ、江戸時代からタイムスリップさせられたんだよ」

「交通安全観音様、なにかイミシン」ね、なんて言いながら、先を右折すると

県126となった旧中山道に合流で、間の宿原市をスルーです。

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もどった街道を少し進むと八本木の立場跡。

左手に、「御休所 山田屋卯兵衛」の八本木旧立場茶屋跡。

「志がらきお茶漬け」というのが名物であったそうな。

(表札があったので今もお住いかな)

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その向かい右手は、八本木地蔵堂。

本尊は,頭は剃った坊主頭で体には袈裟と衣をまとい、室町時代初期のもの。

秘仏としてご開帳は百年目ごとにする定め、とありましたが、お堂を覗くと

お姿が見えたので、100年ごとのご開帳はなくなった?

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 境内には,安中最古の庚申塔などが沢山並んでいる。

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八本木地蔵堂から道祖神などを見ながら、街道雰囲気の緩い上り道を約1km街道を進むと、郷原地域に入ります。

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さらに700mほど進むと、丸太道標、松井田3.4km安中5.7kmそして

文化9年(1812年)建立、馬頭観音

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もう蝋梅が咲き始めてる、早いですね・・・

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すぐ先に村社日枝神社

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拝殿の前に神楽殿が建ち、その神楽殿下をくぐって参詣するという珍しい様式。

創建年代不詳だそうで、社殿は明治44年再建。

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そうそう、境内には七福神。横一列も珍しいね。

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神社鳥居隣には立派な文字青面金剛塔や庚申供養塔群が建ってます。

おや、供養の「養」が見慣れない漢字?羊篇に良という字で、塔も違いますね。

大きいので気が付いた。

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隣は開かずの山門(薬医門)との噂の真言宗豊山派・自性寺がある。

開基は不詳。一説に保延元年(1134年)開創とする寺伝があるそうです。

本尊に大日如来を祀っています。あの新島襄の先祖の菩提寺だそうです。

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境内に宝篋印陀羅尼経を収めた宝篋印塔が2基あり、市指定重要文化財

向かって左側の塔は、応永3年(1396年)製作で総高95センチ、塔身四面に

月輪が刻まれ、その円内に胎蔵界四仏が陰刻されています。

右側の塔は、嘉吉3年(1443年)製作で、総高93センチ、基礎に「一結諸衆」の

銘があります。

いずれも相輪、笠、塔身、基礎からなる関東形式の宝篋印塔だそうです。

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境内左手の墓地を通り、街道へ向かう途中の墓地内に、「釈迦堂」がありました。

ちょっと覗いた感じではお堂というよりもの置き場。

野辺送りの葬送道具類置き場ではないかとの説がありました。

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正面に妙義山を望みながら街道をゆくと、右手に丸太道標 (松井田2・9km

安中6.2km)、そして安政3年(1774年)道祖神、百番供養塔。

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だらだら上りの県道216号てくてく進むと、磯貝雲峰旧宅跡。

跡というより表札が有るので、磯貝家ですね。

磯貝雲峰は、旧九十九村下増田の出身の明治時代の文人だそうで、

同志社を出、28歳の時渡米。帰国後は中央文壇で活躍したが、32歳で亡くなった。  、安中市松井田町に雲峰の碑があり、彼と交友があった徳富蘇峰の撰文や、

裏面には雲峰の詩 「 早蕨を 折りし昔よ 偲ばれて 恋しくなりぬ ふるさとの山 」

が刻まれているそうです。 

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持参の街道案内には、道路向かいが高札場跡で、木製標識があると記されてるが

見つけられない。(住宅の生垣の中にあったようです)

少し先右手に原市小学校郷原分校。

入口に新しそうな看板「イノシシ出没注意」!!!

