平成31年 写真保存を兼ねてブログ 4月徒然 春 (11)     神秘の透明花になった!!

4月28日(日)AM4:40

なんでもかんで最後の言葉になりますが、平成の最後の日曜日の朝を迎えました。

無風、快晴。

日差しのなかったこの2日間のためか、空気はひんやり。

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夜間飛行の名残り、飛行機雲が薄すらと朝焼け雲となってます。

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昇ってからまだ3時間くらいの月が、

東南の空に久しぶりにくっきりと姿を見せてます。

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日の出のころから北風が吹きこみだし、快晴の空とは裏腹に肌寒い夜明けとなり、

鉢植えのライラックの香りも漂っては来ませんね。

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22日夜明け頃に、メダカの水鉢で白い蕾を付けにょきっと顔を出して、

日の出とともに水上に小さな白い花を咲かせた水草「ナガバオモダカ

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2日ほど前に水を補給し水面下に沈んで、水中花で咲いていましたが、

ふっと覗くと「あれ?花が無い!」

今一度、よ~くのぞきこんでみると、水中の花が…透明花に!

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白の色素が抜けてしまい、透き通ったガラス細工花に変身していたんです。

水面ぎりぎりに咲いた花はまだ白さを持ってますが、

これも少し透明化が始まってるようです。

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水中花としては清流の花、水中、水上で咲く梅花藻(バイカモ)がよく知られてます。

(パンフ拝借フォット)

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でも、ナガバオモダカは、冬の時期は水中で短い冬葉をつけて越し、

気温が高く(水温が高く)なると、水面上に長く葉や半茎を伸ばし白い花をつけ、

水中開花の花ではないんです。

寒冷の高地に咲く、雨や露に濡れると神秘的な透明花となる「サンヨウカ」は

不思議な花としてよく知られ、私も尾瀬へ道で、

早朝に一度だけ見たことがありました。

なぜ透けるのかは、水分と光の関連などがあるようですが、また詳しいことは

判っていないといわれます。

(パンフ拝借フォット)

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そうなんです。

ナガバオモダカも、いろいろネットで調べてみましたが、

水中で透明になった、との記述は見つけられてません。

メダカ鉢の水草「ナガバオモダカ」、

不思議花、ガラス細工のような神秘の花、ますます透明になって

水の中に溶け込んで、消えてゆくのかもしれませんね。

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そして29日(月)

いよいよ平成も今日と明日ですね。

曇り空で明けましたが、すこし青空も見えてます。 

 

 

思い出旅 高野山へ (3)

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

今夜の宿泊、宿坊は平安時代に創建された「総持院」。

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前は壇上伽藍境内、お隣は金剛峯寺でメイン通りより
一本山側の閑静な所にありました。

門を入っての前庭に、樹齢千数百年と言われる白藤棚が大きく枝を広げてます。
花の時期は素晴らしいでしょうね。

(写真左 藤棚)

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主玄関から入ると右手に、見事が貝細工を施した家具調度品が置かれた談話室を兼ねた、応接室が有り、
冷たい抹茶とお菓子の接待でを受けました。

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リニューアルされたと聞いてる宿坊内は、たいへん綺麗に整理整頓され隅々まで清掃も行きとどいた感じで、清潔感あふれる宿泊施設ですね。

部屋も今風の和風旅館と変わらぬ設備で、
昔乍らの,襖で仕切られた宿坊風情を楽しみたい方には,
物足りないかもしれませんね。

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お茶とコーヒーが有ります。

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案内してくれた、若いお坊さん。

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囲碁の対局や金剛峯寺で行われた将棋名人戦の、羽生名人や対局者な宿泊した

そうです。

大浴場で汗を流し、さっぱりとして精進料理の夕食へ。
正座や胡坐が苦手の旨伝えると、障壁画や襖絵の見事な大広間を仕切った部屋を

用意してあり、椅子席にてゆっくり精進料理を頂くことができました。
温かいものは温かく、季節に合わせた冷たい料理は
冷たい内にと、若いお坊さんが料理を運んでくれ、
並べ終わると料理の説明をしてくれました。

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精進料理でよく言われる、見た目、肉やお刺身そっくりに料理されたもの

