(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)
2016年月31日、室生寺を後に奈良の飛鳥方面を抜けて、和歌山県入り。
西高野街道(480号線)を高野山へと登ります。
いきなり空が開けて、1000m級の八つの峰々に囲まれた
山上盆地に広がる町は、弘法大師・空海が開いた日本を代表する仏教都市
真言密教の聖地「高野山」です。
2004年には世界遺産に登録され、国内外から多くの参拝客が訪れる一大観光地に
なりました。
高野山真言宗総本山・金剛峯寺(山号は高野山)ほか、塔頭寺院が117か寺。
約半数が宿坊を兼ねています。
お世話になる宿坊・総持院の駐車場に、車を止めさせていただき、山内の散策へ。
今は外国の観光客にも大人気の高野山。
かっては山全体を総本山金剛峯寺と称したが、
豊臣秀吉ゆかり青巖寺と興山寺 を合併し1869年(明治2年)、金剛峯寺と改称した.。
高野山真言宗の総本山。
高野山全体の宗務が行われており、住職には、高野山真言宗管長が就任する。
元和四年(1618)に福島正則が奉納、今も時を告げる「六時の鐘」
文久3年(1863年)に再建された奥殿、別殿などを有する大主殿。
国内最大級の石庭「蟠龍庭[ばんりゅうてい]」や狩野派の襖絵など見どころが
多数あります。(襖絵など撮影禁止)
本尊様は厨子に安置され、拝観することはできません。
大主殿内部(仏像、襖絵などは撮影禁止)
(パンフ拝借画)
文禄4年(1595年)関白・豊臣秀次、自刃の柳の間
(パンフ拝借画)
国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」
本堂裏手に庫裏があり、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所を見学する事が
出来ます。
2000人の炊事を賄った台所。
一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜など
全体的に大きく、男の仕事場と強く感じますね。
(パンフ拝借画)
金剛峯寺を後にすぐ近くの高野山信仰の中心地、壇上伽藍へ。
高野山の信仰中心は、この壇上伽藍です
壇上伽藍の正面玄関は、1200周年(2015年)に合わせて172年ぶりに再建された、朱色も鮮やかな中門です。
鎌倉時代の建築様式をもとに設計再建されたそうです。
高野山 壇上伽藍 中門
持国天像・多聞天像
広目天像・増長天像
の四天王がまつられている。
壇上伽藍は弘法大師(空海)が、高野山で最初に開かれた場所と伝えられている所で、弘法大師御廟(ごびょう)のある奥の院と並ぶ高野山の聖地です。
壇上伽藍には、高野山の総本堂になる『金堂』や
国宝『不動堂』など多数のお堂が立ち並ぶ荘厳なところで、真言宗の重要な法会のほとんどが行われています。
高野山総本堂『金堂』
高野山内にて、お大師さまの手により最初期に建設される。
昭和7年(1932年)再建
建久8年(1197年)創建 不動堂(国宝)本尊は不動明王。
14世紀前半鎌倉時代に再建。
壇上伽藍のシンボルともいえるは真言密教の根本道場
「根本大塔(こんぽんだいとう)」
日本初の多宝塔で887年頃完成。
現在の塔は、昭和12年(1937年)に再建され、48.5メートルの高さがあります。
内部は撮影は禁止。
大日如来の四方には金剛界の四仏が囲み、16本の柱に大菩薩が描かれる
(パンフレット拝借)
根本大塔の中に入れば、曼陀羅世界の中に足を踏み入れたことになり、絶好のパワースッポットとして注目を集めているそうです。
実際に若い方がだの姿を多く見かけましたね。
大治2年(1127年)創建、昭和59年(1984年)再建の「東塔」
本尊は愛染明王。
大塔の鐘、日本で四番目に大きな鐘であったことから「高野四郎」と呼ばれる。
「御影堂」
真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安。
堂内外陣にお大師さまの十大弟子像が掲げられている。
三鈷の松は、三葉の松を見つけると、幸せの御守りとして人気あり・・
お大師様所縁の縁起物
准胝堂(じゅんていどう)明治16年(1883年)に再建
安置の准胝観音は、本尊として弘法大師が得度の儀式時に自ら造立。
「東塔」に対し 仁和2年(886年)創建の「西塔」
金剛界大日如来と胎蔵界四仏が奉安されている
天保5年(1834年)に再建
六角経蔵(ろっかくきょうぞう)
鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された
一切経を納めるために建立。
昭和9年(1934年)再建
壇上伽藍の拝観を終えて、
高野山の入口にそびえる大門へ。
現在の建物は1705年に再建され、二階二層門で、
高さは25.1メートルあります。
左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。
この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ
我が国二番目の巨像と云われてます。
大門からは夕景が素晴らしいそうですが、大伽藍裏手の宿坊寺院へもどり、
宿泊手続きを済ませました。
宿坊 総持院
続きます・・