先日もイノシシ被害が報道されていた、旅も要注意だ。

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街道案内には、分校先に江戸より31番目、郷原一里塚跡が記されているが、それらしき式景観は何もなし。

中山道一里塚研究」HPをお借りすれば、中山道分間延絵図というのに、

高札場の西先に描かれているのでこの付近にあったことになる。

(右〇・日枝神社、中下〇・高札場、左上〇・分校、左〇2・一里塚)かな?

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街道は、まだ緩く上り坂道がを続いてゆく。丸太道標は、松井田2.4km。

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先の左手民家前に祠の道祖神が祀られていて、少し先には丸石の道祖神

そして街道は緩く下りが始まってゆく。

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右側に、古そうな民家に「 荒木流山中秀次郎道場 」 と書かれた看板があった。 

道場らしくなけれど??

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さらに道を下ると丸太道標がり、街道はこの先で左手から延びる国道18号に

分断されます。

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「あら、道路標識に飛脚の絵」「ほんとだ、こりゃシャレてるね」

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国道18号を信号で横断し南側にわたると、郷原の妙義道常夜燈。

文化5年(1808年)郷原村の妙義山講が建立したもので、妙義神社参詣者への

道しるべ。

解説板には、ここから東50mほどの中山道から、妙義道への入り口にあったのが

昭和63年3月現在地に移転されたと記されてる。f:id:hansui:20161214103407j:plain

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妙義山妙義山は700万年前に形成されたと言われ、浸食・風化により険しい斜面となり、多数の奇岩石門群をみることができます。

おおきな道祖神の脇に、歌碑がひっそり置かれてます。

後ろの解説板によれば、

「山中貞輔碑、中後閑より郷原の山中氏へ養子に来て十二代目をつぐ、

剣撃の師範・山中秀次郎の父、板鼻の山中三郎の祖先である。

学問にたけており江戸時代から明治 の初めにかけて寺子屋を開き、

弟子たちが師を 偲んで建てた碑である。

「 月の入る 西の都を さして行ば 帰らぬ旅に 迷路もなし 」

先ほどの謎の道場跡、山中秀次郎は子孫でした。

そこから国道の土手沿いに東左手へ下るの道があり、脇にこんな板碑が。

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先祖の菩提寺は先ほど訪れた「自性寺」だった。

お寺の飛び地墓地があるのかな??

(あとで調べたら、下ったところに古そうな墓石が並ぶ墓地があるようだ)

再び国道を横断し北側へ合流地点へ戻ります。

中山道は、18号に合流する手前右手に、伸び放題の竹やぶが頭上を覆う

薄暗い急坂へ。

おっ、街道ランナー(安中安政の遠足か?)がとっとっとと追い抜いていった。

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このあたりが広重中山道69次の安中画地点と言われています。

 

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付近は上り下りの坂道になって居たようで、逢坂(大阪)と言われていたようです。

街道は国道18を大阪地下道でくぐり抜け、南側に抜け出る。

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景観を見るために、地下道を抜けて左手、国道18号から下ってくる側道を

戻るように上る。

眼下に碓氷川、右手に妙義山の偉容、いい眺めだ・・・

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街道へ戻る途中に、これが郷原木戸長役場跡の板碑かな?文字が薄れて全く読めない。

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右手生い茂る木々下にたくさんの石塔群。

並び方や型から古いの墓地のような気がする。

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二つの分岐をいづれも右手に取り進むと、国18と分岐し下って来た、

県33号渋川松井田線となり、松井田宿0.9kmの丸太道標が建っている。

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正面に雪を頂く浅間山を見ながら、傾斜を感じなくらいの坂道を下て行く。

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500mくらい行った右手のホームセンターで、トイレ休憩と足休め。

敷地土手に馬頭観音庚申塔、そして妙義、浅間の姿。何度見てもいいね~・・

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足を進めると下町地区で下町の交差点。

中山道松井田宿の丸太道標地が松井田下木戸(江戸口)跡。

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この付近には伝衛門脇本陣があったということだが、示すもの無し。