はほとんどありませね。
色々な野菜、根菜、穀物などそれぞれの素材をいかし、
だしは昆布やシイタケなどでとるそうで、精進懐石料理ですね。

英訳では(ベジタリアン・クッキング)
高野山宿坊として代表的なのが、各宿坊独特に造られる「ごま豆腐」なんだそうです。
もちもちとした思ったよりも濃厚な味、美味しかったです。

(左上 ごま豆腐)
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高野と言えば「高野豆腐」がすぐ思い浮かびます。
高野山は、冬の寒さが厳しく、1月の平均気温は-0.5℃と氷点下になるとか。
この厳しい寒さが800年ほど前に、俗に言われる「高野豆腐」を生みだした
と言われます。
私が育った北海道の町でも、この乾燥した豆腐は馴染みの豆腐でした。
ただ、高野豆腐ではなく、「凍み豆腐(しみどうふ)」と呼んでいましたね。
町は東北仙台藩の分家の開拓地で、祖母の話では、かなり昔からあったけど、

特に戦国時代伊達正宗公が戦時携帯食料品として造らせた、て言ってました。
高野豆腐の名称は、大人になってから知ったと思います。
ラガービールで喉を潤し(ははは・・生は御禁制?)、
辛口の般若湯(冷酒)を頂きながら箸を進めました。
そうそう、高野豆腐は夕食には出なかったと思います。

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実はジュンサイ

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 そして締めくくりは、冷やした桃のゼリーと葡萄でした。
外国の方にお坊さんが「ベジタリアン・クッキング」と
説明してたね。

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8月1日(月)
宿坊での一夜が明け、早朝勤行に参加するため、本堂に入りました。

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本堂内はたいへん広く、ご本尊は阿弥陀如来様です。

用意いされていた椅子に落ち着き、近くに有る高野山6時の鐘が時を告げると、

4人の僧による読経が始まりました。
聞きなれている葬儀や法要の読経と違い、ゆっくりと綺麗な低音で読経は始まります。
時折、低くなが〜く打ち鳴らされるシンバルのような楽器、(にょうはち)の響が

読経に調和して独特の雰囲気に包まれます。

なにか自然に無心になり目を瞑り手を併せてます。

一番前の列に腰かけている、欧米系の男女が二組も神妙に手を合わせ祈りをささげて

ましたね。
やがて読経のトーンがすこし高くなり、リズミカルになって
そして、しだいにゆったりとした読経となってゆき、朝の勤行は終わりました。

朝の涼しい空気のなか、心が洗われたような清々しい気持ちになりました。
そのあと住職の法話、お坊さんの案内で本堂内を拝観して朝食となりました。

(朝食膳には高野豆腐が一品出されてました)

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まだ朝の日差しが柔らかい内に、仏教界の聖地とも言われている、高野山奥の院

お参りします。
車は宿坊に置かせていただいて、朝の散歩がてら歩いて奥の院へ向かいました。

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朝の街中は、日本人より外国の方々が多く行き来してましたね。
アジア系の方々はほとんど見かけなかったかな。

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ぶらぶらとお寺をのぞかせていただいたりしながら、
30分程で奥の院入口の一の橋へ着きました。

高野山の最高の霊域、神聖地。
そして今は、世界的に知られた観光霊域地となっている。

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続きます・・

思い出旅 高野山へ (2)

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

2016年月31日、室生寺を後に奈良の飛鳥方面を抜けて、和歌山県入り。
西高野街道(480号線)を高野山へと登ります。
いきなり空が開けて、1000m級の八つの峰々に囲まれた

山上盆地に広がる町は、弘法大師空海が開いた日本を代表する仏教都市

真言密教の聖地「高野山」です。
2004年には世界遺産に登録され、国内外から多くの参拝客が訪れる一大観光地に

なりました。

高野山真言宗総本山・金剛峯寺山号高野山)ほか、塔頭寺院が117か寺。
約半数が宿坊を兼ねています。
お世話になる宿坊・総持院の駐車場に、車を止めさせていただき、山内の散策へ。

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今は外国の観光客にも大人気の高野山

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高野山の聖地、奥の院は、明日ゆっくり参拝することにして、

まずは真言宗の総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)へ。

かっては山全体を総本山金剛峯寺と称したが、

 

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豊臣秀吉ゆかり青巖寺と興山寺 を合併し1869年(明治2年)、金剛峯寺と改称した.。

