*ひょいと歩き出した東海道五十三次。
途中で、断念かの肝臓癌をなんとか乗り越えて、京の三条大橋へ到着。
勢いをかって「歩いて再び京の都へ」と乗り出した中山道六十九次。
またまた腹部大動脈瘤、心臓動脈硬化、そしておまけに腹部ヘルニア。
挫折しそうになりながらも、カミさんの支えもあって、またまた乗り越え
旅の再開。
そんな、じじばば道中ブログです*
11月3日に歩き残してた「碓氷峠越え」を果たし、街道は江戸から
28番目・和田宿へ一本線に継ながりました、が・・
次の江戸から29番目、下諏訪宿の間には標高1600mの和田峠が
待ち受けています。
碓氷峠を越えた勢い(?)で、11月11、12日での峠越を予定してましたが、
峠道の状態はかなり悪路の情報もあり、やっとつないだ街道でしたが、
急きょ予定変更で峠越えは先に延ばし、12日(日)に、下諏訪宿から先へ足を
進めることにしました。
早朝、マイカーで出立。
久しぶりに圏央道、中央道と走り、塩尻駅前の駐車場へ車を停めて、
電車で下諏訪へ。
山頂の木々が白っぽく見えるのは霧氷かな)
下諏訪駅から歩いて諏訪大社秋宮へ向かい、参拝後すぐ脇を通る旧中山道
諏訪宿中心部より、第20回の旅立ち。
日本最古の神社のひとつとして数えられる諏訪大社の
下諏訪に鎮座する、諏訪大社下社・秋宮。
(今年の夏に寄ったことがありました)
AM8:30。
右手から下ってくる旧中山道はこの角で右折し塩尻へ向かいます。
左手へ向かう道は甲州街道となり、ここは追分。
(旧中山道はここで右折し、車の停まってる後ろの道へ入ってゆきます)
碑の左下地面に植えられたプレートには、
旧甲州道中・江戸53里11町、旧中山道・江戸55里7町、京都77里3町とある。
今日の旅は下諏訪~塩尻、2里30町(約12km)
(その先、少し足を伸ばすので約14km)
塩尻宿へと旅の足を進めます。
元禄元年(1689年)創業、旧脇本陣にて現業を引き継ぐ「御宿まるや」
代々丸屋四朗を名乗ったそうです。
当時の図面や古文書をもとに、材料までこだわって忠実に旧脇本陣兼旅籠を
復元した美しい木造建築の今も人気の宿です。
(宿泊してみたいですね)
向かい左手は安政10年(1690年)創業、木曽路名所図絵」にも描かれた
旅館「桔梗屋」があります。
あの東海道五十三次弥次喜多道中で有名な、十返舎一九や安藤広重、
和宮の母君など歴史に残る人物や、川合玉堂、竹久夢二、斎藤茂吉など多くの
文人、墨客にも愛された宿として今も盛業の人気宿。
下諏訪宿は中山道69次の中では唯一の温泉の出る宿場で、古い歴史を持つ
現業の温泉宿が何軒かあり、和田峠越えて到着できた時は是非宿泊し、
往時の旅気分を味わいたいと思ってます。
細かい格子窓の2階家は下諏訪町立歴史民俗資料館。
明治初期に建てられた宿場の商家を利用したもので,狭い間口,長い奥行,
細格子が特徴的です。
下諏訪宿場町や、旅人の様子を描いた絵画や当時の風俗・生活を伝える資料がある
そうですが、まだ開館前。
看板もレトロ
国道と合流手前に復元された高札場跡
以前は先ほどのスタート地点、中山道と甲州街道の合流点付近にあったそうですが、
場所が狭くなったために、宝永年間(1704~1710)に願いを出して、
現在の場所に移したそうです。
高札場跡で大社通り(国道142号から国道20号になる)となりさらに下ります。
右手に弘化4年(1847年)に建立され、医師のみに建てることが許されたと
言う門構え「薬医門」がありました。
門の脇に木戸を付け、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入りできるように
していたともいわれています。
しばらく大社道を下ると二股で国道を分岐、左手路へ入ります。
一段高くなった場所に「魁塚(さきがけつか)(相良塚)」
慶応4年、官軍(東山道軍)の江戸総攻撃先鋒隊を務めた、相良総三ら
赤報隊幹部8名が、新政府から「贋官軍」との烙印を押され岩倉具視より
追討令が下され、斬首・梟(さらし)首された場所という。
明治3年同志によって墓が造られ、地元の人々が刑場を魁塚として祀り続けて
いるそうです。
「相良総三」は,幕末の慶応3年(1867),西郷吉之助と結び江戸薩摩藩邸に
浪士600人ほどを集め、薩摩藩の意を受け江戸市中を撹乱し,幕府に対する
挑発行為を行い、追われると薩摩藩邸に逃げ込んだといわれる。
進んで、諏訪大社春宮に通じる大門通りを渡った右角に大きな「春宮の常夜燈」が
建ってます。
右へ坂道を700mほど行くと諏訪大社下社・春宮です。
しばらく進むと道はT字路へ突き当り、さて、どっちかな?
街道書では、民家の間の小路道へ入るとあるが・・・有りました「中山道」標識!
一人がやっと通れる道は、すぐに砥川の堤防上に出て中山道は川でt中断。
右手少し上流の国道20号の橋を渡り、その先で左折して中山道の道筋に復帰が、
またまた細い小路の中山道、
小道は広い通りと交差し、渡って左電柱脇に石柱が有り、回り込んでみると道標。
街道からは裏側しか見えないので、車のためかな??