下町交差点を左折して進むとJR松井田駅

安中藩松井田宿、江戸から16番目、31里35町40間(約125km)

(天保14年(1843年)中山道宿村大概帳によれば、

宿道幅3間半~6間半(6~11m)

宿内、1009人,家数:252軒,本陣:2(両家が問屋場と村名主を兼ねる)

脇本陣:2,旅籠:14

松井田宿は、碓氷峠を控へ日があるうちに面倒な関所は越しておきたいと

坂本へ足を止めるため、通過する大名や旅人が多かったといい、

 「 雨が降りゃこそ 松井田泊まり 降らじゃ こしましょ さかもとへ 」 

と、馬子唄に歌われているそうな。

休宿泊こそ少なかったが、信州諸大名からの廻米の継立てや払米の取引など、

物資の中継地として重要な機能を果たした。

多くの藩の廻米が高崎倉賀野や江戸ま運ばれることなく、この地の商人に

売却されていたそうな。
各藩の廻し米は多額の取扱高となり,松井田は「米宿」と呼ばれていたと言う。

 

ほとんど行きかう人気のない街を足を進めてゆくと、左手に二階軒下に

「かんべや」と「妙義登山口」と記された袖看板を下げた家。

南に下る道が妙義道でここが追分。

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右手に間口の横広い蔵のある屋敷が徳右衛門脇本陣跡。

(伝右衛門脇本陣とも書かれてる)。玄関門構えは無しだが、建坪は73坪あった。

(案内板がフェンスに付いていた)

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100mくらい先を左手に入ると、幼稚園併設の臨済宗崇徳寺(すうとくじ)。

 

足利尊氏開基と言われ、精緻な彫刻された四脚門、聖観音菩薩像、千手観音菩薩像・

如意輪観音像が安置されてる観音堂。

本堂は入母屋、桟瓦葺。上野国順礼札所三十四ヵ所十四番札所。

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外郎の陳氏歴代の墓がある。(フェンス囲いが該当かな)

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街道に戻り200m位先右手の山城屋酒店は「ういらう屋跡」。

小田原の今もお城のような店を構える、ういろう屋の分家「外郎陳道斎」の店舗。

天正3年(1575年)前に武田や北条の関東宣撫的な政策で、この松井田に分家、店を開いたという。

(ここも間口が広い)

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持参街道案内では山城屋の先、仲町交差点の左手の現群馬県信用組合のところが

金井本陣跡だが、示すものは何もなし。(見逃したのかな?)

建坪171坪、玄関・門構えがあった由。

この周辺が松井田宿の中心街。

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下の本陣とよばれ、上の本陣は松本家が勤め,問屋場は金井・松本両家にて,

一ケ月交代で務めた。

仲町信号の右手角、時代を感じる家屋の下に、角ばった低い石碑は松井田町道路元票。

風格ある建物は畑中医院跡だそうな。

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左側にちょっと目立つ蔵造り風の建物があるが、ここは「伊勢屋」という屋号が掲げられた「辻中薬局」

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辻中薬局にすぐ先に、東屋みたいなコーナーが有、木の門付きの空き地がありました。門に取り付けた板看には「まちなかにぎわい広場」。

イベントなどが開かれる場?

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宿場時代の表示など無いが、古い民家がポツポツと見られ、「旧街道を歩いている」そんな雰囲気は味わえる。おっ、月が出てる。

下写真の左上は、旅籠で、同時に両替商・質屋・塩を商っていた。

建物は移築したものだしうだが、築300年は経っているらしい。

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仲町交差点から150mほど進んだ右手、電柱の後ろ右手一帯が

上の本陣・松本本陣跡に当たるようだ。

建坪174坪、玄関・門構えあり。部屋数23.裏門は非常時に開かれ、

奥の不動寺への通路でもあった由。

右手に入った奥に今も井戸と庭園が残っていると言われます。

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本陣跡から50mくらいに脇本陣が有ったと言われるが、確認できず。