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高野山真言宗の総本山。

高野山全体の宗務が行われており、住職には、高野山真言宗管長が就任する。

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元和四年(1618)に福島正則が奉納、今も時を告げる「六時の鐘」

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文久3年(1863年)に再建された奥殿、別殿などを有する大主殿。
国内最大級の石庭「蟠龍庭[ばんりゅうてい]」や狩野派の襖絵など見どころが

多数あります。(襖絵など撮影禁止)
本尊様は厨子に安置され、拝観することはできません。

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大主殿内部(仏像、襖絵などは撮影禁止)

(パンフ拝借画)

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文禄4年(1595年)関白・豊臣秀次、自刃の柳の間

(パンフ拝借画)

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国内最大級の石庭「蟠龍庭(ばんりゅうてい)」

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本堂裏手に庫裏があり、実際に大勢の僧侶の食事を賄ってきた場所を見学する事が

出来ます。

2000人の炊事を賄った台所。
一つの釜で約七斗(98キログラム)のご飯を炊くことができる大釜など

全体的に大きく、男の仕事場と強く感じますね。

(パンフ拝借画)

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金剛峯寺を後にすぐ近くの高野山信仰の中心地、壇上伽藍へ。
高野山の信仰中心は、この壇上伽藍です

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壇上伽藍の正面玄関は、1200周年(2015年)に合わせて172年ぶりに再建された、朱色も鮮やかな中門です。
鎌倉時代の建築様式をもとに設計再建されたそうです。

高野山 壇上伽藍 中門 

持国天像・多聞天
広目天像・増長天
の四天王がまつられている。

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壇上伽藍は弘法大師空海)が、高野山で最初に開かれた場所と伝えられている所で、弘法大師御廟(ごびょう)のある奥の院と並ぶ高野山の聖地です。
壇上伽藍には、高野山の総本堂になる『金堂』や
国宝『不動堂』など多数のお堂が立ち並ぶ荘厳なところで、真言宗の重要な法会のほとんどが行われています。

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高野山総本堂『金堂』

高野山内にて、お大師さまの手により最初期に建設される。
昭和7年(1932年)再建

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建久8年(1197年)創建 不動堂(国宝)本尊は不動明王
14世紀前半鎌倉時代に再建。

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壇上伽藍のシンボルともいえるは真言密教の根本道場

「根本大塔(こんぽんだいとう)」

日本初の多宝塔で887年頃完成。
現在の塔は、昭和12年(1937年)に再建され、48.5メートルの高さがあります。
内部は撮影は禁止。
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堂内は中央に御本尊の胎蔵界大日如来

大日如来の四方には金剛界の四仏が囲み、16本の柱に大菩薩が描かれる

(パンフレット拝借)

根本大塔の中に入れば、曼陀羅世界の中に足を踏み入れたことになり、絶好のパワースッポットとして注目を集めているそうです。
実際に若い方がだの姿を多く見かけましたね。

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大治2年(1127年)創建、昭和59年(1984年)再建の「東塔」

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建武元年(1334年)、後醍醐天皇の綸命にて建立「愛染堂」

本尊は愛染明王

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大塔の鐘、日本で四番目に大きな鐘であったことから「高野四郎」と呼ばれる。

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「御影堂」  
真如親王直筆の「弘法大師御影像」を奉安。
堂内外陣にお大師さまの十大弟子像が掲げられている。

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三鈷の松は、三葉の松を見つけると、幸せの御守りとして人気あり・・

お大師様所縁の縁起物

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准胝堂(じゅんていどう)明治16年(1883年)に再建
安置の准胝観音は、本尊として弘法大師が得度の儀式時に自ら造立。

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「東塔」に対し 仁和2年(886年)創建の「西塔」
金剛界大日如来胎蔵界四仏が奉安されている
天保5年(1834年)に再建

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六角経蔵(ろっかくきょうぞう)

鳥羽法皇の皇后であった美福門院が、紺紙に金泥(きんでい)で浄写された
一切経を納めるために建立。
昭和9年(1934年)再建

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壇上伽藍の拝観を終えて、

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高野山の入口にそびえる大門へ。

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現在の建物は1705年に再建され、二階二層門で、
高さは25.1メートルあります。