マンホール蓋
小さな川を渡ると地番が変わり、下諏訪町から岡谷市長地柴宮(おさちしばみや)
地区
だらだらしたゆるい上り坂を、およそ600mほど進むと、左手に案内標識があり
横道を入った所が「旧渡辺家住宅」
渡辺家は、高島藩(=諏訪藩)に仕えた散居武士(城下ではなく在郷の村々に
住んだ武士・郷士)で、家屋は茅葺,寄棟造りで18世紀中ごろの建築といわれ、
天保12年(1841)~にかけて改築され現状の間取りとなったという。
復元された藁ぶき屋根の武家屋敷は在りますが、現存する屋敷として貴重な建物と
言えるそうです。
(長野県県宝指定)
(側の邸宅表札が渡辺家とありましたが・・)
この一家から、渡辺国武・渡辺千秋・渡辺千冬の三人の大臣が出ている由。
少し先に平福寺。
真言宗智山派の寺で、戦国時代は諏訪大社下社春宮の別当寺であった。
日を限って願掛けすれば聞き届けてくれるという「日限地蔵尊(おひぎりさま)」
が有名で、毎月23日は縁日で賑わうと云う。
先の交差点を渡った左手に、寛政3年(1791)建立の「伊那道道標」
「右 中山道 左 いなみち」とある。
百万遍供養塔を兼ねてるそうです。
当初の中山道は,元和2年(1616)塩尻峠が開通するまでは,ここで左折し
三沢峠(小野峠ともいう。塩尻峠より南方にある)を越えて木曽路へと向かっていた。
しばらく生垣の大きな家屋敷の道が続きます。
わぁ~綺麗ね~、てカミさんが歓声!
街道はず~っとゆるい上り道が続いてます。
さきで国道20号と斜交し、
その先右手の駐車場フェンス際に、笹竹に埋もれた格好の石碑が、
江戸から56番目の一里塚「東堀一里塚跡碑」
まだ小さな木ですが冬桜が咲いていた。
振り返ると遠くに見えるは「八ヶ岳」かな?
だいぶ標高が高くなってきた様子。
十字路角に道祖神と常夜燈
十字路を渡ったかどの草むらに、ひっそりと馬頭観音。
「横河川」を”おおはし”で渡り今井地区に入ります。
左手下の方にキラキラ光ってるのは諏訪湖のようです。
ゆるゆる上ってきてるのがわかります。
橋を渡った左手にたくさんの石塔群。
周りは銀杏の匂いが立ち込めていましたね
おっ、お月さん!
両側に家々の建ち並ぶゆるゆる坂をさらに歩きます。
狭い道ですがバス通りです。
地域に溶け込んでいい風情の3階建住宅。
すこし先に左手に有るのが、高島藩の口留番所跡(今井番所)。
口留番所は,旅人の通行や荷物の取り調べを行った所で、ここを通過するには
高島藩の通行手形が必要だったといわれる。
そのさき右手黒板塀の続く屋敷が「今井茶屋本陣跡」
主屋ほか11件が国有形文化財に指定されている。
文久元年11月5日に皇女和宮が,明治13年2月4日に明治天皇がここで休息を
取っている
この辺り旧今井村は,塩尻峠の東の登り口にあたり,ここは「今井立場」で当初は
街道沿いに四軒屋があったので,四つ屋と呼ばれたという。
(周辺のお屋敷には何軒かの「今井」の表札を見かけましたね)
ここら辺りから,徐々に塩尻峠への急な登りが始まります。
さらに旧道をゆくと、右手に「左 しほじり峠 中山道 右 しもすは」の道標が
置かれている。
右手に不動尊・道祖神・道標など比較的新しい石碑のいくつかを見ながら歩む。
やがて、岡谷ICジャンクションの上を通り、アクセス道路が複雑に入り組む
かなり急な上り坂になる。
振り返れば、眼下の諏訪湖越しに「富士のお山」
そして左手に「八ヶ岳」
紅葉街道は急勾配の急坂となり、高度を上げてゆきます。
道路の右手に100段近くもある急な石段を登った先に、
「石舟馬頭観音」が鎮座する。
ここには、足腰の病に霊験あらたかだそうで、多くのわらじが供えられており、
塩尻峠を前に、多くの旅人がお参りし足腰の無事を祈ったのだそうです
いまこそ階段に手すりが有るが、昔の旅人は足腰が強かったんですね。
(手すりが無かったら登れなかった!)
・・と思ったら脇道があり街道へ降りられます。
祠の脇の鳴沢を清水が流れ落ちている。
欽明水と云われ,街道を行きかう多くの旅人の喉を潤したという。
岩船観音の先からいよいよ塩尻峠の本格的な急登が始まりました。
一歩一歩また一歩。
左手に、木曽路名所図解に
「大石、塩尻峠東坂東側にあり、高さ二丈(約6m)横幅二間余(約3.6m)」
と記されている由の、昔から有名であったのだそうな「大岩」呼ばれる岩がある。
この岩は上には木が生えている?
諏訪七不思議の一つだそうです。
急坂も木々の紅葉黄葉にいやされながら、はぁはぁ、ふうふう休み休みで
上って行きます。急坂は約1km続きます。
馬もこの急坂を荷を積んで登り下りしたんだね、ひっそりと小さな馬頭観音。
唐松が黄葉し大きくゆっくりと揺れる様は素晴らしいですね。
坂は斜度を増し、十歩登って一休みの繰り返し。
街道書では後、二曲がりの急騰で峠頂上かな?と淡い期待を・・
急登になって約1時間、頭上に明るさが増し峠は近い。
最後の急騰を曲がると、でた~・・切通しの先は塩尻峠、頂上は標高1055m、
後編へ続きます、