さらに50mほど進むと右手に本照寺の駐車場、隣が「うまかんべえ」煎餅屋さん。

ここに松井田の高札場が有ったそうです。

当初は仲町交差点あたりに、次いで山城屋(外郎店)あたりに移され、さらにこの場に

写された由。

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すぐ先に歩道橋があり、橋下に丸太道標。

中山道松井田宿→」で、ここが上木戸跡(京口)でした。

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木戸口跡を右手に坂を上がって行くと、右手に信州大谷派の本照寺。

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そして正面に、創建年の詳細は不詳ですが、建久8年(1197年)に

源頼朝が参拝に訪れたとの記録がある、松井田八幡宮の鳥居と参道が見えてきます。

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祭神は誉田別命息長足姫命玉依姫命

江戸時代には幕府からは庇護され、慶安元年(1648年)には三代将軍徳川家光

により朱印地13石6斗を賜っている。

現在の本殿は寛永年間(1624~1644)に建てられたと伝わるもので、

群馬県重要文化財に指定、他の建物はその後に補われたものである。

本殿前の建物は拝殿のようですが、建物の真ん中に通路(土間)がある

独特の形態をしています。この形態は「割拝殿」(わりはいでん)と呼ばれるもだそうで、珍しいのでは。

 

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割拝殿の右側は神楽殿でもあった様子。

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本殿は桃山風の形式をよく伝えるといわれる、三間社流造りというものだそうです。

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八幡から街道に戻ると先左手に北向きのお堂があり、その名も北向千手観音堂。

お堂側に石仏石塔群が建ってます。

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少し先、左手に和洋折衷の建物が建ってます。(帝冠様式と言うそうです)

旧松井田警察署で、昭和14年(1939年)竣工。木造2階建、外壁はタイル貼りの

洋式建物に切妻、瓦屋根の建物です。

どこかで見たような建物と帰宅後調べたら、東京の九段会館に似ています。

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右手の民家の前に大量のネギが置かれてる。

太いから下仁田ネギですね。太く柔らかい、冬の鍋物には欠かせない。

下仁田はここから南へ12・3km位かな。f:id:hansui:20161215171059j:plain

夕暮れ気配の街道坂道を上って行きます。

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200mくらい先の新堀信号手前に、粋な黒塀、見越しの松・・

大きな屋敷がありました。

中山道石柱や街道図石碑、そして塀にこんな張り紙が。

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中山道分間延絵図は東京国立博物館が原本を所蔵している、国重要文化財

絵図です。復刻版を所蔵されてるんですね。

是非見たいところだが・・・残念、惜しい!

尚、中山道 新堀金井家とありますが、あの本陣を勤めた金井家の縁者の家?

(参考資料としてこのブログでも復刻版の一部を使わせてもらってます)

 

右手に2基の庚申塔。先は西松井田駅入口交差点。

右手に古刹・補陀寺 がありますが、左手に足を進め・・

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安中駅から約12.7km、日本橋より約31里36町(約130km)

上野国(上州)旅路も残すところあと1宿、坂本。

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夕日の浅間山を望みながら、

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 午後4時17分、西松田駅前で12回目の街道旅を終えました。

 

(反省追記)

松井田宿内には、旧跡史跡の案内標識がほとんど無い、との記述を

してしまいましたが、帰宅後に写真を整理していて、標識らしいのを見つけ、

写真を切り取り拡大してみたら案内標識がありました。

調べてみると、「松井田宿まち歩き」というパンフレットがあり、

パンフ図にNo、が記され、街中の街灯に連動してその番号が書かれており、

街灯の上の方に小さめの案内標識があったのです。

歩き中の目線が、つまずかぬよう下ばかりに向いてしまい、気づかなかた。

発見を旅の楽しみにしていますが、もうすこし事前下調べをしなければいけませんね。

反省!(パンフの入手先は観光案内かな?)

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