左右には金剛力士像(仁王さま)が安置されています。
この仁王像は東大寺南大門の仁王像に次ぐ
我が国二番目の巨像と云われてます。

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大門からは夕景が素晴らしいそうですが、大伽藍裏手の宿坊寺院へもどり、

宿泊手続きを済ませました。

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宿坊 総持院

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続きます・・

 

 

 

思い出旅 高野山への旅 (1)室生寺

(3年間の写真保存を兼ねた旅紀行を、下書保存作成していたブログ)

 

思い出旅 ブログ・スイス旅編を終えて、次の思い出旅は和歌山県高野山です。

 

2016年6月18日、午後2時51分、

日本橋から126里余(約495キロ)、53の宿場町を通り、

東海道五十三次夫婦歩き旅も、足掛け4年の歳月をかけ、

京の都へ無事到着することができました。

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その後しばらくは梅雨の時期。

ゆっくり体を休め梅雨明けを待って、東海道無事完歩のお礼参りを

兼ねて、以前から行ってみたかった高野山への旅でブログを綴ります。

 

高野山は、はるかに遠い。
2016年7月30日(土)〜8月2日(火) 3泊4日

 

AM7:30、マイカーにて旅立ち。
高速道をひた走りし、三重関ICにて降り名阪国道25号を走りし、

PM3:00、三重県伊賀市伊賀上野城址の上野公園着。

お目当ては伊賀流忍者博物館伊賀忍者屋敷)。
そして呼び物は「忍者ショー」
これが意外に面白い。外国の方々も多く歓声を上げて大拍手。

なのに「忍者ショー」は、なぜか写真やビデを撮影は禁止!!

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(ピンクの衣装来た人は女忍者、赤い衣装は観光客の乙女)

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忍者屋敷見学を楽しんだ後は、伊賀上野城(再建)もカメラに納め、

伊賀上野を後に40分ほど走り、

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今夜の宿は奈良県境の名張市のホテルへ。
当日は丁度名張市の花火大会の日、どうりでホテルが満室だった訳です。
部屋が上層階だったので照明を落として、少し離れてはいましたが、

今や伊賀随一と言われる見事な花火を久しぶりに堪能できた夜でした。

 

7月31日(土)、朝食を済ませホテル発。

すぐに奈良県入りにて、高野山へ向かう前に奈良県宇陀市の山間、

室生寺(むろうじ)へ。

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室生寺手前に鎮座するのが、室生寺よりも古い歴史をもち、

水の神「龍神」を祀る「室生龍穴神社」へ立ち寄り。f:id:hansui:20190224121120j:plain

 

奈良時代から平安時代にかけて朝廷からの勅使により雨乞いの神事が営まれ、
室生寺は龍穴神社の神宮寺であった時代もある由。

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龍穴神社からすぐに室生寺があります。

真言密教の根本道場である高野山が、厳しく女人を禁制したのに対し、

室生寺は女人にも開かれた道場『女人高野』と呼び親しまれる寺です。

宇陀川の支流、室生川の北岸にある室生山の山麓から、中腹に堂塔が散在する

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室生寺は、修験道の開祖である役小角(えんのおづの)が創建し、

空海が中興(再び盛り立てること)したといわれています。

日本書紀にも、「奈良時代末期にこの地で桓武天皇の病気平癒祈祷が行われ、

無事に病気が治った記念として創建された」という記述があり、

千年以上の歴史を持っている。
室生山の麓から中腹にかけて伽藍が展開されており、

今のような状態に堂宇が整ったのは9世紀前半と推測されています。

創建当時から興福寺とつながりが深く、長い間法相宗の寺院でした。

それが江戸時代になると、五代将軍徳川綱吉の母、桂昌院の力添えで、

興福寺から独立して真言宗の寺院となります。

1964年には真言宗豊山派から独立し、真言宗室生寺派大本山になりました。」

(パンフより)

朱塗の太鼓橋を渡り境内へ足を進めます。

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仁王門

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鎧坂

急石段「鎧坂」を登りきると、向かって右手に「天神社拝殿」、正面には「金堂」、

左手には「弥勒堂」がある。

(奈良随一のシャクナゲの名所で、毎年4月上旬には美しく境内を彩ります)

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国宝の『金堂』

解説書によれば、
平安時代前期建立にて、
釈迦如来立像(国宝)、薬師如来像(重文)、地蔵菩薩像(重文)、

文殊菩薩像(重文)、十一面観音菩薩像(国宝)、十二神像(重文)が安置され、

板壁には帝釈天曼荼羅図(国宝)描かれています

平安の建立であるが、江戸時代に増築もされており、「金堂」の屋根を

横から見ると、内陣に安置された仏像を拝むためのスペースが追加されている

ことがよく分かります。

平安初期の山寺の仏堂としては日本唯一のもので、非常に貴重な建築物として

高く評価されている。

 内陣には、向かって右から地蔵菩薩立像、薬師如来立像、釈迦如来立像(本尊)、

文殊菩薩立像、十一面観音菩薩立像の五尊像が並び、その手前には

十二神将が安置されている。

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(パンフ拝借フォット)

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金堂前庭の左手にある三間四方のこの堂は、興福寺の伝法院を受け継いだと伝える

弥勒堂(重文)。

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鎌倉時代の建築で、元は南向きであったのを室町時代に東向きとし、

江戸初期にも改造されているそうです。

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弥勒菩薩立像(重文)、衣文の美しい釈迦如来坐像(国宝)を安置する。

右、 「弥勒菩薩立像」は、室生寺の仏像の中で最も古く、

奈良時代から平安時代にかけての仏像で、榧(かや)の一本造。

本体はもちろん、蓮華座の上半分と両手・天衣・飾りまで含め、すべて一つの

木材から彫り出されている。

左 国宝「釈迦如来坐像」は、平安時代前期に造られている。

頭部には螺髪がなく、これは昔、この仏像が撫で仏として信仰されていた

ことによるという。

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「天神社拝殿」拝殿の奥には天神社

 

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天神社拝殿」の脇にある巨岩に彫られている、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)

(パンフ拝借フォット)

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金堂の仏像を拝観し、

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シャクナゲ茂る参道をさらに登ると、

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 室生寺の本堂である国宝「潅頂堂(かんじょうどう)」

建立は鎌倉時代・延慶元年(1308年)

安置されている貞観如意輪観音坐像は、日本三如意輪の一つに数えられる。

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石段の上方に目をやると、国宝「五重塔」が緑の木立に囲まれ堂々と建っているのが

見える。

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石段を最後まで登りきり、塔の全貌を見ると、石段下から見た印象に比べ

小さいことに驚く。

五重塔(国宝)は高さ16.1m。屋外に建つ最小の塔で、相輪の上部は水煙では

なく宝瓶を置き、その上に天蓋をもうけている。

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五重塔右手には、織田信長の次男、織田信雄を弔う五輪塔

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こうして見上げるスラリとした美しい姿は、2倍にも3倍にも大きく見えます。

f:id:hansui:20170306181244j:plainこの背後から奥の院、御影堂(重文)へ通じるとびきり急勾配の石段が

始まりますが、ここで山を後に何度か振り返りながら参道を下ります。

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再び仁王門をくぐり

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太鼓橋を渡って室生寺を後にしました。

春には石楠花で覆われ、花のお寺とても知られてます。
まだ朝の時刻なので参拝客も少なく、ゆっくりと
国宝や重文の建造物や仏像、日本最小の五重塔などなど観賞、いい時を過ごすことができました。

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 次の寄り道は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある

宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)です。

水分と書いて「みくまり」と読むんです。

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宇太水分神社(うだみくまりじんじゃ)は、奈良県宇陀市菟田野古市場にある

大和朝廷が飛鳥に置かれたころ、勅命により水の守り神を祀ったと伝わる古社です。

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拝殿 

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天水分神速秋津比古神国水分神を祀る三殿は国宝で、

元応2年(1320年)建築と言われ実に美しい社殿です。

右から末社宗像神社本殿(重文)、末社春日神社本殿(重文)

本殿第一・第二・第三殿

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国宝・御本殿 右から、第一殿・第二殿・第三殿

同じ形をした春日造の三棟の本殿は、棟木に1320年(元応2年)の墨書があり、

隅木入春日造で、建立年代の明らかなものとしては日本最古のものと言われている。

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水の神だけあって、凛としたたたずまいの中にも柔らかな優しさを感じる

美しい神社でした。

立ち寄りして良かったね。

参拝を終えて奈良の桜井市長谷寺を右手に見て通り和歌山県入り。
西高野街道(480号線)を2時間30分、一路高野山へ向かいます。

 

続く

 

 

 

平成31年 写真保存を兼ねてブログ 4月徒然 春 (10)

4月25日(木)

平成もあと5日で、新年号の時代へとバトンタッチですね。

明け方に小雨。

病院の歯科へ行くカミさんを車で送り家へ帰り着いたころには

薄日が差してきた。

予報は曇りでしたが、かなり蒸し暑い一日になりました。

庭のアッツザクラも例年だと白花が咲き、しばらく遅れて赤花が咲くのが、

今年は逆転、ようやく白花が咲き始めた。

f:id:hansui:20190425184903j:plain野放しで育ててた「シレネ カロリニアナ」がどんどん勢力を伸ばしてますが、

ほかの花々が埋没しそうになりながらも、懸命に顔を覗かせてる。

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カミさんが昨年初夏にラッキョウを漬けた際に、根毛の付いたラッキョウ

一個を植えたらちゃんと芽がでて、秋に花が咲いたことがあった。

面白がったカミさんが秋にニンニクを買ったときに、

乾燥はしていたが根毛の残る一欠片を植えたら、それもまたすぐに発芽して、

春先からぐんぐん葉をのばし、ネギのような茎も伸びてきていた。

昨日、あれこれは何だ??

ネギのような茎が縦に裂けって、新たな芽が誕生しそう。

 まだ先が出てきていないので輪になっている。

花茎かな??花の咲く準備か?? ニンニクの花、咲いてくれるか?

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こっちは根付ネギの根部分を植えたら、ちゃんと芽が出て、

2回ぐらい収穫したがまた伸びてきてネギ坊主の花が咲いている。

ニンニクの花も、ネギ坊主のような咲き方をするようですね。

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ラッキョウもそのままにしてるので、今年も花を咲かせるかな、と楽しみなもんです。

(昨年のラッキョウの花)

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カミさんは歯医者の帰りは歩いて帰ってきたが、

いつものところにキンランの蕾が見えた、という。

さっそく午後から、リハビリを兼ねて、花散策。

カミさんが見たところでは、まだツボミのキンランが小さく黄色い姿を見せていた。

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少し離れて、ギンランも咲くはずだが、まだ姿は見せていない。

周りを探したが、芽生えの様子も見つけられなかった。

遅れてるのかな?今年はダメかな?

道を戻り途中から市が公園として整備した雑木林へ寄ってみることに。

 

途中の道端にはいろんな花々に休憩を兼ねて足を止め、傷に障りのないように

そろりそろりと足を進めます。 

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 足を進めた森は、いつも夜明けの空を眺める家の北側畑からの東の森。

平成になって徐々に市としての手入れが始まり、

近年公園として、デイ・キャンプやバーベキューを楽しめる施設や、

球技OKのはらっぱ広場、少年サッカー場などが整備され、

かっては不法投棄ごみや、産業廃棄物捨て場で荒れはてていた雑木林も下草除去

などの手が入り、姿を消していた、キンラン、ギンランが復活しだした林です。

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白花ヤマブキ

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シャガ

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おや、チョウジソウも復活してる?

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雑木林に入って、右に左に目をむけども、なかなかキンラン、ギンランには

出会えない。

しばらく進むと、やっと二株、あった!

 

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更に足を進めると、まだ開く前の黄色い蕾が、あちこちで見られるようになった。

だけど、ギンランさしき姿は全く見つからない。

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今日、一番開きかけてたキンラン。

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サッカー場兼ゲートボール競技場が見えてきた。

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おっ、ジュウニヒトエの花だ!

最近花壇などでは、濃青紫のセイヨウジュウニヒトエアジュガ)が

良く植栽され、野生化もしているが、この花は日本固有種のジュウニヒトエですね。 

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そしてすぐ隣りは、黄花踊り子草。

こちらは帰化植物、ヨーロッパの東部〜西アジア原産。

園芸植物として導入され、今は野生化もしてるようですがあまり見かけませんね。

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ギンランはキンランより少し遅れて咲くようだが、それにしても

芽吹きも無かったような。

キンランも少なかったようだが、今年は不作?

遅れてるだけならいいが・・

八重桜も満開、新葉もでて初夏へむかってる実感・・・

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普通なら一時間ちょっとの散策道だが、そろり足では2時間、
街道へ出れるのは・・・まだまだ先か~・・。



















 








 

平成31年 写真保存を兼ねてブログ 4月徒然 春 (9)

4月24日(水)

薄曇り、一時にわか雨。

20日に一輪開いた、ライラック(リラの花)が、かなり咲き進んできた、

リラックといえば札幌ライラック祭りがよく知られてますね。

いまはすっかり定着した、札幌、いや北海道の初夏の花まつり

なったようです。

たしかライラック祭りと銘打って開催さるようになったのは、

故郷を離れ上京をした年だったと記憶しています。

その4年後札幌勤務時代がありましたが、今ほど盛大ではなった記憶です。

今は世界的にも知られる「札幌雪祭り」も同じころから始まったのでは?

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昨日、蕾を見ていたニワゼキショウが昼過ぎに咲いてました。

ルリニワゼキショウ(瑠璃庭石晶) 別名 藍色庭石晶

アヤメ科、北アメリカ原産、名の通り濃い青色花です。

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先に咲きだしていたシラン白花も次々咲き続いてゆきます。

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蕾の姿を見てから、なかなか咲かないクレマチス

はたして平成の内に花開くでしょうか・・・

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昨日(23日)に

そうだ、ハンカチの木の花は咲いたかな??

と車を走らせてみた、市郊外の多門院。

牡丹のお寺として、市でも応援しているお寺ですが、

そんな開花便りでもあったのでしょうか、大勢の方が

花散策を楽しんでましたね。

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お寺の散策はデジブックアルバムにて

(写真保存兼ねてで、長いです)


平成31年 写真保存を兼ねてブログ 4月徒然 春 (8)

4月22日(月)

昨夜は夜明け近くにトイレへ起き、ベットからの立ち上がり方が悪かったのか、

手術後の傷口が傷み、調剤されていた痛み止めを服用。

夜明けも近いので、そのまま起床。

湯を沸かしいつものように朝のコヒーを入れ(インスタント)、

パソコンの電源を入れました。

しばらくすると夜が白み始め、うっすらと窓の外に、

ピンクの色彩が広がりだしてきます。

窓から眺めていましたが、色合いが明るくなり、いつもの北側の裏の畑へ。

AM4:50

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西へ振り返ると、雲間に丸い明かりがうっすらと・・・月の明かり・・

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昨日、水中に蕾らしきものを見つけていた、メダカ水鉢の水草
ふと見ると、白い蕾は顔を覗かせています。

おっ、花が咲くんだ・・・

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気温はぐんぐん上がりだし、夏日のところもある模様。

退院三日目に診察を受ける条件で戻ったので、

午前は大学病院へ。

連休目前や、月曜日もあって採血は大変な込み具合。

早めに行ったつもりだったが、なんと採血まで1時間半待ち。

診察は採血の結果待ちになるので、予約時間ははるかにオーバー。

診察では、採血上は順調だが、出血と水がたまった腫れがある由にて、

処置室にて麻酔をし針にて処置をして終了。

腫れや緊急の痛みが出たら、即来院するよういわれ、次回の経過診察は1か月後。

さらに会計で1時間以上待ちになる様子なので、院内レストランで遅めの昼食。

帰宅できたのはもう午後も2時を回ってましたね。

今週は病院もかなりの込み具合になる感じでした。

出かけに覗いたメダカ鉢では、一輪開花していましたが、

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帰宅時には二輪が小さな可愛い花を咲かせてます。

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水草の名は記憶になく、調べてみると

ナガバオモダカ(漢字表記: 長葉面高)というそうです。

アメリカ原産、オモダカオモダカ属の多年生の抽水植物

日本には帰化植物として各地で移入分布繁殖してるそうです。

普通に水草として市販されてますが、

「在来の水生植物群落に大きな影響を与える可能性があるとされ、

既に野生化している湖沼等があり、今後、積極的な防除または分布拡大の

抑制策の検討が必要である。」との記述もありましたね。

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家周りを軽くぶらぶら、ご近所お宅の庭覗き。

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庭のアッツザクラは毎日一輪咲き、三輪開花

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家の中より、外の方が暑い午後になってきました。